入江泰吉は、奈良・大和路をこよなく愛し、心の原風景として大和路の写真をとり続けた写真家である。末尾に載る「入江泰吉年譜」によれば、1905(明治38)年11月5日に生まれ、1992(平成4)年1月16日に逝去。享年86歳。
本書は、小学館文庫ビジュアルシリーズとして2002年11月に初版第1刷が出版された。
手許の本の奥書を見ると、2010年1月第2刷となっている。現在、電子書籍化されている。
ある時奈良での史跡探訪に参加し、「入江泰吉記念奈良市写真美術館」の傍の道を通り過ぎることがあった。写真家の名前は知っていたが、作品集を手にしたことがなかった。この時の探訪で立ち寄る予定には入っていなかった。ちょっと残念な思いで建物を眺めつつ通りすぎた。そんなことから、手頃なこの文庫本を見つけたとき購入し、写真を少し眺めて、改めて・・・のつもりが少し長く書架に眠っていた。
私にとって今が読み時だったのだろう。
コロナ禍の中で今あらためて掲載写真を眺め、幾度も史跡探訪をしてきた大和路とは一味違う風景を感じている。こんな位置、視点から大和路の風景を眺めたことがないと。そういう意味ですごく新鮮だった。飛鳥・奈良時代の歴史を育んだ大和路の風景に触れるという感じである。現代というノイズ(夾雑物)が混在しない実際の風景の美しさ、はかなさがそこに存在する。シャッターの切られた瞬間の風景が心の原風景と重ねられ凝縮され、そこに固定している。仮に今同じ地点に佇んだとしても、同一の景色はたぶん見られないのではないか。まさにタイムスリップした風景と言えるかもしれない。
本文は著者の様々な著作より抜粋されたエッセイが掲載写真に対応する形で載っている。その中にはかつて撮った風景写真の場所からの眺めの変化について触れら箇所がある。
本文を読めば、著者がなぜ大和路を取り続けてきたのかを理解できる。
眺め、読み終えて、末尾を見ると、この本のプロフィールが簡潔に記されていた。
「本書は、入江泰吉が1950年ごろ~86年に撮影した写真と、1958~88年に発表したエッセイにより構成した文庫オリジナルです」と。改めて目次をみるとその末尾にも触れてあった。
大阪で写真材料店を開く一方、写真研究会を結成して活動していた著者は、40歳の時、戦災(空襲)で自宅兼写真店を焼失。失意とともに奈良に戻る。亀井勝一郎著『大和古寺風物誌』に感動したことが転機となったそうだ。1949年に奈良市内に自宅を構える。つまり、その後にとり続けられた写真から「秋冬紀行」として抽出されたのが本書である。未見なのだが、「春夏紀行」も出版されている。
1952(昭和27)年、著者は「東大寺大仏開眼1200年法要を撮影」した。その時の1枚のモノクロ写真(p83)が「回想の大和路」という章の中、「大和路と私」と題したエッセイ(p82~85)の間に載っている。
本書の構成は、「秋色大和」「回想の大和路」「仏像礼讃」「大和路冬景」の4章がメインとなる。「仏像礼讃」と「大和路冬景」の間に、「”あいまいさ”の美学」(p133~139)と題する写真評論家・重森弘淹氏の評論が載っている。『入江泰吉写真全集5 春秋大和路』に掲載された一文のようだ。
この文中に、「むしろ氏の作風は、”入江調”と呼ばれる独特の空気感の描写」というフレーズが出てくる。「独特の空気感」、掲載写真を眺めていると、なるほど!である。「”あいまいさ”の美学」として論じられているところを、私はまだ十分に咀嚼できていない。本書を開け、写真を眺め、この評論をお読みいただきたい。
メインの章の最後に、「撮影前の長い助走 入江泰吉のノートより」という7ページの文が小西治美氏によりまとめられている。大和路をとり続けた入江泰吉のバックグラウンドでの努力が垣間見える解説文である。まず己の大和路心象風景を形成するために多大の努力を積み重ねた写真家だったのだ。その努力が結果としてエッセイにも表出されているように感じた。
最後に、「気配を撮る」というエッセイに記された次の箇所をご紹介しておきたい。
「しかし、大和路の場合は、それほど風光明媚な景観とはいいがたい。・・・・・
大和の場合、意味をなすのは、この心象的な風景である。大和路は、ご承知のように有史以来の神々の時代を経て、仏教文化という画期的な文化とともに栄えた都市文化の発祥地という歴史があり、文化があり、さらにその時代を生きた人びとの息吹が宿っている。だからそこにかもしだされる気配、あるいは余情というものには、おのずと大和路特有のものが生まれてくるわけである。
しかし、これも心象的なものであるから、写真という科学的な媒体を介して心象を表現するのは不可能に近い。
だが、その不可能に近いことを、あえて可能にできないだろうか、と模索しつづけてきたことが、私自身の風景写真の歴史なのである。」(p54-55)
写真家入江泰吉の世界を感じる手始めの一冊として手軽で、有益な本だと思う。
次は、入江泰吉記念奈良市写真美術館に一度出かけてみようかと思っている。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、少し検索してみた。一覧にしておきたい。
写真家プロフィール 入江泰吉 :「FUJIFILM SQUARE」
入江泰吉 :ウィキペディア
入江泰吉記念奈良市写真美術館 ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
本書は、小学館文庫ビジュアルシリーズとして2002年11月に初版第1刷が出版された。
手許の本の奥書を見ると、2010年1月第2刷となっている。現在、電子書籍化されている。
ある時奈良での史跡探訪に参加し、「入江泰吉記念奈良市写真美術館」の傍の道を通り過ぎることがあった。写真家の名前は知っていたが、作品集を手にしたことがなかった。この時の探訪で立ち寄る予定には入っていなかった。ちょっと残念な思いで建物を眺めつつ通りすぎた。そんなことから、手頃なこの文庫本を見つけたとき購入し、写真を少し眺めて、改めて・・・のつもりが少し長く書架に眠っていた。
私にとって今が読み時だったのだろう。
コロナ禍の中で今あらためて掲載写真を眺め、幾度も史跡探訪をしてきた大和路とは一味違う風景を感じている。こんな位置、視点から大和路の風景を眺めたことがないと。そういう意味ですごく新鮮だった。飛鳥・奈良時代の歴史を育んだ大和路の風景に触れるという感じである。現代というノイズ(夾雑物)が混在しない実際の風景の美しさ、はかなさがそこに存在する。シャッターの切られた瞬間の風景が心の原風景と重ねられ凝縮され、そこに固定している。仮に今同じ地点に佇んだとしても、同一の景色はたぶん見られないのではないか。まさにタイムスリップした風景と言えるかもしれない。
本文は著者の様々な著作より抜粋されたエッセイが掲載写真に対応する形で載っている。その中にはかつて撮った風景写真の場所からの眺めの変化について触れら箇所がある。
本文を読めば、著者がなぜ大和路を取り続けてきたのかを理解できる。
眺め、読み終えて、末尾を見ると、この本のプロフィールが簡潔に記されていた。
「本書は、入江泰吉が1950年ごろ~86年に撮影した写真と、1958~88年に発表したエッセイにより構成した文庫オリジナルです」と。改めて目次をみるとその末尾にも触れてあった。
大阪で写真材料店を開く一方、写真研究会を結成して活動していた著者は、40歳の時、戦災(空襲)で自宅兼写真店を焼失。失意とともに奈良に戻る。亀井勝一郎著『大和古寺風物誌』に感動したことが転機となったそうだ。1949年に奈良市内に自宅を構える。つまり、その後にとり続けられた写真から「秋冬紀行」として抽出されたのが本書である。未見なのだが、「春夏紀行」も出版されている。
1952(昭和27)年、著者は「東大寺大仏開眼1200年法要を撮影」した。その時の1枚のモノクロ写真(p83)が「回想の大和路」という章の中、「大和路と私」と題したエッセイ(p82~85)の間に載っている。
本書の構成は、「秋色大和」「回想の大和路」「仏像礼讃」「大和路冬景」の4章がメインとなる。「仏像礼讃」と「大和路冬景」の間に、「”あいまいさ”の美学」(p133~139)と題する写真評論家・重森弘淹氏の評論が載っている。『入江泰吉写真全集5 春秋大和路』に掲載された一文のようだ。
この文中に、「むしろ氏の作風は、”入江調”と呼ばれる独特の空気感の描写」というフレーズが出てくる。「独特の空気感」、掲載写真を眺めていると、なるほど!である。「”あいまいさ”の美学」として論じられているところを、私はまだ十分に咀嚼できていない。本書を開け、写真を眺め、この評論をお読みいただきたい。
メインの章の最後に、「撮影前の長い助走 入江泰吉のノートより」という7ページの文が小西治美氏によりまとめられている。大和路をとり続けた入江泰吉のバックグラウンドでの努力が垣間見える解説文である。まず己の大和路心象風景を形成するために多大の努力を積み重ねた写真家だったのだ。その努力が結果としてエッセイにも表出されているように感じた。
最後に、「気配を撮る」というエッセイに記された次の箇所をご紹介しておきたい。
「しかし、大和路の場合は、それほど風光明媚な景観とはいいがたい。・・・・・
大和の場合、意味をなすのは、この心象的な風景である。大和路は、ご承知のように有史以来の神々の時代を経て、仏教文化という画期的な文化とともに栄えた都市文化の発祥地という歴史があり、文化があり、さらにその時代を生きた人びとの息吹が宿っている。だからそこにかもしだされる気配、あるいは余情というものには、おのずと大和路特有のものが生まれてくるわけである。
しかし、これも心象的なものであるから、写真という科学的な媒体を介して心象を表現するのは不可能に近い。
だが、その不可能に近いことを、あえて可能にできないだろうか、と模索しつづけてきたことが、私自身の風景写真の歴史なのである。」(p54-55)
写真家入江泰吉の世界を感じる手始めの一冊として手軽で、有益な本だと思う。
次は、入江泰吉記念奈良市写真美術館に一度出かけてみようかと思っている。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、少し検索してみた。一覧にしておきたい。
写真家プロフィール 入江泰吉 :「FUJIFILM SQUARE」
入江泰吉 :ウィキペディア
入江泰吉記念奈良市写真美術館 ホームページ
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