この著者の作品は、私にはこれが第一冊目、読み始めだ。タイトルの『秘伝』という言葉に引き寄せられて手に取った。著者が『忍び外伝』で2010年8月に第二回朝日時代小説大賞を受賞しているということすら知らなかった。
時代小説は史実の背景に隠された部分に想像力を働かせ、断片的な史実が一つの図柄に織りなされていく面白さにある。忍者物はその中でも、空想が加味された奇抜な技や能力が発揮されるという面白みとその活躍が表舞台の史実の動きを如何にサポートしているかというところ読みどころだ。
いままで忍者物を読んできたが、忍者の秀でた能力と技が駆使されるというその巧みさや行動のダイナミックさに魅了されるオーソドックス(?)なストーリー展開によるものが多かった。
本書を読み、そのストーリー構成に一驚したというのが正直な感想だ。
忍者物をこんな風に展開できるなんて想像しなかった。この話、どう展開するのだろうという思いを抱きながら、その奇想天外さを楽しみつつ一気に最後まで読んでしまった。忍者物を現代感覚でアレンジするとこんな発想に結びつくのかとその構想力に脱帽した。エンタテインメントとしては結構楽しめる本だった。忍びの素材にオカルトの風味をたっぷり加え、タイムスリップ要素を盛り込んだといえようか。
この小説を映像化するなら、コンピュータ・グラフィクスの映像、それも3D技術を駆使するのに適しているように思う。それでなければ、映像が死ぬのではないか。バーチャル世界を取り込んだ忍びものというおもしろさ。だが、史実、地誌、民話、民俗学的視点はきっちりと押さえられているようだ。
本書は、甲斐・諏訪の国が舞台。序章が『御柱祭』の描写で始まる。武田信玄が信濃諏訪家を滅ぼし、その領土を併合する。そして、川中島の戦い、家康との三方ヶ原の戦い、信玄の死の秘匿、勝頼の武田軍と家康・織田軍の設楽原の戦いという時代背景が本書の舞台である。
信玄の軍師と言われた山本勘助が本書のカラクリ回しの黒衣といえる。この勘助、一種の神通力を持っていて、それは『在阿条経』の秘法から来ているという設定。この『在阿条経』が、小説を通底するまがまがしきものとなる。
主人公は小梅という美少女だ。小県の里・禰津村においてノノウと呼ばれる「歩き巫女」になるべく育てられている。胞衣(えな)を被ったままの、生まれたての姿で道端に捨てられていたのが、今は、親方宿の抱主である姥百合の下で生活し、愚図と疎まれながら、この村でノノウとなるべく訓練を受けている。口減らしに捨てられたり、合戦で孤児になったり、または人買いから二束三文で買われてきた、身寄りのない子らが親方宿に預けられ、ノノウとして育てられるのだ。
禰津村には『甲斐信濃巫女修練場』があり、そこの巫女頭(道場主)に収まっているのがお千代である。忍びの家である近江望月家から信濃の望月本家に嫁ぎ、川中島の戦いで夫を亡くしている。ウィキペデイアには「歩き巫女」の項がある。そこには「戦国時代、望月千代女が武田氏の為に、この巫女を訓練し、いわゆるくの一として使ったとされる」と記す。
歩き巫女の本業は口寄せや神降ろしであり、その裏家業は忍びとしての活動だ。甲斐のための情報収集である。ノノウとして全国を経巡っていき、この村に帰巣するごとくに戻ってくる。そのためノノウ修業者は、口寄せをおこなうための技術や神降ろしに使う呪文を学び、一方で忍びとしての剣術や忍びの術を訓練する。一人前のノノウになると、里に弓取と呼ぶ伴侶をあてがわれる。弓取はノノウの夫と同様の存在だという。諸国を巡る巫女としては生涯未婚という建前で、場合によっては行く先々で売笑もする。しかし、里に戻れば弓取がいるということになる。それが巫女を里につなぐ力にもなっている。
本書には後二人重要な脇役が登場する。
加藤段蔵。伊賀の藤林家に預けられ忍者として育つ。隻眼跛行の怪しい容貌をした男。子供の頃に、甲賀の近江望月家のお千代と一緒に遊び育った仲でもある。この段蔵、実は武田信玄に怨みを抱き、信玄を亡き者にしようと狙う男なのだ。その理由は、本書を読む楽しみにして欲しい。川中島の戦いでは、上杉側に立って働く。その段蔵、山本勘助との間には奇しき因縁が存在する。それが、本書のサブテーマでもある。
もう一人は、真田昌幸。小梅は、姥百合から名を知らされ、一人前のノノウとなるために弓取をあてがわれる。その弓取との逢瀬の宿に初めて訪ねて行くが、そこに居たのは小梅の弓取になる男を殺した段蔵であり、その段蔵に襲われてその難を逃れようと格闘する。そのとき宿の前を通りかかった武藤喜兵衛(後の真田昌幸)が小梅を助ける役回りになる。小梅は姥百合から教えられた名前とよく似ていることから、武藤喜兵衛を自分の弓取と間違えて、契りを結ぶことになる。この喜兵衛はその後、要所要所でノノウとしての小梅と関係を持っていく。
小梅は、歩き巫女となるための重要な道具として、粗末な下法箱を姥百合から与えられる。この下法箱には、誰にも知られないようにして自分でヒトガタを決めて、入れなければならない。捨て猫を哀れみ、密かに祠の中に飼っていた小梅は、降り続く雨の季節に行方不明になった猫を探しに出た時、足を滑らせ泥田の中でころび、右手の先に触れた石の棒の如きものを拾う。それには上から三分の一ほどのところにくびれがあり、目鼻の如き窪みもある。もしそれが祠に奉られていた石神ならヒトガタとして申し分ないと考えて、自分の下法箱に入れるヒトガタとする。
この石神を拾ったことが小梅を奇妙な夢の世界に導くことになる。夢には太古の諏訪の眺めが現れ、ふいに何かの気配が駆け抜けていく。石神はそれが御左口(みしゃぐち)神だという。またあるときは、梅姫と呼びかけられ、黒装束の男が『在阿条経』を目の前で開く夢。そして、傍で母の死を嘆く男児、腹の上を擦ると膨らんでいた腹が萎んで皮膚が弛み皺がより、どす黒い血が流れている夢を見る。さらにまた別の夢。まるでそれらが、デジャビュであるかの如く・・・・。
この小梅がノノウとしてする初仕事は、三方ケ原への信玄出陣につき、信濃巫女衆として数名が同行する中に加わることだった。陣中での戦勝祈願の祈祷だという。お千代につき従い、選りすぐりの巫女の中に加えられたのだ。だが、小梅にはなぜ自分のような技倆レベルの者が加えられたのかわからない。
大菩薩山の欠下城から西へ向かい、追分で祝田に向けて進み、根洗松の生える小高い丘の上の本陣が置かれる。そして、小梅はお千代に呼ばれて、本陣に入り信玄の前に出向くことになる。そこでノノウ・小梅は特別の祈祷を行うことになるのだ。それも自らがしらない形で・・・・。
ここから、ノノウ・小梅が他のノノウとは違った形でノノウの役割を果たし始める。
信玄の亡き後、信濃に帰り咲いた武田信虎の暗殺受命、呼ばれて出向いた真田幸隆への祈祷・口寄せ、さらには、武田勝頼へのお目通り・・・。
そして、小梅の数奇な過去が明らかになっていく。その過去が、小梅に禍をもたらし始める。小梅を助けるのは喜兵衛なのだ。
ストーリーのクライマックスの場は蓼科山、この山には甲賀三郎の伝説があるという。本書にはこの伝説がうまく取り込まれているようだ。それもオカルト・モードで。
本書34ページにこんな一行がある。川中島の戦いに絡んだ記述だ。
「この戦が、甲越相方に甚大な被害を及ぼし、戦に出た兵の実に六割が命を落とす、地獄の戦になることを、しかし勘助はすでに知っていた。」
この末尾の「しかし勘助はすでに知っていた」に付点が打たれている。この付点、なぜ強調するのか・・・・最後になってやっと、その伏線の謎が解けた!
実に奇妙な転回だ。筆者のニヤリとする顔を想像したくなる。
終章は天正11(1583)年春、小梅と喜兵衛こと真田昌幸の再会。そして小梅は昌幸の前を去る。その後、近江路では子連れの歩き巫女の話題が持ちきりとなる。託宣、口寄せ、祈祷の悉くが評判になっていた。
演出家・脚本家でもあった筆者の作品だけあって落としどころが良い。
史実を浮かび上がらせるように織りなす忍び働きを楽しみたいなら読むのは止めた方がいい。
史実を材料に組み立てたエンタテインメントを存分に楽しみたいなら読むのをお勧めする。
ご一読、ありがとうございます。
小説の世界に対して、基礎となっている事実情報を参考にネット検索してみた。
(本書に添付の参考文献を読むのが一番基礎的事実情報に肉薄できるのだろうけれど・・・)
御柱祭 :ウィキペディア
御柱祭!これが本当の木落しじゃぁ~! :YouTube
諏訪大社御柱祭木落とし 2010年3月 :YouTube
諏訪大社上社御柱祭 前宮三之御柱 3/4 :YouTube
長野県 茅野市 諏訪大社上社前宮 御柱祭 里曳き 建御柱
ミジャグジ :ウィキペディア
ミシャグジ様 :「日本の伝説」
歩き巫女 :ウィキペディア
忍者 :ウィキペディア
伊賀流 :ウィキペディア
甲賀流 :ウィキペディア
甲賀五十三家 :ウィキペディア
甲賀望月家 ←望月家 :ウィキペディア
武田信玄 :ウィキペディア
山本勘助 :ウィキペディア
川中島の戦い :ウィキペディア
三方ヶ原の戦い :ウィキペディア
長篠の戦い :ウィキペディア
真田昌幸 :ウィキペディア
魚鱗の陣 ← 陣形 :ウィキペディア
蓼科山のライブ画像 :山のライブカメラ
蓼科山 :「山たまごの東海岳行」(岳行ノート)
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
時代小説は史実の背景に隠された部分に想像力を働かせ、断片的な史実が一つの図柄に織りなされていく面白さにある。忍者物はその中でも、空想が加味された奇抜な技や能力が発揮されるという面白みとその活躍が表舞台の史実の動きを如何にサポートしているかというところ読みどころだ。
いままで忍者物を読んできたが、忍者の秀でた能力と技が駆使されるというその巧みさや行動のダイナミックさに魅了されるオーソドックス(?)なストーリー展開によるものが多かった。
本書を読み、そのストーリー構成に一驚したというのが正直な感想だ。
忍者物をこんな風に展開できるなんて想像しなかった。この話、どう展開するのだろうという思いを抱きながら、その奇想天外さを楽しみつつ一気に最後まで読んでしまった。忍者物を現代感覚でアレンジするとこんな発想に結びつくのかとその構想力に脱帽した。エンタテインメントとしては結構楽しめる本だった。忍びの素材にオカルトの風味をたっぷり加え、タイムスリップ要素を盛り込んだといえようか。
この小説を映像化するなら、コンピュータ・グラフィクスの映像、それも3D技術を駆使するのに適しているように思う。それでなければ、映像が死ぬのではないか。バーチャル世界を取り込んだ忍びものというおもしろさ。だが、史実、地誌、民話、民俗学的視点はきっちりと押さえられているようだ。
本書は、甲斐・諏訪の国が舞台。序章が『御柱祭』の描写で始まる。武田信玄が信濃諏訪家を滅ぼし、その領土を併合する。そして、川中島の戦い、家康との三方ヶ原の戦い、信玄の死の秘匿、勝頼の武田軍と家康・織田軍の設楽原の戦いという時代背景が本書の舞台である。
信玄の軍師と言われた山本勘助が本書のカラクリ回しの黒衣といえる。この勘助、一種の神通力を持っていて、それは『在阿条経』の秘法から来ているという設定。この『在阿条経』が、小説を通底するまがまがしきものとなる。
主人公は小梅という美少女だ。小県の里・禰津村においてノノウと呼ばれる「歩き巫女」になるべく育てられている。胞衣(えな)を被ったままの、生まれたての姿で道端に捨てられていたのが、今は、親方宿の抱主である姥百合の下で生活し、愚図と疎まれながら、この村でノノウとなるべく訓練を受けている。口減らしに捨てられたり、合戦で孤児になったり、または人買いから二束三文で買われてきた、身寄りのない子らが親方宿に預けられ、ノノウとして育てられるのだ。
禰津村には『甲斐信濃巫女修練場』があり、そこの巫女頭(道場主)に収まっているのがお千代である。忍びの家である近江望月家から信濃の望月本家に嫁ぎ、川中島の戦いで夫を亡くしている。ウィキペデイアには「歩き巫女」の項がある。そこには「戦国時代、望月千代女が武田氏の為に、この巫女を訓練し、いわゆるくの一として使ったとされる」と記す。
歩き巫女の本業は口寄せや神降ろしであり、その裏家業は忍びとしての活動だ。甲斐のための情報収集である。ノノウとして全国を経巡っていき、この村に帰巣するごとくに戻ってくる。そのためノノウ修業者は、口寄せをおこなうための技術や神降ろしに使う呪文を学び、一方で忍びとしての剣術や忍びの術を訓練する。一人前のノノウになると、里に弓取と呼ぶ伴侶をあてがわれる。弓取はノノウの夫と同様の存在だという。諸国を巡る巫女としては生涯未婚という建前で、場合によっては行く先々で売笑もする。しかし、里に戻れば弓取がいるということになる。それが巫女を里につなぐ力にもなっている。
本書には後二人重要な脇役が登場する。
加藤段蔵。伊賀の藤林家に預けられ忍者として育つ。隻眼跛行の怪しい容貌をした男。子供の頃に、甲賀の近江望月家のお千代と一緒に遊び育った仲でもある。この段蔵、実は武田信玄に怨みを抱き、信玄を亡き者にしようと狙う男なのだ。その理由は、本書を読む楽しみにして欲しい。川中島の戦いでは、上杉側に立って働く。その段蔵、山本勘助との間には奇しき因縁が存在する。それが、本書のサブテーマでもある。
もう一人は、真田昌幸。小梅は、姥百合から名を知らされ、一人前のノノウとなるために弓取をあてがわれる。その弓取との逢瀬の宿に初めて訪ねて行くが、そこに居たのは小梅の弓取になる男を殺した段蔵であり、その段蔵に襲われてその難を逃れようと格闘する。そのとき宿の前を通りかかった武藤喜兵衛(後の真田昌幸)が小梅を助ける役回りになる。小梅は姥百合から教えられた名前とよく似ていることから、武藤喜兵衛を自分の弓取と間違えて、契りを結ぶことになる。この喜兵衛はその後、要所要所でノノウとしての小梅と関係を持っていく。
小梅は、歩き巫女となるための重要な道具として、粗末な下法箱を姥百合から与えられる。この下法箱には、誰にも知られないようにして自分でヒトガタを決めて、入れなければならない。捨て猫を哀れみ、密かに祠の中に飼っていた小梅は、降り続く雨の季節に行方不明になった猫を探しに出た時、足を滑らせ泥田の中でころび、右手の先に触れた石の棒の如きものを拾う。それには上から三分の一ほどのところにくびれがあり、目鼻の如き窪みもある。もしそれが祠に奉られていた石神ならヒトガタとして申し分ないと考えて、自分の下法箱に入れるヒトガタとする。
この石神を拾ったことが小梅を奇妙な夢の世界に導くことになる。夢には太古の諏訪の眺めが現れ、ふいに何かの気配が駆け抜けていく。石神はそれが御左口(みしゃぐち)神だという。またあるときは、梅姫と呼びかけられ、黒装束の男が『在阿条経』を目の前で開く夢。そして、傍で母の死を嘆く男児、腹の上を擦ると膨らんでいた腹が萎んで皮膚が弛み皺がより、どす黒い血が流れている夢を見る。さらにまた別の夢。まるでそれらが、デジャビュであるかの如く・・・・。
この小梅がノノウとしてする初仕事は、三方ケ原への信玄出陣につき、信濃巫女衆として数名が同行する中に加わることだった。陣中での戦勝祈願の祈祷だという。お千代につき従い、選りすぐりの巫女の中に加えられたのだ。だが、小梅にはなぜ自分のような技倆レベルの者が加えられたのかわからない。
大菩薩山の欠下城から西へ向かい、追分で祝田に向けて進み、根洗松の生える小高い丘の上の本陣が置かれる。そして、小梅はお千代に呼ばれて、本陣に入り信玄の前に出向くことになる。そこでノノウ・小梅は特別の祈祷を行うことになるのだ。それも自らがしらない形で・・・・。
ここから、ノノウ・小梅が他のノノウとは違った形でノノウの役割を果たし始める。
信玄の亡き後、信濃に帰り咲いた武田信虎の暗殺受命、呼ばれて出向いた真田幸隆への祈祷・口寄せ、さらには、武田勝頼へのお目通り・・・。
そして、小梅の数奇な過去が明らかになっていく。その過去が、小梅に禍をもたらし始める。小梅を助けるのは喜兵衛なのだ。
ストーリーのクライマックスの場は蓼科山、この山には甲賀三郎の伝説があるという。本書にはこの伝説がうまく取り込まれているようだ。それもオカルト・モードで。
本書34ページにこんな一行がある。川中島の戦いに絡んだ記述だ。
「この戦が、甲越相方に甚大な被害を及ぼし、戦に出た兵の実に六割が命を落とす、地獄の戦になることを、しかし勘助はすでに知っていた。」
この末尾の「しかし勘助はすでに知っていた」に付点が打たれている。この付点、なぜ強調するのか・・・・最後になってやっと、その伏線の謎が解けた!
実に奇妙な転回だ。筆者のニヤリとする顔を想像したくなる。
終章は天正11(1583)年春、小梅と喜兵衛こと真田昌幸の再会。そして小梅は昌幸の前を去る。その後、近江路では子連れの歩き巫女の話題が持ちきりとなる。託宣、口寄せ、祈祷の悉くが評判になっていた。
演出家・脚本家でもあった筆者の作品だけあって落としどころが良い。
史実を浮かび上がらせるように織りなす忍び働きを楽しみたいなら読むのは止めた方がいい。
史実を材料に組み立てたエンタテインメントを存分に楽しみたいなら読むのをお勧めする。
ご一読、ありがとうございます。
小説の世界に対して、基礎となっている事実情報を参考にネット検索してみた。
(本書に添付の参考文献を読むのが一番基礎的事実情報に肉薄できるのだろうけれど・・・)
御柱祭 :ウィキペディア
御柱祭!これが本当の木落しじゃぁ~! :YouTube
諏訪大社御柱祭木落とし 2010年3月 :YouTube
諏訪大社上社御柱祭 前宮三之御柱 3/4 :YouTube
長野県 茅野市 諏訪大社上社前宮 御柱祭 里曳き 建御柱
ミジャグジ :ウィキペディア
ミシャグジ様 :「日本の伝説」
歩き巫女 :ウィキペディア
忍者 :ウィキペディア
伊賀流 :ウィキペディア
甲賀流 :ウィキペディア
甲賀五十三家 :ウィキペディア
甲賀望月家 ←望月家 :ウィキペディア
武田信玄 :ウィキペディア
山本勘助 :ウィキペディア
川中島の戦い :ウィキペディア
三方ヶ原の戦い :ウィキペディア
長篠の戦い :ウィキペディア
真田昌幸 :ウィキペディア
魚鱗の陣 ← 陣形 :ウィキペディア
蓼科山のライブ画像 :山のライブカメラ
蓼科山 :「山たまごの東海岳行」(岳行ノート)
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