醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1492号   白井一道

2020-08-17 14:14:57 | 随筆・小説


 
 靖国神社とは



侘助 何年か前の事だったが、毎朝、靖国神社にやって来るお婆さんがいるとワイドショウ番組が放送していた。
呑助 何をしにお婆さんは靖国神社に行っていたのですかね。
侘助 「岸壁の母」だよ。息子の帰りを待っているとワイドショウ番組の司会者が紹介していた。
呑助 「岸壁の母」とは、二葉百合子の歌ですよね。私の若かったころ、飲み会があるとこの歌を歌った女性がいたね。情感一杯に歌った。泪を流す年配の女性がいましたね。
侘助 「母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
(セリフ)
又引き揚げ船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない。
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか。
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ。
帰れないなら大きな声で
お願い せめて、せめて一言 
呼んで下さい おがみます
ああ おっ母さんよく来たと
海山千里と言うけれど
なんで遠かろ なんで遠かろ
母と子に
(セリフ)
あれから十年  あの子はどうしているじゃろう。
雪と風のシベリアは寒いじゃろう
つらかったじゃろうと命の限り抱きしめて
この肌で温めてやりたい
その日が来るまで死にはせん
いつまでも待っている
  (歌)
悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ
(セリフ)
ああ風よ、心あらば伝えてよ
愛し子待ちて今日も又、
怒濤砕くる岸壁に立つ母の姿を」
泪を流しこの歌を歌い、聞く人がいたようだ。
呑助 戦争が終わって三十年以上になるのに戦争に行った息子の帰りを待つ母親が靖国神社にはいたという話なんですか。
侘助 そのとおりだ。靖国神社とは、国のために戦い亡くなった戦士を祀る神社なのだ。だから靖国神社に行くと戦死した者の御霊の宿った樹木として木斛(もっこく)や槙(まき)、桜などの樹木を献木している戦友会があることがわかる。
呑助 そうした英霊を讃える神社なのですね。
侘助 この神社には戦争で亡くなった方々の哀しみが宿っていることは間違いない。しかしすべての戦没者の御霊が祀られているわけではない。千鳥ヶ淵戦没者墓苑というところがある。ここにはあらゆる戦没者の御霊が祀られている。差別がない。この墓苑は「戦没者崇敬思想の普及」を目的に運営されている。
呑助 靖国神社は戦没者を差別しているのですか。
侘助 そのようだ。もともと靖国神社は明治維新の際、官軍で戦った戦士を讃える神社であった。明治天皇は明治2年6月、国家のために亡くなられた人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段の地に「招魂社」を創建されたのが靖國神社の前身で、明治12年(1879)に「靖國神社」と改められ別格官幣社に列せられた。明治天皇が命名された「靖國」という社号は、「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」という意味のようだ。だから徳川幕府側に立って戦った者の御霊は祀られていない。天皇制明治国家体制を守る神社が靖国神社のようだ。
呑助 国家主義というか、1931年柳条湖事件から始めた戦争を肯定する神社ですか。