遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『庶民に愛された地獄信仰の謎』 中野 純 講談社+α新書

2019-03-04 10:14:19 | レビュー
 表紙の裏側に記された著者の略歴には、「体験を作り、体験を書く、体験作家」と最初に紹介されている。自らの体験を主体にそれを語り記すという意味での体験作家と理解した。本書は著者が東京都並びに周辺の関東諸県を中心に、十王堂・閻魔堂を巡ってそこで体験したこと、妄想したことを紹介している。
 そこには閻魔(えんま)、十王、司命(しみょう)・司録、奪衣婆(だつえば)、縣衣翁(けんねおう)、倶生神(くしょうじん)、鬼卒などという地獄のキャラクターがひしめき合っていたりする。さらに、浄玻璃の鏡、業(ごう)の秤、人頭杖(にんとうじょう)、舌抜きなどの備品が置かれているところも多いという。お堂の外の石仏の中にも混じっていたりするという。
 著者はこれらの地獄のキャラクターに着目する。「恐いだけが地獄ではない。最近あまり流行(はや)らなくなった地獄を、このまま失っていくのはよくない気がする。そうだ、闇のワンダーランド、地獄へ行こう」というスタンスから、地獄のキャラクターを体験的に再発見しようと関東地区を中心に縦横に、十王堂・閻魔堂を巡って行く。

 ここでは、その地獄のキャラクターの中で「奪衣婆」をメインに「閻魔」も取り上げていく。勿論地獄のキャラクターを語るのに閻魔抜きでは語れない。
 各地にある十王堂・閻魔堂は我々にとっての身近な冥界であり、庶民の信仰対象となってきた状況を著者は様々に語る。そして、自分の体験と感想を連ねて行く。

 著者はその体験を軽いノリを交えながら語り継いでいく。地獄のキャラクターを見つめながら、そこで感じ妄想したことを文に紡いでいく。著者は学者・研究者ではないので、己の妄想として思ったこと・感じたことをはっきりと「妄想」と表現して書き込んで行く。この妄想部分の説明が結構おもしろいのだ。それ故、肩肘張らずに、奪衣婆や閻魔の世界に馴染んでいける。出会った閻魔や奪衣婆などを誰に似ているかなんて書き込んで行ったりもする。とは言いながら、日本における地獄観、基礎知識はちゃんと押さえて説明している。その上で、地獄信仰の謎部分に焦点をあてながら、感想・妄想・自説を述べている。

 西多摩郡日の出町に保泉院があり、そこにちょっと有名な閻魔大王像があるそうだ。著者はその像を拝んだ後、その脇にある玉眼が失われた小さな像の存在感に心を奪われたという。よく見るとそれが奪衣婆像だったとか。その時の感動から、それまでまったく興味のなかった奪衣婆に惹かれ、奪衣巡りが始まったそうだ。その集約がこの本。
「閻魔さまより奪衣婆!」が最初の小見出し。その末尾を紹介しょう。本書のノリが多少伝わるだろう。
”だがいまや、米米CLUBの名曲『君がいるだけで』が、「だつえば、君がいるだけで、心が~」と、奪衣婆への愛の歌に変わって頭の中でリフレインし続ける始末。ちょっと気を抜くと、日常会話の中で「たとえば」と言うべきところを「だつえば」と言ってしまうし。”(p15)

 人が死ぬと7日(/14日)目に三途(さんず)の川を渡って冥界に行くとされている。奪衣婆は、その川岸で待ち構えていて、亡者の着衣を剥ぎ取る鬼歯のこと。その剥ぎ取られた着衣を縣衣翁が受けとって、衣領樹(えりょうじゅ)という大木に懸けるそうである。着衣の懸けられた枝のしなり具合で、亡者の罪の軽重がまず最初に量られるという、
 この奪衣婆のことは、通称『地蔵十王経』に出てきて、日本独自の発想だという。というのは、このお経は平安時代末期に日本でつくられたとされる偽経と考えられている。「『地蔵十王経』は仏教に道教を激しく混入させたうえに、日本の古い信仰を練り込んである」(p18)という著者の表現で、ちゃんと基本的知識も解説している。
 また、奪衣婆が三途の川のどちら岸に居るのかという謎についても縷々解説する。
 
 閻魔大王像や他の地獄のキャラクターもそれぞれ個性的なものがあるが、奪衣婆像はダントツだという。「奪衣婆像は、一体一体、実に個性的で、同じようなものが一つとしてない!」「とても伸び伸びと自由に表現されている」(p15)と断言する。本書は、十王堂・閻魔堂を巡り、それを証明するために書かれたとも言えよう。軽いノリと奪衣婆を眺めての妄想の広がりも含めて軽やかに語っていく。
 本書冒頭には、口絵がずらりとまとめてある。そこに16葉、奪衣婆の画像が並ぶ。また、p17には12体の奪衣婆画像が例示されている。その表現方法はバラエティに富むこと。一目瞭然だ。そこに奪衣婆の魅力と面白さがあるのだろう。

 一方で、奪衣婆の表現にも基本要件があると著者は記す。要約する。
 a.トレードマークは垂れ乳を露わに見せ、はだけた胸に肋骨が浮き立っている。
 b.殆どがほぼ垂直の立て膝で坐っている。 
 c.膝下のナマ足がしっかり見えている 
 d.ヘアバンド(鉢巻き)をした長い髪を真ん中で分けている。
 e.顔は皺だらけ、眉は太く、目を見開き、口を広く開けている。
 f.白い衣を着て、右手で白い衣をつかみ、左手は左膝のあたりに。
 g.ゴツゴツした岩石っぽい台座に坐っている。
そして、奪衣婆は、三途の川・衣領樹とセットになっている。
 これらは、各地の奪衣婆巡りのなかで、分かりやすい事例とともに分散的に説明されていく。その説明が、ときには微に入り細に入り、妄想・連想を交えながら広がっていて気楽に読めるのがいい。まあ、p33にその集約的なまとめが、「これを押さえれば君も奪衣婆に!」という見出し文の中にあるけれど。

 奪衣婆について、著者が論じる要点がいくつかある。引用あるいは要約で記す。
*奪衣婆は民間信仰とつながって『しょうづかの婆さん』などと呼ばれ、庶民に親しまれてきた。とても身近な、怖いけどやさしいおばあさんだったのだ。 p16
*奪衣婆の起源は、子どもをたくさん産む山の神や山姥(やまうば)ともいわれ、その姿は、女性が禊をする姿からきたという説もある。 p21
*奪衣婆に白い真綿を納める。この奪衣婆と真綿の関係は、亡者が奪衣婆に白い死に装束を奪われることとイメージが重なる気がすると著者は言う。 p68

 第2章「地獄のちょい役列伝」では地獄のキャラクターのそれぞれについて説明を加えている。著者は「7日目ごとの十王の審判は、古代メソポタミアの女神、イシュタル(イナンナ)の冥界下りを連想せずにはいられない」と視野を広げている。また、倶正神を「チクリ神」と呼んでいるというのがおもしろい。

 第3章「街角の地獄、二丁目の秘密」では、新宿二丁目の太宗寺を紹介している。私は関西に住んでいるのでそう簡単にはちょっと覗いて観ようと出かけて行けないのが残念だ。ここは代表的なお薦めスポットのようだ。他の章でも、著者はこの寺について触れている。

 本書の副題は「小野小町は奪衣婆になったのか」である。奪衣婆の特徴やその彫像表現の多様性を第1章で述べた後、第4章で、鎌倉や京都・奈良などの地獄に話を進める。京都が出てくると、私には実際に見ているものもありイメージが湧きやすい。
 そして、ここで、小野小町伝説と奪衣婆との関係に触れられていく。湯沢の雄勝町にある十王堂の奪衣婆から始まって京都・洛北の補陀洛寺の小町老衰像につながり、各地の小町伝説・伝承や観阿弥作『卒塔婆小町』などが重ねられていく。小野小町と奪衣婆の結びつきについて、「結局、老小町は奪衣婆だと言い切るのは無理がありすぎる」と言いつつも、著者の妄想が展開されていくところがおもしろい。p93~104である。

 第5章「リアル三途の川をガチ渡り」は体験作家の本領発揮というところ。
 「三途の川」や「賽の河原」と実際に称されている場所が日本の各地にあるというのは以前に何かで読み、知ってはいた。それは場所の紹介レベルだった。だが、実際にその場所を訪れて歩き通し、体験記を書いたものを読むのは初めてである。
 本書では、奥多摩にある日原鍾乳洞、群馬県甘楽町の「三途川」での感想がまとめられている。著者は地獄の思想は世界各地に普及していると述べ、三途の川に相当するイメージで受け止められている川を紹介する。エジプトではナイル川、ギリシャではステュクス川、ゲルマンの神話ではギョル川、中国では奈河がそうらしい。おもしろい。
 「賽の河原も実は、経典に典拠がなく日本独自のものだ。そもそも三途の川のほとりには賽の河原などなかった」と著者は論じている。両者の関係を考えた事がなかったので、意外であり新鮮な思いがした。「とはいえ、賽の河原が三途の川のほとりであると見られることは多い」(p122)と続けている。このあたり、また調べてみたい気がする。

 第6章「独立地獄と閻魔の末裔」では、著者独自のネーミングでの紹介である。著者は「お寺とは関係なく、集落のみんなで守ってきた完全にインディペンデントな閻魔堂、十王堂」のことを「独立地獄」と呼ぶ。川崎市の初山十王堂と小金井市の貫井共同墓地閻魔堂を例に挙げて語る。
 また、下総の広済寺の地獄仮面劇「鬼来迎」を紹介している。かつては下総の浄福寺や迎接寺にも鬼来迎が行われていたという。

 第7章「すばらしき地獄の景観」は、東京から一番近い火山地獄である箱根の地獄紀行をメインに据える。そして、那須の地獄、雲仙温泉の地獄、別府地獄巡り、立山・芦峅寺の布橋大灌頂を紹介している。先日、ある講座で立山信仰と立山曼荼羅で布橋ということを聞いていたので、布橋大灌頂の行事内容の説明がここに記されていて、興味深く読めた。
 第8章「エンマの休日」では、1月16日と7月16日が地獄の釜の蓋が開き、閻魔さまたちが一息つく日だという。「それに合わせて、ふだん閉ざしている閻魔堂を開け放つ寺が多く、地獄絵も公開したりする」そうだ。著者はこれらの日を「エンマの休日」と称している。ここでは、この「エンマの休日」に合わせて巡った閻魔堂のことを書いている。
 著者は平安時代に源信が著した『往生要集』に登場する地獄の風景を紹介しつつ、「日本の地獄は、最終的には釜茹でに収斂されると思う」と述べ、「時代が下がるにしたがって、怖いことは怖いが、どこかのんきになっていく」と言う。結局、みんな極楽に行けるんだからと。「最後の審判などという恐ろしいものはない。それがのんきな地獄につながっているのだろう」(p179)と論じている。
 岡本太郎作「明日の神話」、『枕草子』の地獄絵話、長崎にド・ロ神父が残した地獄絵についての雑談話などを綴った後で、最後は奪衣婆に関わる妄想話で締めくくっていく。妄想話で終えるところがおもしろいと言える。
 
 いずれにしろ、著者のノリを楽しみつつ、十王堂・閻魔堂巡りを楽しめる本である。私には関東中心である点がちょっと残念というところ。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項で関心の波紋を広げてみた。検索結果を一覧にしておきたい。
十王経 :「コトバンク」
仏説地蔵菩薩発心因縁十王経 :「国文学研究資料館」
仏説地蔵菩薩発心因縁十王経
十王  :「新纂 浄土宗大辞典」
十王経図巻  :「和泉市久保惣記念美術館 デジタルミュージアム」
十王経物語絵図(冥途旅行絵物語)
奪衣婆 :ウィキペディア
奪衣婆 画像  グーグル
閻魔と奪衣婆、そして十王(総集編)  :「のんびり生きよう」
新宿太宗寺の閻魔像と奪衣婆像  :YouTube
登別地獄まつり 閻魔大王降臨   :YouTube
写真: “恐山 三途の川にある奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)”
:「トリップアドバイザー」
地獄とは? :「仏教ウエブ入門講座」
三途の川とは?  :「仏教ウエブ入門講座」
三途川  :ウィキペディア
死後さばきにあう:仏教的地獄絵図  :「カラパイア 不思議と謎の大冒険」
極楽地獄図 :「長岳寺」
「源信」―『往生要集』で地獄と極楽を表わした僧 :「DANAnet」
往生要集  :「新纂 浄土宗大辞典」

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