イギリスに残る封建遺制
イギリスにおける身分制の廃止は充分なものではなかった。だから未だに身分制の残り滓がある。イギリス人に間には強固な身分意識があるようだ。法的な身分差別はないが、身分意識が強固に残っている。身分によって、英語のアクセント・服装・読んでいる新聞が違う。彼らは、同じ身分同士で交わるのを好み、違う身分の者を皮肉る。身分意識は読んで字のごとく、人々を順序付け、身分を隔てることでるが、現代日本には存在しない意識である。
イギリスには三つの身分意識がある。
Upper Class(上流身分)
王室、貴族、地主、資産家など。
パブリックスクールからオックスフォード大学やケンブリッジ大学に進学する。
Middle Class(中流階級)
ホワイトカラー。大学に進学するのは、一般的にこの身分以上に属する人達である。
Middle Classは、さらに3つに分かれる。
•Upper Middle Class(上位)
•Middle Middle Class(中位)
•Lower Middle Class(下位)
Working Class(労働者階層)ブルーカラー。
この身分に属する人達は、義務教育を終えるとすぐに社会に出るのが一般的で、大学に進学するのは稀のようだ。
英国では、「出自」がハッキリと身分の壁を作っている。基本的に自分の出自がそのまま身分を示している。もちろん、現代社会においては、労働者階層出身者であっても、学業成績次第ではオックスフォード大学やケンブリッジブリッジ大学に入学することができ、それを踏み台に自分の階層を上げていくことができる。
身分意識が根付いてしまう社会的背景とは
イギリスの社会制度、身分意識が、立身出世を困難なものにしている事実もある。上流、または上位中流出身者は、子どもの頃から親元を離れ、授業料の高い私立の寄宿学校に学ぶ。そこで、上流にふさわしい英語のアクセント・立ち振る舞い・ものの考え方を身につける。イートン校などの有名パブリックスクールでは、卒業生の子息には、学業成績にかかわらず座席が確保されている。優秀な成績を修めた公立学校出身の労働者階級出身者が、オックスフォード大学やケンブリッジ大学に進学した場合、身分意識という見えない壁にぶち当たるのは、想像に難くない。上流出身者には、彼らの間にだけ通じる流儀があり、それを身につけていない者は排除される。階層を上がっていくことは、並大抵のことではない。
話し方で分かる身分階層
階層差は、その人がしゃべる英語のアクセントに現れる。ロンドンの労働者の人々は、「コックニー」と呼ばれる強いなまりのある英語を話す。映画「マイ・フェア・レディー」の中で、主人公の花売り娘、イライザが話していた英語がコックニーである。上流の人々は、クイーンズ・イングリッシュを使い、標準とされているのは、BBCイングリッシュである。
オックスフォードやケンブリッジなどの有名大学では、独特の言いまわしやアクセントがあり、他と差別化を図っている。
それぞれの階級に流儀がある
サッカー選手として大成したデビッド・ベッカムの英語はコックニーである。彼は大金を稼ぎ、豪邸に住んでいるが、労働者階層に属している。
階層とお金の有無は無関係である。
どれだけお金を持っていても、労働者は自分の生活習慣を維持する人が多い。
上流にはその流儀があるように、労働者にも同じことがいえる。慣れ親しんだアクセント、生活習慣、ものの考え方がある。日本人には、階層意識のようなものはない。格差社会といわれて久しい日本であるが、日本には、階層意識は存在しない。格差は貧富の差であり、身分を隔てるものではない。一億総中流という言葉が存在したように、日本人の多くは、自分が中流階層に属していると考えていた時代があった。しかし、この中流意識とは、金持ちでもなく貧乏でもなくその中間に位置するという考え方で、イギリス人の考える中流意識とは違う。
イギリス人は、立身出世物語に興味を示さない。
日本では、貧しい家庭に生まれ、努力を重ね、立身出世を成し遂げることを仰ぎ見ることがある。野口英世の物語が語り継がれている。私たちは立身出世を美談として尊ぶが、イギリスには、小説の世界にもそのような物語は少ない。イギリス人はよく「労働者からのし上がるためには、サッカー選手かミュージシャンになるしかない」と言われている。