中国は覇権国になれるのか
侘助 18世紀の後半、少し生活に余裕のあるヨーロッパの人なら誰でもが欲しがった品物、商品と言うとノミちゃん、何だと思う。
呑助 当時のヨーロッパ人が憧れた商品なのでしょ。何でしようかね。
侘助 それは木綿の布地で仕立てられたシャツだった。当時、木綿のシャツは高級品だった。
呑助 昔の人の衣類の素材と言うと主に何だったのでしようね。
侘助 昔からの高級品というと言わず知れた物でしよう。中国で織られて古代ローマまで、運ばれた布地というと、-------
呑助 ラクダの背に乗せられ、シルクロードを通って運ばれた絹の布地でしよう。絹は古代から現代にいたるまで最高級品として崇められてきたようですね。
侘助 当時、中国から運ばれてきた絹一反の値段を現代の価格にすると2000万円ぐらいのものだったようだからね。王様が身に着けるものが絹の衣服だった。
呑助 絹の外は何がありますか。
侘助 今では高級品だが、麻の衣服があった。日本では夏の着物に麻で仕立てたものがこのまれていた。
呑助 麻のシャツは涼しいですよね。麻のシャツを身に着けると背筋を伸ばして歩くような気分になりますね。絹にしても、麻にしてもヨーロッパでは手に入らない物なのじゃないですか。
侘助 ヨーロッパは寒い所だからな。麻はイラクサ目イラクサ科の多年生植物の繊維が原料になっている。日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから植物繊維をとるために栽培されてきた。
呑助 日本の庶民が身に着けていた衣服の原料の大半は木綿でしようね。
侘助 木綿の原料は綿花でしよう。私の祖母が生れた時、畑の一部を割き、綿花を親が植えてくれたという話を聞いたことがある。綿を集めて布団を作り、着物を作る木綿の布地を作るため、糸を縒り機織りに出したという。
呑助 昔の農家は娘の嫁入りのために生まれた時から準備していたところがあったということですか。
侘助 アジアには絹も麻布も木綿もあった。ヨーロッパは寒い所だから絹も麻布も木綿もない。貧しいところだった。
呑助 ではヨーロッパ人が身に着けていた物は何から作ったのでしようかね。
侘助 それは羊毛だよ。ヨーロッパでは昔から羊の飼育がおこなわれていたからね。羊毛で織られた生地で仕立てた衣服は保温性に優れ、さろぃヨーロッパには適したものであった。
呑助 毛織物ですね。アジアにも毛織物はありますね。アジアには何でもあるということですか。
侘助 ヨーロッパ人にとって木綿の布地で仕立てたシャツは憧れのシャツになった。この木綿の布地を工場制機械工業で大量生産した出来事が産業革命であった。
呑助 綿布生産をイギリスで行ったのが産業革命でしたね。思い出しました。
侘助 二、三年年前のことだったけれど、ロシア国営放送のテレビを見ていたら、ロシアは武器輸出高が世界一になったと放送していた。現在はやはりアメリカが第一位のようだけれどね。
呑助 産業革命の成果、その製品がヨーロッパの若者の心を捉えたということですか。
侘助 そう、綿布で仕立てたシャツがイギリスの若者、いやヨーロッパの若者の心を捉え、綿のシャツは憧れの商品になった。そのような商品を作ったイギリスは世界の覇権国になった。
呑助 綿布のシャツがイギリスを世界の覇権国にしたということですか。
侘助 その通りだ。アメリカが第二次産業革命の成果として作り上げた商品が自動車だった。世界中の若者の心を捉えたものがフォードの自動車だった。フォードの自動車がアメリカを世界の覇権国にした。世界中の若者がアメリカの生活に憧れた。フォードの自動車がアメリカを世界の覇権国にした。