遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ガリレオの苦悩』  東野圭吾  文春文庫

2020-06-02 17:28:27 | レビュー
 ガリレオ・シリーズの第4弾である。いくつかの雑誌に発表された短編4つと書き下ろしの短編1つを併せて2008年10月に単行本として出版され、2011年に文庫本となった。
 各短編のタイトルの付け方は、『予知夢』と同じスタイルである。
 本書のタイトルは収録された5編のタイトルの一つが利用されているのではなく、ここに収録されたストーリーの幾つかに繋がる共通性という観点からネーミングされたようである。では、ガリレオ、つまり帝都大の湯川学准教授の「苦悩」はどこからくるのか。それは、事件の犯人が、湯川准教授と何らかの人間関係で繋がる側面があるところから来ているように思う。人間関係の柵を乗り越え、あくまで事実は事実として解明するという信念と行動が、湯川准教授に苦悩を味あわせる結果になる。

 また、本作から内海薫という女性刑事が草薙とコンビを組むことになる。内海薫は女性特有の感性をもとに、草薙に持論をぶつけていく。また、湯川准教授を事件解決のために引っ張りだす役割を担っていくところもあり、読者にとっては楽しみが増える。
 独立した短編の連作であるが、一応第1章から第5章という章立てになっている。

 個別に少しご紹介して行こう。

 「第1章 落下る おちる」
 マンションにピザの配達に来た三井礼治はピザを抱えて歩きだそうとした時、顔の前に大きな傘がぶつかってきた。濃い色のスーツを着たサラリーマン風の男だった。素通りする男にむかっときた三井がその男に声をかけた。その直後に、何か黒い影のようなものが落下してきたのを目撃する。それは人だった。
 30歳で銀行勤めをしている独り暮らしの江島千夏が落下して亡くなった。自殺か他殺か? 内海は玄関の鍵が開いていたと草薙に告げる。現場を見た後、草薙と内海は、翌朝所轄の深川署に行く。他殺の疑いが出て来たと告げられる。凶器は長い把手のついた鍋。指紋を消した跡も確認されていた。
 岡崎光也という男がその日江島千夏の部屋を訪れたと深川署に名乗り出てきた。だが、岡崎は江島が落ちた時、ピザ配達の三井に声をかけられていたというアリバイがあった。 内海は草薙に湯川を紹介して欲しいという。「離れた場所にいて、死体を7階のベランダから落とすことが可能かどうか、それを検証してもらいたい」と言うのだ。そこには内海が調べた事実に対する女性としての勘があった。
 男の草薙には思いつかない発想がこのストーリーに加わっていく。その点が新たなストーリー展開となっている。内海の要望を一旦拒絶した湯川が結局実験を引き受ける。内海と湯川の関係がおもしろく描かれていて楽しめる。

 「第2章 操縦る あやつる」
 かつて帝都大学理工学部の助教授で、研究内容から「メタルの魔術師」というニックネームを付けられていた友永幸正は、今は車椅子生活をしている。幸正が自宅に気に入っている教え子たちを4人招待し、リビングで皆で焼肉の鉄板を囲んで飲み会をした。湯川もその中に加わる予定でいたが、遅れていた。午後8時を過ぎて、幸正は中抜けし2階の寝室に休息に行った。湯川が来たら再び合流すると言って・・・・。
 その後に事件が起こる。外で何かが割れる音がしたあと、離れ家で火災が起こった。焼け跡から死体が発見された。幸正の長男邦宏だった。現場検証によると死体は刃物で刺されて死んでいた。
 この家の住人は幸正と新藤奈美恵、そして邦宏だった。奈美恵の母は幸正とは内縁の関係で23年前にこの家に来て、10年ほど前に他界していた。奈美恵は連れ子だった。今は幸正の世話を奈美恵がしていた。友永の戸籍上の妻が2年前に死亡した後、邦宏がこの家に居候として住みだした。仕事を探す気もなく、遺産目当てのろくでなしである。幸正は6年前に脳梗塞で倒れ、左手に少し麻痺が残り、車椅子生活をしている。
 草薙と内海薫が現場に居るところに、湯川が現れた。湯川が友永家に到着したのは、消火活動が終わったころだという。
 湯川はこの事件の謎解きをする立場に。ある意味でそうするように操られたとも言える。これは一種の密室殺人事件だった。この謎解きは湯川に苦悩を強いる。そのトリックの解明が読ませどころとなる。
 最後に湯川は言う。「人の心も科学です。とてつもなく奥深い」と。
 

 「第3章 密室る とじる」
 湯川は大学時代の友人藤村の依頼を受け、彼の相談事を聞くために、11月に藤村の経営するペンションを訪れる。藤村は草薙に相談したところ、湯川に相談しろと助言されたという。藤村の経営するペンションに、原口清武45歳、団体職員という人物が宿泊した。予約の時から1階の部屋を希望していたという。予約を受けたのは藤村の妻久仁子だった。
 ラウンジでの夕食時間に原口は現れなかった。藤村が部屋へ見に行くと鍵がかかっていた。返事がないのでマスターキーで鍵をあけると、ドアチェーンがかかっていた。そこで、一旦外に出て、外側から部屋の窓のところに行くと、窓には鍵がかかっていた。
 その後もう一度部屋の鍵を開けて覗くと、寝返りをするような音と人の気配を感じたという。ところが9時前に外で花火をしていた宿泊客の父子連れが戻って来た時、原口氏の部屋の窓が開いているのを見たという。部屋に原口氏はいなかった。捜索の結果、峡谷の谷底に転落死していた。
 藤村はその日、特に冷え込みがきつかったのに、最初に部屋を覗きに行ったときには、部屋は暖房されていなかった。誰かが部屋にいたとは思えないという。部屋が内側からロックされていた事実とは矛盾するので、その感触については警察には言わなかった。だが、二度目に覗いたときには人の気配を感じたというのである。
 藤村はこの奇妙な転落死についてその矛盾の解明を湯川にしてほしいという。だがそこには、藤村にとって別の意図が隠されていた。一方、湯川は友人の家庭の内情に首を突っ込まなければならなくなる。それは事件の真相を解明する上で湯川にとっては苦悩につながる側面である。だが、湯川は客観的な事実の解明に踏み込んで行く。
 当日の父子連れ宿泊客の子供が宿泊客の感想ノートに書き残したメッセージがさりげなく出てくる。何気なく私は読み過ごしたが、そこに巧妙な伏線が張られていた。湯川の謎解き説明を読み、やっと気づくという始末・・・・。

 「第4章 指標す しめす」
 75歳の野平加世子さんが自宅の和室で絞殺死体として発見される。死後2日。息子一家がハワイ旅行から帰宅して発見した。箪笥から被害者名義の通帳と宝石、貴金属類が盗まれ、仏壇に入れられていた金地金10kgが盗まれていた。
 犯行当日の昼間に野平家を堀越しに覗き込んでいた女性がいることが目撃されていた。保険の外交員真瀬貴美子だとわかる。草薙と内海薫が貴美子の自宅を訪れて、聞き込み捜査をするところから始まる。貴美子のアリバイ確認である。事務所の上司、碓井俊和から事務所にも警察が調べに来たとの連絡が入る。貴美子は碓井と交際していた。そのことを娘の葉月は気づいていた。葉月の父は経営していた会社の倒産で莫大な借金を抱え、それを苦に自殺していた。妻の貴美子はそのため数百万円の借金を負っていたのだ。事件から3日後、捜査は進展せず、貴美子が最も疑わしいという状況に変化はなかった。
 そんな最中に、葉月が奇妙な行動を取る。先端に水晶の飾りがついた鎖を使い、ダウジングという行為で、野平家で飼われていたクロという犬の遺体を発見したのだ。真瀬親子のアパートの部屋を見張っていた内海が葉月を尾行して、その行為を見ていた。
 内海がダウジングについて湯川の意見を聞くために研究室を訪ねた結果、湯川がこの事件の解明に巻き込まれていく。湯川は研究室で葉月に会い、話を聞きたいと要望したのだ。湯川の質問にはさりげなく重要な伏線が張られていた。そこから湯川の論理的な推理が始まり、内海の捜査が進展していく。
 なかなか興味深い短編だ。特に葉月のダウジングに対して湯川が内海に説明する見解がいい。

 「第5章 攪乱す みだす」
 「悪魔の手」と名乗り、警視庁に警告文が送付されてくる。悪魔の手を使えば、自在に人を葬ることができ、警察は被害者の死を事故と判断するしかないと記し、数日以内にデモンストレーションを行うという。そして、T大学のY准教授に助太刀してもらえ。どちらが真の天才科学者か、勝負してみるのも一興だと最後に記しているのだ。この准教授が帝都大学の湯川を指すのは明白である。
 同様の文面が、湯川自身へも送りつけられていた。早速、草薙と内海薫は湯川の研究室を訪れて話し合う。
 草薙は、東京都内で起きた交通事故のデータをチェックしてみることから始めていた。そんな矢先に、悪魔の手から予告通りデモンストレーションしたという文書を警視庁に送ってきた。建築現場での転落死で作業員名を明記して伝えてきたのだ。一方、湯川の所には、回りくどいやり方で湯川にメッセージを見るように伝える怪文書が送付されてきていた。湯川は草薙に連絡を入れることで、転落死の事実を知る。湯川に読むように指示していたメッセージは、転落死の犯行予告だった。
 悪魔の手は、さらに騙りの偽物が出てくることを想定して、本物との識別を明確にするための乱数表とその使い方まで示す文書を送りつけてくる。やり口が次々にエスカレートしていく。そして、首都高中央環状線で交通事故に見せかける事故を企てた。勿論、これも警視庁と湯川に文書で通知してくる。
 怪文書が次々に送付され事故が発生する経緯の中で、湯川は入手できた情報を論理的に分析していき、遂に事件の解明に迫る。
 この短編のおもしろさは、湯川が己の仮説を立証し犯人を逮捕するために己自身を囮にするという手段に出るところにある。結果的に内海は湯川の囮行為に直接協力する形になる。
 最後に、犯人がなぜ湯川に対抗意識をかき立てられていたかが明らかになる。
 これらの一連の事件も、湯川に対抗するために犯人が引き起こした殺人事件と考えると、湯川にとって責任はないとはいえ、苦悩の種になったことは間違いがないだろう。

 この短編連作は、内海薫という新人女性刑事が活躍する展開となり、新鮮感が加わり楽しめる。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社