老の名のありとも知らで四十雀 芭蕉 元禄六年
この句の出典は元禄六年十月九日付け許六宛書簡である。この書簡には次のような記述がある。「少将の尼の歌の余情(よせい)に候」。
「少将の尼の歌」とは、「おのが音につらき別れはありとだに思ひも知らで鶏や鳴くらむ」『新勅撰集』。私の鳴き声に後朝(きぬぎぬ)の別れがあるとも知らずに鶏は鳴いている。一夜を共にした男女は一番鶏の鳴き声を聞くと男は女の床を出て、帰っていく。辛い別れがあるとも知らずに鶏は鳴き始める。
人は人の喜びも悲しみも知らずに生きている。人は人に何をしようとしているのかも知らずに生きている。老いの名があるとも知らずにシジュウカラは今日も元気に河原にできた水たまりで飛び跳ねている。