醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1494号   白井一道

2020-08-19 10:30:37 | 随筆・小説


   
  国家にも意思がある



侘助 「戦争責任者の問題」と言うエッセイを伊丹万作が『映画春秋』創刊号に昭和二十一年八月に書いている。伊丹万作は「日本のルネ・クレールと呼ばれた知性派の映画監督で伊丹十三の父親である。このエッセイを『青空文庫』で読んだ。この中に次のような文章がある。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない」。日本国民がすべてだまされて戦争に協力させられたと自分は犠牲者だと言っている。
呑助 分かるように気がしますね。今も毎日、今日の新型コロナウイルス感染者は過去最高の300人を越えましたとテレビ放送で聞いていると何をどうしたらいいのか、分からなくなりますよね。
侘助 そう、だからマスクもせずに出歩く人を見つけると注意をしたくなったりする。
呑助 これといった自粛もせずに旅行に行っている人を見ると非難したくなるのじゃないですかね。
侘助 新型コロナウイルス感染症の対策について、言うならPCR検査を徹底的に行い、陽性者を隔離し、治療し、陰性者は普段の日常業務をする。この簡単なことをすれば、何もパンデミックだなどと恐れることは何もないにもかかわらず、このようなことはしない。安倍首相は5月25日、緊急事態宣言解除の記者会見の冒頭、次のような発言をした。「日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います」とね。「日本モデルの力」などというものを世界の誰一人認めている人はいないにもかかわらず、このような発言をした。 
呑助 その後、二ヶ月もすると新型コロナウイルスの感染は爆発していますからね。
侘助 PCR検査を拡大すると何回も安倍総理は発言しているがいっこうにPCR検査は増えていかない。なぜPCR検査をしないのかと国会で野党議員が追求しても厚生労働大臣は増やすよう指導していますと答弁しているがPCR検査は増えていかない。二〇二〇年二月七日、東北大学の押谷仁教授は「無症状感染者が普通に外出しているので、ここから感染が広がってしまう」と警鐘を鳴らしている。だから多くの人は無症状感染者を放置できないと考える。その一方で「なぜ国民はムダなPCR検査の大合唱をするのか、わかっていない」と一部の専門家たちは各所で狼煙を上げ続けている。確率が低すぎる。偽陽性が出る。お金がかかる。意味がない。中国や韓国と、日本は違うと。五月に入ってもその声はおさまらなかった。「必要なのは検査ではなく自宅隔離と外出制限だ」とある臨床医は主張する。「国民全員ないしは流行地域では無症状者や軽症患者にも広くPCR検査を行うべきとする主張の趣旨」を一つ一つ科学的に反証していくことに力を注いでいる。さらに五月十二日には「『PCR検査せよ』と叫ぶ人に知って欲しい問題」という仙台医療センターの西村秀一氏の記事が出た(東洋経済新報社)。刺激を受けたSNSでは「PCRを進めれば陽性者が増えて困る」「PCRを要求しているのは左翼」「PCRが必要は非科学的」といったツイートもまたたくまに広まる。一方、中国でのPCR検査は凄まじい。まるでウイルスの「種」は一粒たりとも残さないという意気込みのようだ。
呑助 第二次世界大戦に日本国民は自主的に協力した。その結果、敗戦後日本国民は皆、私はだまされていたと言う。だから私がだましたという人はいない。新型コロナウイルスパンデミックとどこか共通するようなものがあるように感じますね。
侘助 国家意思のようなものがあるように感じる。第二次世界大戦では戦争することが日本国の意志であった。国民は皆、協力し、この国家意思が実現することを願った。新型コロナウイルスパンデミックにおける国家意思はPCR検査ではなく、自宅隔離と外出制限のようだ。だから外出する人を咎める人がいる。