遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  松岡圭祐  角川文庫

2021-08-24 15:32:18 | レビュー
 千里眼のシリーズを読み始めることにした。普通はこちらから松岡作品に入る人が多いのかもしれないが、私はたまたま読み始めたのが万能鑑定士Qの方だった。こちらは一冊も読まずに文庫本をまず順次購入していた。
 「クラシックシ」と「完全版」という言葉に引かれて、まずはこの1冊から読み始めてみることにした。読後に「著者あとがき」を読むと、「本書は1999年6月に刊行された『千里眼』旧シリーズ第1作を、全面改稿し、そのほとんどを新しく書き下ろした作品です」と冒頭に記されている。そして、旧シリーズは12タイトルあり、これが物語中の時期としては新シリーズ第1作『千里眼 The start』(2007年1月刊)の122ページ、つまり「決定」のおわりと123ページ「現在」の始まりとの間に「そのエピソードのすべてが収まります」という。クラシックシリーズの先でこちらも読み進めたい。
 いずれにしても、旧シリーズを完全版に改訂したというこのクラシックシリーズを読み継いでいこうと思う。本書は2007年9月に出版されている。

 ここに、スーパー・ヒロイン岬美由紀が生み出された。元航空自衛隊の二尉で唯一の女性戦闘機パイロットだったが、ある事件を契機に除隊し、民間人になり臨床心理士として働いている。岬美由紀はクライアントの一人である小学生宮本えりの治療を目的として行動する。それが彼女をカルト教団との壮烈な闘争の渦中に投げ入れて行く。

 畳だけがま新しい修復工事中の寺が直撃を受けて爆発消滅するシーンから始まる。一方、埼玉県春日部市に住む男性が任意出頭を求められたが行方不明となり、この男性の自宅捜索をすると恒星天球教団の組織図やテロの計画表など重要書類が見つかったという報道が流れていた。
 タクシー運転手が小雨の中で、小さな女の子を東京湾観音まで乗せることになる。女の子は観音に上るのだという。その様子を気遣った運転手は、彼女が降りてくるまで待つ気になった。観音から出てきた女の子は崩れるように倒れ込む。熱があった。運転手は自分の運転で病院に運ぼうと即断する。抱き上げようとしたとき、彼女が着ていた大人用のジャンパーのポケットから小冊子が音を立てて落ちた。「恒星天球教典」と記された表紙を見て運転手は衝撃を受ける。ここから始まっていく。少女の名は宮本えり。

 場面は一転する。米軍横須賀基地に停泊しているイージス艦、ジョン・S・マッケインの艦橋に何者かが侵入し、ミサイルの制御コマンドを入力してファーストホークを発射した。それが、冒頭の寺、茨城の要冷寺に着弾した。侵入者はその後すぐに2発目の発射コマンドを入力し、解除用の暗証番号を変更してしまった。ターゲットは総理府官邸にロックされたのだ。官邸地階の危機管理センターで、出席者はカウントダウンが2時間半を切った段階で米軍大佐からこのことを知らされる。侵入者は西嶺哲哉、46歳。彼は精神科に通院歴があることが判明していた。その中に、東京晴海医科大学付属病院の名があった。病院は4年前に虎の門に移転していて、カウンセリング科が設置されている。優秀なカウンセラーが多数、在籍することで有名だった。この病院の院長友里佐知子は優秀なカウンセラーとして知られ、千里眼の異名で呼ばれているという。この病院に、岬美由紀は臨床心理士として勤めていた。
 友里佐知子と岬美由紀は、イージス艦にて西嶺に対面して診断し、暗証番号を知る試みを行うよう要請される。タイムリミットが迫り、切羽つまった状況が展開して行く。西嶺が最後にわめく。「恒星天球教!阿吽拿教祖!歪んだ現世に血の粛清を!」と。美由紀は、一瞬だけ彼の顔が恍惚としトランス状態に達したことを読み取る。西嶺はこめかみに当てた拳銃の引き金を引く。二人は暗証番号を推測し危機一髪でコマンドを解除できた。だがこれは、美由紀が現在発生している恒星天球教事件に一層深く巻き込まれていく契機になる。
 というのは、タクシー運転手の荒井が、病院に運んだ少女の希望を聞きとどけ、えりを東京晴海医科大学付属病院の美由紀の所まで送り届けて来たのだ。そして、荒井はえりのポケットをまさぐり恒星天球教典を取り出して美由紀に見せた。教典を持っていたので、警察には連絡を躊躇ったという。美由紀はえりのカウンセリング担当者として、なぜえりが教典を持っていたのか、なぜ東京湾観音に出かけたのか。両親が信者であるのかも含めて追求しなければならないと考えるようになる。えりの不登校の原因究明をし、学校に通えるように、元の元気な女の子の健康さを取り戻すために。

 一連の恒星天球教事件捜査の一環として、警視庁捜査一課の蒲生誠が院長友里佐知子に聞き込み捜査に来ていた。院長執務室を訪れた美由紀は蒲生に引き合わされることになる。蒲生に嘘はなく、ふてぶてしさは自信のあらわれだが、一方で敵愾心を瞬時に読み取っていく。行方をくらましている春日部市在住の柴方片和夫の捜査への協力を皮切りに、美由紀と蒲生の協力関係が始まっていく。

 えりが何度も一人で出かけた東京湾観音はえりにどう関わり、それが何を意味するのか、その解明が一つの山場となっていく。
 さらに、彼女が蒲生とともにそこで発見したものは、首都が崩壊するかもしれない新たな緊急事態の始まりになる。そこには思いもよらぬどんでん返しが潜んでいた。
 美由紀は恒星天球教教主の真の狙いが論理的に推測できた。再びタイムリミットに立ち向かわねばならない緊迫した状況が現出したのだ。美由紀は人々を救うという己の信念に従う。かつての岬二尉としての能力を全開する行動へと突き進んで行くことに・・・・・・・。勿論読者はそのプロセスに引きこまれていくことになる。

 この完全版の岬美由紀はまさにスーパー・ヒロインである。フィクションだから成り立つ人物像。荒唐無稽と言えるかもしれない。だが、人間の能力は計り知れない。それに近い人間が出現しないとは言いきれない。だから、このストーリーの展開を興味津々として読み進め、楽しめる。
 
 旧作は知らないので、比較はできない。この完全版を読み、次の諸点は読者にとって、心理学分野の情報という副産物を得るとともに、問題事象について思考を一歩深めるための糧になるのではないかと思う。
1. 海外からの侵入によるテロ行為という視点ではなく、国内で形成されるテロ集団、テロ行為という視点の重要性を想定している点。現代の日本社会にはその因が内在するのではないか。
2. 催眠術に対する一般的な誤解を払拭するために、現代の認知心理学など心理学領域の知識・情報が適宜会話の説明に取り入れられている。それをストーリーの重要な要素として組み入れている。読者は心理学の一端に触れることになる。
 一方、現実的な催眠商法のやり口も明らかにしている。
3. ここでは脳神経科学と催眠療法との結合の可能性の一端を描き出す。一つの危機兆候を提示している。この可能性はフィクションレベルにすぎないのか、実現可能性の高いものなのか。今や現代科学はその隣接領域を考える危惧にすら至っているのではないか。
4. 電磁波の脅威という問題事象をさらりと取り込んでいる。この観点は重要なことになりそうだ。
5. 自衛隊は有事の際に真に機能するのか。そこ危機管理は適切なのか。こういう視点・問題意識もこのストーリーに垣間見える。

 臨床心理士岬美由紀の生い立ちもこの完全版では盛り込まれている。それが彼女の存在意義を方向づけている。
 著者は興味深いキャラクターを創造したといえる。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
イージス鑑  :ウィキペディア
イージスシステム  :ウィキペディア
パトリオットミサイル  :ウィキペディア
航空自衛隊がPAC3訓練公開 東京・有明  YouTube
パトリオットミサイル(PAC3)迎撃試験成功 YouTube
東京湾観音  ホームページ
臨床心理士とは  :「日本臨床心理士資格認定協会」
臨床心理/心理学ガイド  :「スタディサプリ[社会人大学・大学院]」
催眠療法の今日的意義と本学会の基本的姿勢 日本医科大学客員教授 高石 昇
催眠療法  :「日本催眠心理研究所 代々木心理オフィス」
催眠商法  :ウィキペディア
催眠商法の手口  :警視庁
高齢者に多発するSF商法(催眠商法)のトラブル  :「京都府」
航空交通業務  :「航空実用事典」
主要装備 F-15J/DJ   :「航空自衛隊」
F-15J (航空機)  :ウィキペディア

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