ヤルタ秘密協定(クリミア会議に関する議定書中の日本国に関する協定)が、公開されたのは1946年2月11日です。 1945年9月初めにソ連軍が千島列島、歯舞群島、色丹島を占領し、こうした不法な占領状態を認めたGHQ訓令第677号が発せられのは、1946年1月29日。 そして、その根拠なったと考えられる「ヤルタ秘密協定」が公表されました。
ヤルタ秘密協定【1945年2月11日3カ国―ソ連、米国、英国が署名】は今では多くの国民が知っていますが、改めて呼んで見て、スターリンの強欲な領土拡張要求が強く反映していることがよくわかるように思います。
協定の前文では、「三大国、すなわちソヴェエト連邦、アメリカ合衆国及び英国の指導者は、ドイツ国が降伏し且つヨーロッパにおける戦争が終結した後二箇月または三箇月を経て、ソヴェエト連邦が、次の条件で連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定した」としています。
一、外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持する。
二、1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、次のように回復される。
(イ)樺太の南部及びこれに隣接するすべての島を、ソヴィエト連邦に返還する。
(注)1904年~05年の日露戦争の結果、日本が南樺太を日本の領土にしたこと。
(ロ)及び(ハ)は中国北東部の利権の確保に関する条項ー(略)
三、千島列島は、ソヴィエト連邦に引渡す。(一切の引き渡しの関する理由はありませんー引用者)
そして、協定の最後に、「三大国の首班は、ソヴィエト連邦のこれらの要求が日本国の敗北した後に確実に満足されることを合意した」と書き込まれています。
スターリンの「戦後処理の大原則である領土不拡大」に反する領土拡張要求にルーズヴェルト米国大統領、チャーチル英国首相が同意した結果です。(つづく)
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