長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

浅田次郎著【輪違屋糸里】

2010-10-07 18:19:59 | 本と雑誌

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おいとは算え六つの齢で若狭の小浜から女衒に手を引かれ、京・島原きっての老舗置屋である輪違屋(わちがいや)に売られて来た。
その日から輪違屋の糸里(いとさと)と呼ばれるようになった。
十年が経った夏、糸里は美しき天神になっていた。
禿は芸事を学んで半夜・鹿恋・天神・太夫と出世の路を歩むのだが、島原にそぐわず見捨てられれば、娼妓にでも身を落とす他なかろう定めである。
最高位の太夫ともなれば禁裏より正五位を賜り、御所の出入りもする。
島原の古い慣わしで、太夫は「こったい」と呼ばれた。
輪違屋の金看板音羽太夫(こったい)は、島原一の傾城と謳われる。
糸里にとっては幼い禿のころから寝食を共にし、花街のしきたりや座敷の作法を学んだ、言わば親がわりであった。
島原の太夫は芸を売る芸妓で、色をひさぐ吉原の花魁とは一線を画する。
島原はいにしえから続く格式ある饗しの場。
しかし壬生浪士組局長芹沢鴨は、島原の作法を無視し傍若無人に振舞った。
壬生浪士組の揃羽織は、切腹に臨む死装束と同じ浅葱色。
死装束の群は、その凶々しさだけで人々を「みぶろ」と怖れさせた。
芹沢は酒癖が悪く、酔えば禁裏を守護奉る勤皇の士であると嘯き、暴虐の限りを尽くす。
島原傾城たる音羽太夫の矜りに、芹沢の刃が閃った。
「ええな、いと。だあれも恨むのやない。ご恩だけ、胸に刻め。ええな、わてと約束しいや」そう呟いて糸里と小指を絡ませ、音羽は息を止めた。
「毒性や。芹沢はんは、人間の皮をかむった鬼や。おとうさんやおかあさんが了簡しやはっても、みなさんが許しはっても、わてはいやや。太夫(こったい)を返して。うっとこのこったいを返しておくれやっしゃ」糸里は叫ぶ。
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だが真の毒性で鬼の存在とその正体を、死の直前こったいは垣間見ていた。
この男の中に、情の入りこむ隙間などない・・
表に纏うものと裏の本性が、真逆に位置する対照的な二人の男達。
それぞれの思惑に巻き込まれ、翻弄されて行く糸里。
やがて糸里は音羽の遺言の真意を悟り、その先に見えて来たものは・・
多彩な人間模様と視点角度から、芹沢鴨暗殺の裏に潜む真実に迫る。
運命の夜、男達は泣きじゃくりながら踏み絵を踏んだ。
「・・・斬ったお侍も斬られたお侍も、みんなわあわあ泣いたはった」
浅田節が炸裂!
こったいの死に吐いた糸里の悲痛な叫びは切な過ぎるが、それが「泣かせの次郎」の真骨頂でもある。
「壬生義士伝」では「新撰組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお務め申っす。一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。お相手いたす」と、義を貫こうとする主人公に破滅への毒を吐かせた。
浅田次郎は「壬生義士伝」とは違った切り込み方で、新撰組をまざまざと描いた。
或は「壬生義士伝」では表現し切れなかった新撰組を、描き切ったとも言えるのではないだろうか。
一読の価値がある。


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