遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『利休の風景』 山本兼一  淡交社

2013-09-09 10:43:36 | レビュー
『利休の風景』 山本兼一  淡交社

 奥書を読むと、本書は著者による月刊誌『淡交』(平成22年新年号から平成23年12月号まで)への連載に加筆・修正したものだ。千利休とその周辺の人々に関して著者が思索した心象風景がエッセイとして結実している。そして最後は、京都府大山崎の禅刹・妙喜庵内にるある茶室・待庵での、樂吉左衛門と著者との対談で締めくくられている。
 エッセイが24篇、そして対談である。対談は本書の出版に当たっての新規収録だという。

 ご存知のとおり、著者は平成20年、『利休にたずねよ』で直木賞を受賞した。平成16年には『火天の城』で信長、安土城を取り扱い松本清張賞を受賞している。先日読後印象を掲載しているが、最近作の『花鳥の夢』の最終展開あたりで千利休が登場してくる。直接、間接に千利休のことを考え続けてきた著者の思索の中の風景が窺え興味深い。当然のことながら、小説に描かれた利休に対する読後印象とこのエッセイを千利休に関わる知識情報源として読んだ印象が重なり、共振してくる。

 著者は千利休をいろんな切り口から眺めていく。 一つのエッセイにはいくつもの観点が入り込んでいるが、読後印象から敢えて仕分けてみると、私には大凡こんな切り口が見える。各項目にある部分強引に分類記載したのはエッセイのタイトルである。

 茶の湯とは
  侘びと艶、異端のダイナミズム、レトリックの達人、紹鴎の教え、珠光の戒め
 人間利休
  恋い-命の芽吹き、悟りと執着、大胆であること、理知と奔放、美の苦しみ
  奢りか冤罪か
 茶の空間としかけ
  末期から始まる、異界への旅、胎内回帰装置、玄妙なる空間、亭主の愉しみ
 茶道具
  鳥籠の水入、憧れと懐かしさ、長次郎の伝説
 周辺の人々
  等伯と永徳、会所と同朋衆
 時代・環境
  夢のあと、禅について、戦国期のバブル

利休像を多面的に浮かび上がらせて、利休が生きた時代の風景の中に利休を置こうとしているように思える。紹鴎と珠光は利休が接した周辺の人々でもある。
そして、その風景の中に収まりきらない局面が利休の普遍性なのかもしれない。

 紫野大徳寺の聚光院は両親が戦後に部屋を借りていた時期があるとかで、少年時代から聚光院を訪れ、茶室・閑隠席を覗いていたという。そして父から「ここで、利休が腹を切ったのだ」と聞かされて育ったらしい。後の研究でそれは誤伝だったようだが、著者はそこに利休居士の原風景があるという。そこを原点に利休への思いが醸し出された結果、何十年後に作品として結晶したのだろう。

 著者は利休の侘び茶の心は、珠光のいう枯れるということ、冷え痩せた風情とは異質のものと見る。紹鴎の求めた枯淡の境地でもない。命の艶やかさを潜めた枯淡が表す侘びだという。おのれの美学に大胆な情熱と自負を生涯抱き続けた人物だととらえる。「居士の美学に、あくまでも均整、調和をたもとうとする保守性と、そんな保守性を破壊する前衛、異端のダイナミズムとの逆方向の二つのエネルギーを強く感じる」(p41)と記す。利休が「つねに曲尺割(かねわり)の紙を持ち歩いていて、棚飾りをするときはそれを使って正確に道具の位置を決めたという」(p125)。極限までの調和を求める美学であり、保守性を発揮していたようだ。
 また、30年に及び古渓宗陳和尚に参禅し、居士号をさずけられるまでの禅の境地に達した利休が、一方において茶道具にはすさまじいまでの執着、情熱を抱き続けた側面について、エピソードをあげて語っている。利休の人間像が見えておもしろい。悟りと執着の二面性に疑問を抱きながら、その一点に引きつけられていく著者の思いになるほどと思う。 利休にとっての茶室が、異界への旅の場所であり、茶室を胎内回帰装置と著者流に名付けている方向への進化だったという見方には興味をそそられる。利休前、利休後の著名な茶人たちがデザインした茶室の違いが、茶の湯に求める理念、精神の違いであることについて、順次例を挙げて説明しているのは、おもしろい。茶道は一つと思い込まない方がいいということではないか。様々な茶の湯のあり方が存在するということだろう。茶の湯にどのような風景を求めるかの違いであろうか。

 著者は、利休居士が「恋する情念の強い男性だった」と想像している。そして「強烈な美意識をもった居士が、女性の好みにもやかましかったであろうことは想像に難くない。寝食をともにする女性には、注文も多かっただろう」(p23)と想像する。曲尺割の紙を常に持ち歩くという行動を考えると、さもありなん・・・である。本書で人間利休に関わる視点のエッセイを読むことで、ますます茶の湯の聖人利休ではなく、人間利休の有り様がどうだったのかの局面に関心と興味を私は深めている。本書はそのトリガーとなった。

 最後に、待庵における樂吉左衛門と著者との対談「利休がいるところ、待庵」の記録はおもしろい。対談ではあるが、二人のクリエイターがそれぞれ己の利休に対する思い、考えを述べ合っている。あくまで述べ合っているにとどまている印象が強い。お互いの思いをある局面で認め合いながら、二人の思いが一致し合意に至るという形にはなっていない、と私は感じた。収束することなく、スパイラルに上昇拡大するかあるいは深く掘り下げられていくという感じに近い。お二人が己の創造の領域とそこでの体験を基盤にして、己の利休像を語りあっただけのように思える。だが、そこには読み手にいろんなヒントを提示してくれているのだ。利休に対する人それぞれの深い思いを感じる。

 対談から二人の思いの一端を対談の前半部分からいくつか引用しておこう。
 <著者>
*「この人を何とか落ち着かせなくてはならない」「この人を一人静に坐らせてあげる場所を作るのがいいんじゃないか」、そう考えてこの待庵を作ったのではないかと思っています。  p174-175
*私は、利休は「パッション」の人、情熱の人だと思っているのです。・・・必ずしも「侘び寂び」ばかりではなくて、根底には「パッション」「情熱」、言葉を換えれば「艶っぽさ」「色気」があると思います。 p178-179
*今感じているのは、ここ(=待庵)は客としたら居心地のいい場所だということです。ただ、作る側からしたら、これを作ってしまったら次に何をしようと悩むと思う。p186
*黒茶碗の話をしていると、どんどん文学に近づいてくる。それでいて言葉を呑み込まれてしまうのでは、私など、とても太刀打ちできません。ほんとに表現しにくい茶碗ですね。 p194
 <樂吉左衛門氏>
*利休の表現の根底のところに極小の空間とそこを充たす薄闇があるような気がして。おそらく利休の茶室はどこに行っても暗いような気がするのです。  p176
*表現の在処は時に逆説的であり、自己矛盾に充ち、決して順列や並列の、単純な結ばれ方はしない。 p177
*僕の身の丈で捉えれば、やっぱり「利休は表現者」という一点でしかない。・・・ギシギシギシギシ軋んだ自己矛盾の最中、身を置いてこそ、ものが生まれる。 p181-182
*僕には(この待庵に)苦悩が見る。と言うか、ここにはちゃんと苦悩もあるような気がするんです。・・・・だから所詮、待庵に坐って利休を捉えたって思っていても、結局は自分自身の心の反映なのかと思ったりもする。ここにあると仮定する苦悩は所詮、僕の中にあるものかもしれない。  p185
*混沌としていて黒でありながら黒を超えている。要するに言葉による認識を飛び越えている凄さがこの長次郎の茶碗にはあるんです。それはまさに、どこで言葉を止めていいかといこと。ものを作っている人間は手が言葉で、一つ一つ削る。それが言葉になる。でもそれをどこで止めていいのか分からない。そこがものすごく悩ましいところであって、それこそが利休が最終的に秀吉に、あるいは世の中に突き付けたものではないのかって思うんです。秀吉って黒茶碗、嫌いだったんですよ。  p195
 
 この後、対談は「利休はなぜ死を選んだのか」「自我との戦い」への展開していく。


ご一読ありがとうございます。

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本書から関心を抱いた関連語句をネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。


武野紹鴎 :「茶の湯 こころと美」
大黒庵武野紹鴎邸址 :「フィールド・ミュージアム京都」
村田珠光 :ウィキペディア
村田珠光 :「茶の湯 こころと美」
 村田珠光「心の文」はこちら  
破格僧 一休宗純と茶の湯 :「京の春夏冬」(京都小売商業支援センター)
利休の生涯 :「茶の湯 こころと美」

長次郎 :ウィキペディア
樂美術館 公式サイト
  樂歴代紹介 樂焼450年 問い続けられた伝統と創造のドラマ

黄金の茶室
大阪城天守閣「黄金の茶室」で茶会 :YouTube

待庵 ← 妙喜庵 :ウィキペディア
 待庵 :「妙喜庵 ホームページ」
国宝茶室 待庵
待庵 :「岩崎建築研究室・日誌」


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その点、ご寛恕ください。)



 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『花鳥の夢』 文藝春秋

『命もいらず名もいらず』(上/幕末篇、下/明治篇)  NHK出版

『いっしん虎徹』 文藝春秋

『雷神の筒』  集英社

『おれは清麿』 祥伝社

『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』 講談社

『まりしてん千代姫』 PHP

『信長死すべし』 角川書店

『銀の島』   朝日新聞出版

『役小角絵巻 神変』  中央公論社

『弾正の鷹』   祥伝社