遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『抗争 巨大銀行が溶融した日』  江上 剛  朝日新聞出版

2016-01-09 00:40:40 | レビュー
 バブル経済の崩壊と世界のグローバリズムの過程で、政策的に巨大銀行が創出された。バブルの崩壊は巨額の不良債権を抱えた銀行を数多く発生させ、金融再編成の推進で銀行等の統廃合が繰り返され、結果的に巨大銀行(メガバンク)が誕生した。そして、現在の日本は現象面ではメガバンクが金融経済界のメイン・プレーヤーになっている。つまり、三菱UFJ、みずほ、三井住友という3大フィナンシャル・グループ体制である。巨大銀行としては、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、三井住友銀行、りそな銀行の4つだ。それぞれは、様々な銀行が統合された結果である。外観はスマートな内部統制の取れたメガバンクに見える。はたして内部統制は一つの銀行としてガバナンスが効いているのだろうか。この小説はメガバンクの隠れた側面を見せつける興味深さに溢れている。

 この小説は、風土の異なる銀行が統合されてできた巨大銀行が理念としてのワンバンクになりきれない段階で組織的に崩壊、メルトダウンする局面を鋭く描き出している。異質な風土の銀行が統合されて巨大銀行になったが、そこに含まれる脆弱性をフィクションの形で摘出している。脆弱性がどこにあるか、それがどのように作用するかを描き出す。この小説に登場するメガバンク・ミズナミ銀行は、現実に存在する巨大銀行がかつての各銀行の風土、人間関係、バブル期の負の遺産を継承する状態をある意味で活写しているのではないか。現実の巨大銀行を写し出す鏡でもあり、現状の巨大銀行の内部に潜む脆弱性に対するリスクマネジメントへの警鐘かもしれない。

 ミズナミ銀行は3つの銀行が政府の金融政策を背景に統合された巨大銀行である。2000年9月に、大洋産業銀行、扶桑銀行、日本興産銀行の3銀行が持ち株会社を設立し、その傘下で経営統合する形態でフィナンシャルグループとなった。グループの傘下で、中小企業、個人などの取引を担うミズナミ銀行と大企業取引を担うミズナミコーポレート銀行に経営統合・再編成された。そのミズナミ銀行が舞台となる。新たなミズナミ銀行には、旧大洋産業、旧扶桑、旧日本興産の銀行出身者が共存して組織編成に組み込まれている。

 このそれぞれの旧銀行は問題を抱えていたのだ。大洋産業銀行は、大洋銀行と産業銀行がまず合併してできた銀行であり、合併当初からいがみあいと牽制が内在した。そして、総会屋事件という未曾有の大スキャンダルを引き起こしていて、取締役ら11人が逮捕され、相談役1人が自殺したことで経営が混乱したという背景を持つ。扶桑銀行は、バブル期のスキャンダルめいた融資の処理が不十分で経営の内実はひどい状態だった。そこに取引上で親密な大手の川一証券が飛ばしの発覚で経営破綻に追い込まれ、扶桑に支援を求めた。扶桑銀行がその救済拒否をした結果、扶桑銀行の経営悪化説が炎上する形になった。大胆な経営再建を迫られるに至っていた。また日本興産銀行は、バブル期に、暴力団が背景にいると噂のあった大阪の料亭の女将に対し巨額の融資をし、不良債権を発生させて信用を失墜させていたのである、その一方、産業金融の雄として、一般金融の銀行とは一線を画したエリート意識が強い銀行だった。
 こんな内実問題だらけの3銀行が合併統合するのだが、見かけは最強の金融機関が誕生したかのように世間には見えたのだ。
 この設定って、かつて実在した銀行で実際に発生している事例があり、実にリアルではないか。

 このミズナミ銀行で、2011年3月、東日本大震災の義捐金振り込みの集中が原因でシステム障害が発生する。そして全店のATMが稼働しなくなるという事態を起こすところから、ストーリーが始まる。この類似状況もどこかの巨大銀行で現実に発生している!
 ミズナミ銀行にとっては、2002年4月に、ミズナミフィナンシャルグループが正式に発足した際に、システムが正常に稼働せず、ATMが使用不能となる事態を起こしていたので、二度目のシステムトラブル問題となった。
 この結果、旧扶桑銀行出身の八神圭太郎頭取は、システム障害の復旧解決の先頭に立って尽力していたのだが、経営責任を取るという形で退任させられる。頭取は旧日本興産銀行出身の藤沼力が就任する。藤沼は事態の早期幕引きを金融庁にも根回ししていたのだ。八神は一人責任を取らされ、藤沼の野望が実現し、旧日本興産系がミズナミ銀行を牛耳る形となることに怒りを抱く。そして、旧扶桑系による頭取職の奪回、つまり旧扶桑銀行の優位性を再び築くことを願望する。己がいわば院政を行いたいがためである。そこで外からの画策を考える。
 システム障害の大本は、旧大洋産業銀行のシステムを継承したことに由来するのだが、旧大洋産業銀行出身の大塚正雄はミズナミコーポレート銀行頭取職として生き残る。その大塚は藤沼の意向でミズナミ銀行の会長に祭り上げられて、藤沼が頭取として君臨し、ワンバンク化を目指すシナリオを推進しようとし始める。
 つまり、この小説は建前としては巨大銀行に統合されたものの、銀行組織としては歴史・風土の違う旧銀行の派閥における人事バランスからの脱却が困難なこと、そして派閥が消滅しないままで組織運営が行われていること、逆に派閥の強弱を眺め、大樹にすがろうとする輩も居ること、などの内情を描き出す。組織が大きくなると、その中に派閥が生じるという人間の性なのか。この側面は実にリアルで鮮やかな筆致である。銀行員だった著者が銀行の内部から眺めた視点がストーリーに生きているように思う。
 これは現状の日本の巨大銀行にもあてはまることではないだろうか。見た目のスマートさの背景に・・・・。

 この小説では、ミズナミ銀行の溶融へと導くトリガーが2つ併行して発生してくる。
 一つは、2013年6月26日の早朝に高井戸の自宅マンションを出て、駅まで5分の徒歩での出勤途上だった北沢敏樹が待ち伏せていた何者かにより殺害され死亡する。北沢はミズナミ銀行のコンブライアンス統括部次長であり、反社会的勢力認定やパシフィコ・クレジットとの交渉を担当していた。パシフィコ・クレジットは消費者ローンを取り扱っている。ミズナミ銀行から資金提供を受け、消費者に対する与信判断、債権管理、信用保証まですべて行っている消費者金融会社である。そのため、ミズナミ銀行は金だけを出す丸投げの債権者になっている。その残高が8000億円近くに膨らんでいるのだった。その中には、暴力団に関係する消費者ローンが含まれている可能性があるという。それは現在では法律違反に繋がる問題なのだ。殺人事件として、警視庁捜査1課が捜査活動を始める。犯行はプロの手口に見える。北沢が被害に遭う背景にどんな闇がひそむのか。
 もう一つは、ミズナミ銀行の本店の応接室を利用して、審査第一部審査役の織田健一が大手機械メーカー会長の未亡人に持ちかけた投資案件である。特別なスキームの短期的な投資案件として形式を整えた儲け話をもちかけて、その投資金を詐取しようとする。その案件には、柳井邦夫という暴力団の元企業舎弟が関わっているのだった。メガバンクの銀行員が、統合後の銀行内での昇進に対して、不満を抱いている。そこには旧大洋産業銀行時代に携わっていた業務での行動の結果としてのうわさが尾を引いていると上司から仄めかされたのである。そこで、再び柳井から持ちかけられたスキームの疑装投資案件で、銀行の信用を背景に、億単位の詐欺行為を謀ろうとする。

 ストーリーは、派閥の確執とこれら2つのトリガーに様々な濃淡で関わる人間模様を織りなして行く。ストーリーはミズナミ銀行のコンプライアンス問題という観点が中心となって展開する。コンプライアンス統括部総括次長・橋沼康平がストーリーの軸となっていく。その協力者として警視庁組織犯罪対策第四課所属の齋藤弘一刑事が登場する。このストーリーにでてくるような日常行動をとる刑事が現実にいるのだろうか? これも関心を抱かせる点だ。組織犯罪対策畑の刑事が暴力団とかなり懇意になっているストーリーは警察もの小説では頻繁に登場する。こちらは銀行内部とかなり深いつながりを持ち、懇意になっている形で描かれて行く。こちらの懇意さがあっても不思議ではないのかもしれない。橋沼康平の上司は、倉品実常務であり、彼がコンプライアンス統括部部長を兼務している。倉品と橋沼は旧大洋産業銀行出身である。倉品は派閥権力の動きに敏感な世渡り上手な人物として行動している。倉品が部下になる殺された北沢に対する態度や織田に関する橋沼からの報告に対する倉品の姿勢に、橋沼は違和感を抱き始める。

 部下である北沢が殺害されたことを契機に、北沢が担当していたパシフィコ・クレジット絡みの真相解明を目指そうとする。齋藤は橋沼の協力者となる。パシフィコ・クレジットの利用者の中に暴力団が含まれているならば、それは齋藤の関わる仕事でもある。
 北沢の葬儀の式場で、橋沼は銀座のバーに勤めているという榊原朋子から、バーのマダムに織田が持ち込んだ投資案件のことを北沢に話したことを告げられる。朋子は北沢と婚約していたのだった。それ自体を橋沼は初めて耳にするのだが・・・・。

 メガバンク内の熾烈な派閥抗争が基盤となり、北沢の被害により浮かび上がったパシフィコ・クレジットの暴力団への融資問題、銀行を舞台に行われる詐欺行為、権力闘争の人間模様、抗争に勝ち抜くための権謀術数と情報リークなどが交錯しながら、どろどろとした絵模様が織りあげられていく。
 事実は小説より奇なりとも言われる。現存のメガバンクの内部奥深くには、もっとどろどろとしたものが存在するのかもしれない。

 ストーリーは銀行の組織、人間模様と派閥抗争の実態についてある局面を活写し、また銀行のコンプライアンス問題に光を当てている。過去をご破算にしてメグバンクが誕生した訳ではない。過去を継承しながら、そこに潜む問題事象の解消をめざしてメガバンク化したのだ。まだまだ密かに膿みとなる原因、メルトダウンにつながる要因が内在すると、著者は暗に語っているのか。小説として意外な人間関係の結末が描かれていく点もおもしろいところである。
 もう一つ、金融庁の金融検査、検査官が登場する。この金融検査官の思考と立ち位置が描き込まれている点も興味深いところである。官僚センスに溢れている。ここにも実態の一端が活写されているといえるのではないか。

 このストーリー、最後は藤沼頭取の記者会見の場面でエンディングとなる。この場面がおもしろい。ご一読いただくと楽しめるだろう。
 北沢を殺した真犯人はだれだたのか・・・・それは語られずに、小説は結末となる。
 この小説、第二部が構想されるとおっもしろいのではないか。タイトルの「抗争」がここで集結した訳ではないのだから。
 
 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この作品の背景にある現実の状況をふりかえるために、背景事項をいくつか検索してみた。温故知新でもある。一覧にしておきたい。
メガバンク  :ウィキペディア
最近の銀行の合併を知るには :「全国銀行協会」
銀行合併の歴史  :「Misc」
みずほフィナンシャルグループ大規模システム障害 :「失敗知識データベース」
みずほ銀行が大規模障害を繰り返す本当の理由  :「IT pro by 日経コンピュータ」
みずほ銀行  :ウィキペディア
みずほ銀、“鬼門の”システム統合でなぜ再び遅延?旧3行意識、ベンダ共同発注も仇に
    2014.04.26  :「Business Journal
2014年金融機関の不祥事一覧・まとめ[金融ニュース]  :「NAVERまとめ」
三菱UFJ銀マルチ勧誘・巨額損失事件、被害女性が告訴へ 銀行側は謝罪するも責任認めず       2013.10.14  :「Business Journal」
三菱東京UFJ銀行 横領詐欺の不祥事   :「粉飾決算 脱税と倒産」
日立と三菱UFJ銀の偽装請負 国会質問 大門みきし氏
三井住友銀行員が語る「エリート銀行員のトンデモ実態と”癖”」:「buisiness Journal]
2009年に郵政不祥事がなぜ発覚したのか?  山本正樹氏
三井住友銀行ATMでシステム障害トラブル  :「ニュース速報Japan」
行政処分事例集  :「金融庁」
  全金融機関に対する個別の行政処分が事例としてEXCELファイルの一覧に!
【不祥事】りそな銀行行員、顧客の金使い果たして自殺:「気ままに備忘録and TIPS」
住友銀行  :ウィキペディア
損失補填 :ウィキペディア
野村證券出身者はなぜ悪事を働くのか (日刊ゲンダイ2012/3/26) 
  :「日々坦々」資料ブログ
山一證券  :ウィキペディア
三菱東京UFJ銀行 減るポスト、遅れる昇進、拡がる格差
    2009.12.27 :「My News Japan」
りそな銀、「自分に終止符を打った」行員たち ボーナス14万でも辞めない訳
    2008.1.7  :「My News Japan」
りそなは銀行再編の「台風の目」!? 公的資金完済へ 高まる経営自由度
    2014.8.31  :「産経ニュース」

主要行等監督上の評価項目  :「金融庁」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『狂信者』  幻冬舎