2013年3月に書き下ろしの単行本として出版された。著者は前年(2012)に『満つる月の如し』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞している。実は著者の作品で一番最初に読んだのが、仏師・定朝を主人公にしたこの小説だった。その後、奥書に記された本のタイトルあるいは新聞広告で目にとまった本のタイトルからランダムに読み継いできた。最近この『日輪の賦』の出版を遅ればせながら知り読んでみた次第。
仏師・定朝が平安時代中期を扱っているのに対し、本書は奈良時代、藤原京遷都(694年)後の持統天皇の治世を扱っている。そのテーマは天武天皇が目指した律令国家体制を律令の発布により真に確立しようと目指す持統天皇及びその時代の政治状況を描くことにあると受けとめた。その成果が、文武天皇の治世の初期において世に出た「大宝律令」である。
この歴史時代小説は、大宝律令が発布施行されるまでの朝廷内の政争と確執及び持統天皇並びに天皇を支えて新律令の発布施行に活動した人々の姿を描く。
ここで、現在の歴史年表での記述法をベースに説明したが、その時代に即して言えば間違った言い方になるだろう。なぜなら、「天皇」という用語はこの「大宝律令」の制定で初めて規定された言葉だそうであるから。また、『日本書紀』が舎人親王により撰上されたとされるのは更に後、720年である。古代史のこの正史に初めて、天智天皇・天武天皇・持統天皇という名称が記述されることになる。
この小説の読後に、手許の『続日本紀(上) 全現代語訳』(宇治谷孟訳・講談社学術文庫)を読むと、文武天皇の大宝元年(701)3月21日条に「対馬嶋が金を貢じた。そこで新しく元号をたてて、大宝元年とした。初めて新令(大宝令)に基づいて、官名と位号の制を改正した」。同年8月3日の条に「三品の刑部親王・正三位の藤原朝臣不比等・従四位下の下毛野朝臣古麻呂・従五位下の伊吉連派博徳・伊余部連馬養らに命じて、大宝律令を選定させていたが、ここに初めて完成した。大略は飛鳥浄御原の朝廷の制度を基本とした。この仕事に携わった官人に、身分に応じて禄を賜った」。そして、翌年2月1日の条に「初めて新律(大宝律)を天下に領布した」、7月10日の条に「詔して、内外の文官・武官に新令(大宝令)を読み習わせた」、7月30日の条に「初めて大宝律を講義した」、10月14日の条に「大宝律令をすべての国に領布した」と記されている。
この小説は、大海人大王(天武天皇)の意志を受け継ぎ、律令の制定と国への周知、つまり律令国家確立を執念でやり遂げようとする讚良大王(持統天皇)とその命を受けて律令編纂に携わる人々の活動プロセスを描く。それは讚良大王たちと、朝廷の閣僚の一員であるが、律令を基盤にした大王による中央集権国家体制に反対の意思を抱く旧来の大豪族たちとの政争対立のプロセスでもある。
正史『続日本紀』は大宝律令に関連した事実結果だけが簡潔に記述されている。それがどのような思いと対立確執の中から生み出されてきたものなのか。史実記録の空隙に著者の想像力が羽ばたき、フィクション化され、描き出されていく。
讚良大王は中央集権の律令国家体制確立という明確なビジョンを引き継ぎ、その具現化をめざすいわばリリーフとしてのトップであり英邁かつ女傑である。一方で大海人大王からの王位を、己の期待に反して早世した息子・草壁王子の子であり孫にあたる珂瑠王子に継承させる意志と執念を抱き、その体制作りを推し進める。讚良大王の意を受けて様々な人々が活動していくストーリー。
主な登場人物をストーリーの展開と絡めて少しご紹介してみよう。
まず、阿古志連廣手が、紀伊国牟婁評(むろのこおり)から新益京(藤原京)に大舎人として出仕する行程場面からストーリーが始まる。京に出仕し髙市王家の大舎人だったが2年前に事故死したと伝えられた兄・八束に続き、廣手もまた京に出仕する道を選ぶ。竹内峠への近道をしようとその途中で強盗に襲われる。
これをたまたま救うのが、男装した女官の忍裳である。忍裳は令外の官であり、特異な装束を身に纏う。讚良大王の腹心である。このとき忍穂に従っていたのが柿本人麻呂という設定になっている。
年老いた人麻呂が廣手に対して陰で情報提供者の役割を担い、廣手をサポートするところがおもしろい。
廣手は葛野王家の大舎人となる。葛野王は壬申の乱で敗れた葛城大王(天智天皇)の子・大友王子の長子である。無官の王族としてひっそりと京に隠棲している。讚良大王は葛野王を信頼している。高市王の突然の死をきっかけにして、讚良大王の重要な側近として政治の舞台に現れていくことになる。これは史実なのかフィクションの要素が大きいのか・・・・。興味深いところ。
葛野王家の大舎人として王家内で仕えていた廣手は、葛野王の了解のもとに、飛鳥浄御原令編纂所の流れを汲む法令殿での手伝いという名目で出仕することになる。法令殿は新たな律令を研究する学問所という名目で、律令の編纂作業に取り組んでいる。だが、そこには律令制定を阻止しようとする右大臣丹比嶋の介入があった。廣手は忍穂を介して、法令殿内部に潜む讚良大王への叛意の疑いを密かに調べるように指示される。そこから、律令編纂というプロセスの周辺要員として間接的に関わりを深めて行く。つまり、律令編纂と政治が絡むドロドロとした側面に巻き込まれていく。だがそれは廣手にとって律令制とは何かを知る契機となる。廣手はこのストーリーの語り部的役割を担っていく。
その過程で、兄・八束の死の原因がどこにあったかという真相にも触れていくことになる。
もう一人、廣手の前に現れるのが田辺史首名である。首名は藤原朝臣不比等の従僕。廣手が泊瀬の葬送地にある八束の墓参りに出かけた日、海石榴市である事件に出会い、官吏から刑を受け痛めつけられた五瀬と名乗る男を助ける。彼は雑戸で、鍛冶司の管理下にある忍海の鍛戸である。五瀬に助けをさしのべた廣手に御礼を述べるために首名が廣手を訪ねた。首名は不比等を崇敬していて、今は低い官位だがいずれ高位に立ち、政治の中枢で活躍する人と信じている。その不比等は首名を介して五瀬に刀剣の鞘飾りについての重要な仕事を頼んでいたのである。この首名が廣手に京の政治の実状や律令制の意義などを教える先達になる。結果的に、二人は讚良大王の先兵としてこのストーリーで活動していく事になる。
讚良大王は、唐に長年留学していた学者である白猪史宝然を中心に法令殿で律令の研究・分析をさせつつ律令編纂の作業をさせる。だが、一方で密かに辣腕の外交官であり唐の事情や制度に造詣の深い伊吉達博徳に密命を与え、密かに我国にマッチした律令の編纂を行っていた。この博徳がいずれ撰令所を主宰していくことになる。讚良大王にとっては、法令殿は一種の反対派の動きをつかみかつ牽制する位置づけでもあった。
藤原不比等は、あるタイミングをとらえて、讚良大王の懐に飛び込んでいく。そこに五瀬の技能者としての技が関係していた。正史の記述からみると、藤原不比等が大宝律令制定・施行という表舞台にその名を連ねていく。このストーリーにおいて、葛野王の変身と関わりがクローズアップされるが、正史には一切表に出て来ない。上記引用の通り、刑部親王の名が正史に残る。この辺りが、虚実皮膜で闇の側面なのかもしれない。歴史時代小説のおもしろみと言えようか。
また、五瀬は大宝律令の発布の一端にも関係していくことになる。このあたりの設定がおもしろい。『続日本紀』には、大宝元年8月7日の条に「これより先に、大倭国忍海郡の人である三田首五瀬を、対馬嶋に遣わして黄金を精錬させていた」という記述がある。この五瀬がこの小説に登場する五瀬と同一人物の想定なのか・・・・その点も興味深い。
『続日本紀』の文武天皇3年の7月21日には「浄広弐(従四位下相当)の弓削皇子が薨じた」という一文が記録されている。没した事実だけの記述である。このストーリーに弓削王子は重要な位置づけとして登場している。著者の独自の視点なのか、裏付け史料があるのかどうかは不詳である。正史に記されない背景の解釈の展開、そこに歴史時代小説の醍醐味の一端があるのかもしれない。
いずれにしても、このストーリーは、讚良大王が己の過去と現在の朝廷内の実状、政争状況などを客観視して語る側面と、阿古志連廣手が己の思いと体験を語る側面を織り交ぜながら、上記テーマに収斂させていく。
歴史年表に記述された史実(事項)の背景に広がっていた状況を、歴史時代小説と言う形で楽しむことから、改めて歴史に向き合うという面白さに触れることができる一書だと言える。
ご一読ありがとうございます。
本書からの関心の波紋で幾つか検索した事項を一覧にしておきたい。
持統天皇 奈良偉人伝 :「いかすなら 奈良県歴史文化資産データベース」
持統天皇 :ウィキペディア
藤原宮跡 :「いかすなら 奈良県歴史文化資産データベース」
飛鳥浄御原令 :ウィキペディア
大宝律令 :ウィキペディア
大宝律令 :「ジャパンナレッジ」
10.律令体制のしくみ :「日本史のとびら」
葛野王 :ウィキペディア
葛野王 :「コトバンク」
高市皇子 :ウィキペディア
刑部親王 :「コトバンク」
忍壁皇子 :ウィキペディア
弓削皇子 :ウィキペディア
白猪骨 :ウィキペディア
伊吉博徳 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『月人壮士 つきひとおとこ』 中央公論新社
『秋萩の散る』 徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』 徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店
仏師・定朝が平安時代中期を扱っているのに対し、本書は奈良時代、藤原京遷都(694年)後の持統天皇の治世を扱っている。そのテーマは天武天皇が目指した律令国家体制を律令の発布により真に確立しようと目指す持統天皇及びその時代の政治状況を描くことにあると受けとめた。その成果が、文武天皇の治世の初期において世に出た「大宝律令」である。
この歴史時代小説は、大宝律令が発布施行されるまでの朝廷内の政争と確執及び持統天皇並びに天皇を支えて新律令の発布施行に活動した人々の姿を描く。
ここで、現在の歴史年表での記述法をベースに説明したが、その時代に即して言えば間違った言い方になるだろう。なぜなら、「天皇」という用語はこの「大宝律令」の制定で初めて規定された言葉だそうであるから。また、『日本書紀』が舎人親王により撰上されたとされるのは更に後、720年である。古代史のこの正史に初めて、天智天皇・天武天皇・持統天皇という名称が記述されることになる。
この小説の読後に、手許の『続日本紀(上) 全現代語訳』(宇治谷孟訳・講談社学術文庫)を読むと、文武天皇の大宝元年(701)3月21日条に「対馬嶋が金を貢じた。そこで新しく元号をたてて、大宝元年とした。初めて新令(大宝令)に基づいて、官名と位号の制を改正した」。同年8月3日の条に「三品の刑部親王・正三位の藤原朝臣不比等・従四位下の下毛野朝臣古麻呂・従五位下の伊吉連派博徳・伊余部連馬養らに命じて、大宝律令を選定させていたが、ここに初めて完成した。大略は飛鳥浄御原の朝廷の制度を基本とした。この仕事に携わった官人に、身分に応じて禄を賜った」。そして、翌年2月1日の条に「初めて新律(大宝律)を天下に領布した」、7月10日の条に「詔して、内外の文官・武官に新令(大宝令)を読み習わせた」、7月30日の条に「初めて大宝律を講義した」、10月14日の条に「大宝律令をすべての国に領布した」と記されている。
この小説は、大海人大王(天武天皇)の意志を受け継ぎ、律令の制定と国への周知、つまり律令国家確立を執念でやり遂げようとする讚良大王(持統天皇)とその命を受けて律令編纂に携わる人々の活動プロセスを描く。それは讚良大王たちと、朝廷の閣僚の一員であるが、律令を基盤にした大王による中央集権国家体制に反対の意思を抱く旧来の大豪族たちとの政争対立のプロセスでもある。
正史『続日本紀』は大宝律令に関連した事実結果だけが簡潔に記述されている。それがどのような思いと対立確執の中から生み出されてきたものなのか。史実記録の空隙に著者の想像力が羽ばたき、フィクション化され、描き出されていく。
讚良大王は中央集権の律令国家体制確立という明確なビジョンを引き継ぎ、その具現化をめざすいわばリリーフとしてのトップであり英邁かつ女傑である。一方で大海人大王からの王位を、己の期待に反して早世した息子・草壁王子の子であり孫にあたる珂瑠王子に継承させる意志と執念を抱き、その体制作りを推し進める。讚良大王の意を受けて様々な人々が活動していくストーリー。
主な登場人物をストーリーの展開と絡めて少しご紹介してみよう。
まず、阿古志連廣手が、紀伊国牟婁評(むろのこおり)から新益京(藤原京)に大舎人として出仕する行程場面からストーリーが始まる。京に出仕し髙市王家の大舎人だったが2年前に事故死したと伝えられた兄・八束に続き、廣手もまた京に出仕する道を選ぶ。竹内峠への近道をしようとその途中で強盗に襲われる。
これをたまたま救うのが、男装した女官の忍裳である。忍裳は令外の官であり、特異な装束を身に纏う。讚良大王の腹心である。このとき忍穂に従っていたのが柿本人麻呂という設定になっている。
年老いた人麻呂が廣手に対して陰で情報提供者の役割を担い、廣手をサポートするところがおもしろい。
廣手は葛野王家の大舎人となる。葛野王は壬申の乱で敗れた葛城大王(天智天皇)の子・大友王子の長子である。無官の王族としてひっそりと京に隠棲している。讚良大王は葛野王を信頼している。高市王の突然の死をきっかけにして、讚良大王の重要な側近として政治の舞台に現れていくことになる。これは史実なのかフィクションの要素が大きいのか・・・・。興味深いところ。
葛野王家の大舎人として王家内で仕えていた廣手は、葛野王の了解のもとに、飛鳥浄御原令編纂所の流れを汲む法令殿での手伝いという名目で出仕することになる。法令殿は新たな律令を研究する学問所という名目で、律令の編纂作業に取り組んでいる。だが、そこには律令制定を阻止しようとする右大臣丹比嶋の介入があった。廣手は忍穂を介して、法令殿内部に潜む讚良大王への叛意の疑いを密かに調べるように指示される。そこから、律令編纂というプロセスの周辺要員として間接的に関わりを深めて行く。つまり、律令編纂と政治が絡むドロドロとした側面に巻き込まれていく。だがそれは廣手にとって律令制とは何かを知る契機となる。廣手はこのストーリーの語り部的役割を担っていく。
その過程で、兄・八束の死の原因がどこにあったかという真相にも触れていくことになる。
もう一人、廣手の前に現れるのが田辺史首名である。首名は藤原朝臣不比等の従僕。廣手が泊瀬の葬送地にある八束の墓参りに出かけた日、海石榴市である事件に出会い、官吏から刑を受け痛めつけられた五瀬と名乗る男を助ける。彼は雑戸で、鍛冶司の管理下にある忍海の鍛戸である。五瀬に助けをさしのべた廣手に御礼を述べるために首名が廣手を訪ねた。首名は不比等を崇敬していて、今は低い官位だがいずれ高位に立ち、政治の中枢で活躍する人と信じている。その不比等は首名を介して五瀬に刀剣の鞘飾りについての重要な仕事を頼んでいたのである。この首名が廣手に京の政治の実状や律令制の意義などを教える先達になる。結果的に、二人は讚良大王の先兵としてこのストーリーで活動していく事になる。
讚良大王は、唐に長年留学していた学者である白猪史宝然を中心に法令殿で律令の研究・分析をさせつつ律令編纂の作業をさせる。だが、一方で密かに辣腕の外交官であり唐の事情や制度に造詣の深い伊吉達博徳に密命を与え、密かに我国にマッチした律令の編纂を行っていた。この博徳がいずれ撰令所を主宰していくことになる。讚良大王にとっては、法令殿は一種の反対派の動きをつかみかつ牽制する位置づけでもあった。
藤原不比等は、あるタイミングをとらえて、讚良大王の懐に飛び込んでいく。そこに五瀬の技能者としての技が関係していた。正史の記述からみると、藤原不比等が大宝律令制定・施行という表舞台にその名を連ねていく。このストーリーにおいて、葛野王の変身と関わりがクローズアップされるが、正史には一切表に出て来ない。上記引用の通り、刑部親王の名が正史に残る。この辺りが、虚実皮膜で闇の側面なのかもしれない。歴史時代小説のおもしろみと言えようか。
また、五瀬は大宝律令の発布の一端にも関係していくことになる。このあたりの設定がおもしろい。『続日本紀』には、大宝元年8月7日の条に「これより先に、大倭国忍海郡の人である三田首五瀬を、対馬嶋に遣わして黄金を精錬させていた」という記述がある。この五瀬がこの小説に登場する五瀬と同一人物の想定なのか・・・・その点も興味深い。
『続日本紀』の文武天皇3年の7月21日には「浄広弐(従四位下相当)の弓削皇子が薨じた」という一文が記録されている。没した事実だけの記述である。このストーリーに弓削王子は重要な位置づけとして登場している。著者の独自の視点なのか、裏付け史料があるのかどうかは不詳である。正史に記されない背景の解釈の展開、そこに歴史時代小説の醍醐味の一端があるのかもしれない。
いずれにしても、このストーリーは、讚良大王が己の過去と現在の朝廷内の実状、政争状況などを客観視して語る側面と、阿古志連廣手が己の思いと体験を語る側面を織り交ぜながら、上記テーマに収斂させていく。
歴史年表に記述された史実(事項)の背景に広がっていた状況を、歴史時代小説と言う形で楽しむことから、改めて歴史に向き合うという面白さに触れることができる一書だと言える。
ご一読ありがとうございます。
本書からの関心の波紋で幾つか検索した事項を一覧にしておきたい。
持統天皇 奈良偉人伝 :「いかすなら 奈良県歴史文化資産データベース」
持統天皇 :ウィキペディア
藤原宮跡 :「いかすなら 奈良県歴史文化資産データベース」
飛鳥浄御原令 :ウィキペディア
大宝律令 :ウィキペディア
大宝律令 :「ジャパンナレッジ」
10.律令体制のしくみ :「日本史のとびら」
葛野王 :ウィキペディア
葛野王 :「コトバンク」
高市皇子 :ウィキペディア
刑部親王 :「コトバンク」
忍壁皇子 :ウィキペディア
弓削皇子 :ウィキペディア
白猪骨 :ウィキペディア
伊吉博徳 :ウィキペディア
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その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『月人壮士 つきひとおとこ』 中央公論新社
『秋萩の散る』 徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』 徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店