長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

【阿部一族】と【蝉しぐれ】

2010-10-07 15:03:13 | 本と雑誌

Abe

森鴎外著【阿部一族】
葉隠のカタルシス。
侍の本分は如何に生くるかではなく、如何に死するかであった。
徳川三代将軍家光治世。(実際の「葉隠聞書」はこの物語の時代背景よりずっと後の、18世紀上期に著されたのだが)
肥後国(熊本)領主細川忠利が急逝した。
領主の死に際し、お側近く仕える者は殉死するのが慣わしであり、生き永らえるは武士の恥辱とされた。
しかしそれは許しを得た者だけの特権であり、許された殉死者の遺族は主家の優待を受けた。
許しを得ない追腹は只の犬死に終わる。
忠利の死に瀕し、殉死を願って許された侍は十八名であった。
夫々が見事な最期を遂げた。
加えて忠利寵愛の鷹や犬までもが、殉死を遂げていたのである。
そんな中、忠利側近者のひとり阿部弥一右衛門は、何故か殉死の許しを得なかった。
忠利の命にて世継ぎの光尚に、引き続き奉公することとなった。
(人には誰が上にも好きな人、厭な人と云うものがある。そしてなぜ好きか、厭だかと穿鑿して見ると、どうかすると捕捉する程の拠りどころが無い。忠利が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである。)
弥一右衛門は主命に従ったまで、許されるならいつでも死ぬと、昂然と項を反らし詰所に通った。
しかし「阿部はお許の無いを幸に生きているとみえる、お許は無うても追腹は切られぬ筈が無い、阿部の腹の皮は人とは違うと見える、瓢箪に油でも塗って切れば好いに」と云う心ない噂に激怒した弥一右衛門は、嫡子権兵衛ら子供らの面前で切腹し首筋を左右に刺し貫いて壮絶死を遂げる。
弥一右衛門の跡目は嫡子権兵衛が継がず、棒禄は一族に細かく分割された。
真の殉死者と弥一右衛門との間に境界が附けられた。
忠利の一周忌、権兵衛は殉死者遺族として許された焼香をして退きしな、髻を切り位牌の前に供えた。
この不埒な所行に対して、切腹なぞ許されず、権兵衛は白昼屈辱的な縛首に処せられた。
弥一右衛門に引き続き権兵衛までも受けた理不尽な恥辱に対し、阿部一族の武士としての面目を保つのには討ち死ぬ外なく、権兵衛の屋敷に立て籠もった。
そして程なく阿部の一族に討手が差し向けられた。
壮絶な死闘の果てに・・・
侍の死への美学を文聖森鴎外が終始シニカルなまでに淡々としかも簡潔に、まるで新聞記事かのように綴っている。
それだけに逆にドキュメントのようにリアルで、読んでいる間常に白刃を向けられているかのような、背筋がぞくりとする感覚に襲われる。
戦前に映画化されたこともあるようだが、深作欣二監督で山崎努・佐藤浩市・蟹江敬三・真田広之等出演にて、時代劇スペシャル版としてテレビ放映されたものが、CD及びDVD化されている。

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藤沢周平著【蝉しぐれ】
東北(山形)の小藩海坂藩(庄内藩または鶴岡藩がモデル)が舞台。
随所に豊かな清流や城下町や郷村等の、美しくも長閑な情景描写が入る。
巻頭を飾る場面、物語の主人公牧文四郎は、隣家の娘ふくが小川端で洗濯していて、やまかがしに噛まれた指の血を吸いだしてやる。
文四郎十五、ふく十二、恋とも言えぬ淡いものが二人には芽生えていた。
牧文四郎は服部家から牧家への養子で、父助左衛門とは血のつながりは無い。
母登世は文四郎の実母の妹、つまり叔母にあたる。
文四郎は堅苦しい登世より、寡黙ながら男らしい助左衛門を敬愛していた。
牧助左衛門は普請組勤め、禄高二十八石、牧家は小身ながら藩草創依頼の家柄であった。
文四郎は昼間は居駒礼助の私塾に行って経書を学び、昼過からは空鈍流の石栗道場で剣を学んだ。
梅雨が終わり暑い夏がきた日、助左衛門が突然反逆の罪で切腹させられた。
切腹の前日面会が許され、助左衛門は文四郎に父を恥じるな登世を頼むと言い置いた。
翌日昼に文四郎はたったひとりで父の遺骸を荷車で引き取り、好奇の目に晒されながら蝉しぐれの中運ぶ。
明け方か夕暮れに遺骸を引き取るのが常、死者を遇する藩の処遇である。
力尽きようとする文四郎を助けたのは、石栗道場の後輩杉内道蔵とふくだった。
文四郎と母登世は組屋敷から追われ、ボロ長屋にて捨て扶持で養われる身となった。
藩の厄介者と周りから侮蔑視された。
幼馴染の小和田逸平や島崎予之助との友情に変わりがないのが救いであったが、文四郎はやはり言い知れぬ不遇感に苛まれる。
それを埋めるため、ただ石栗道場で稽古に没頭するしか術はなかった。
そんな日道場から戻った文四郎は、母登世からふくが江戸屋敷の奥勤めで江戸へ行く旨挨拶に来て、たった今帰ったと聞かされる。
すぐに追ったが、ふくは見当たらなかった・・・。
文四郎十七の秋、父助左衛門と旧知の仲の組頭藤井宗蔵が好意で烏帽子親を引き受け、無事元服が叶った。
翌年三月突然次席家老里村左内より呼び出しを受ける。
実は里村こそが、父助左衛門を切腹させた張本人であった。
何事かと実兄服部市左衛門共々緊張し、家老屋敷に向かうが、意外にも文四郎は旧禄に復し郡奉行支配の命を受ける。
旧禄復帰は即刻実施で、勤めは文四郎が二十歳になってからとのこと。
訝しく思いながらも、ほっとする文四郎だったが、しかし裏には里村の思惑が潜んでいた。
旧禄復帰の挨拶周りをする文四郎は、その先で江戸屋敷勤めのふくに、殿さまのお手がついたことを聞かされる。
淡い思いの終焉である、ふくはお福さまになってしまった。
その後文四郎はふくが御子を身籠るが流産し、更に側妾の地位からおろされる噂を耳にすることとなる。
一方道場でひとり木剣を揮っう文四郎に、師の石栗弥左衛門が珍しく稽古をつけた。
そしてこの秋の熊野神社の奉納試合に勝てば、秘剣村雨を伝授すると云う。
文四郎の剣の資質が、道場随一と見込んだうえのことだった。
既にひとりの門弟に伝授したが、自分もその男も老い、このままでは村雨が世に伝わらず消えてしまう。
自分はもう体力的に無理なので、直接伝授するのはその男になると弥左衛門は云う。
奉納試合の相手興津新之丞はかなりの難敵、文四郎は勝てるかどうかわからなかった。
しかし文四郎は奉納試合で、紙一重の差で興津に勝つことができた。
秘剣村雨が伝授されることとなった。
伝授するのは、なんと藩主の叔父でかつての名家老加冶織部正だった。
織部正は村雨を伝授する前に、牧助左衛門の死の真相を文四郎に話して聞かせた。
世継ぎ争いに見せかけた、派閥間の主導権争いが元凶だった。
一派は前の中老稲垣忠兵衛といまの筆頭家老里村左内、もう一派は次席家老横山又助らであった。
横山の一派は三年前の政変に敗れ、股肱となって働いた十二人が切腹させられた。
牧助左衛門はその中のひとりであった。
しかし横山はかなりのやり手で、里村にしっぽを掴ませず生き残り、勢力を五分に盛り返していた。
程なく文四郎は郷方の組屋敷に引っ越した。
そして二十歳になった文四郎は郷村出役見習いとして勤め始め、暫くして妻帯もした。
勤めに馴れ始めた文四郎はお福が帰っていることを知る。
何故か藩主家の別邸である欅御殿に、密かにかくまわれているらしい。
藩主からひまを出されたと聞いていたが、それは見せかけで、その実は御子を再び身籠り隠れているらしい。
文四郎は勤めに託け欅御殿に行ってみたが、警護の屈強の武士に出くわし、お福の存在に確信を持つ。
その後欅御殿の者と思われる男女が、木綿屋で晒二反を求めたことを聞く。
御子が生まれたようだ。
筆頭家老里村左内が動いた。
文四郎は屋敷に再び呼び出された。
部屋には稲垣忠兵衛も同席し、終始不気味な微笑みを文四郎に向けた。
横山一派が欅御殿を襲撃しようとしている、意図はわれわれを陥れるため、その前に御子を安全に保護したい。
ついては文四郎に、旧知の仲のお福さまから御子を預かってこいとの命令だった。
文四郎自身どちらの派閥にも属してはいないのだが、断ることができない立場にあった。
かと言って、里村左内の言葉をそのまま鵜呑みにもできなかった。
二日の猶予をもらいその場を退き、文四郎は親友の小和田逸平と島崎予之助と協議した。
勢力を盛り返した横山家老が、そんな無理をするとは考えれなかった。
むしろ欅御殿襲撃は里村側に利が多い。
御子は横山家老に託し、事情を洗いざらい打ち明けようと決断した。
決行の日、文四郎は小和田逸平と信頼の置ける布施鶴之助と共に欅屋敷に向かった。
ふくとの再会に心揺らす文四郎であったが、旧交を温める暇もなく、事の次第を説明した。
その時欅屋敷に多数の狼藉者が侵入して来た。
一先ず父助左衛門に縁ある金井村の藤次郎に、お福や御子をかくまってもらうこととし逸平に託した。
文四郎は狼藉者の正体を見極めようとする、横山派の者であれば話し合う構えであった。
だが相手は里村派の刺客達、それも手足れ揃い、里村左内の方が一枚上手であった。
初めからお福御子諸共文四郎らも、皆殺しにする計略であった。
文四郎は気付く、父助左衛門は横山派、小和田逸平は公然と里村派の誘いを断っていた、布施鶴之助の義兄矢田作之丞は先の政変で切腹させられたひとりだった。
このままでは横山派が襲撃して警護の者と斬り合って、相打ちに倒れたことになってしまう。
敢然と刺客達を迎え撃つ文四郎と鶴之助であった・・・
時代小説の巨匠藤沢周平が語る、美しくも切な哀しい物語。
NHK金曜時代劇にて放映され、その脚本を書いた黒土三男の監督脚本で、市川染五郎・木村佳乃が主演し映画化もされた。

以上二作の共通点は、武士としての有様に生じる不条理さではないだろうか。
武士とは不条理そのものかもしれない・・・
武士(もののふ)とは一種哀れなものである。


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