骨髄バンクに登録をしたのは、もう13~4年前だと思う。日本にこの制度が発足して間もない頃であったように記憶している。 骨髄の提供者となることで、見知らぬ誰かのためになるのであれば、との思いからだった。 登録して1年後くらいに、もう少し詳しく調べたいので2次検査?に来てもらいたい との連絡が入り日赤病院に出向いた。結果HLAの型が合わなかったようだった。 さらに数年後、患者さんと私のHLA型が合致した。この先話を進めて良いかとの連絡があった。もちろん望むところであったし、家族や両親、職場の了解をとりつけていた。 ところが、ある日患者さんの都合で、取りやめとなったとのこと。
それからまた数年が経過し、先週、私の手元に骨髄移植推進財団から大きめの郵便物が届いた。 内容はやはり私がドナー(提供者)の候補者になった とのこと。 今度こそという思いと、自分を取り巻く環境が許されるだろうかという思いがいったりきたり。 以前とはずいぶんと環境が変わっている。 転職もした。以前より歳をとった両親の了解を得られるだろうか。なによりも家族の協力が得られるだろうか。 職場だって立場上大事な時期に休めるだろうか。 そんな思いが頭の中を駆けめぐる。 今ここで最終意思確認に合意し、後々やはり無理だということは、明らかに人命を無視してしまうことになる。
悩んだ。 悩んだ結果 登録を抹消してもらうことにした。 1週間のうちに最終意思確認を求められ、とても今の環境の問題点全てを、短期間にとりまとめることは不可能であると判断した。 返答を遅らせるだけ患者さんにも不利益であるはずだ。
後々、やむを得ない選択だった と思えるのだろうか。 この先ずっと自分を責めることになりはしないか。 今はわからない。 今は・・・・わからない。
それからまた数年が経過し、先週、私の手元に骨髄移植推進財団から大きめの郵便物が届いた。 内容はやはり私がドナー(提供者)の候補者になった とのこと。 今度こそという思いと、自分を取り巻く環境が許されるだろうかという思いがいったりきたり。 以前とはずいぶんと環境が変わっている。 転職もした。以前より歳をとった両親の了解を得られるだろうか。なによりも家族の協力が得られるだろうか。 職場だって立場上大事な時期に休めるだろうか。 そんな思いが頭の中を駆けめぐる。 今ここで最終意思確認に合意し、後々やはり無理だということは、明らかに人命を無視してしまうことになる。
悩んだ。 悩んだ結果 登録を抹消してもらうことにした。 1週間のうちに最終意思確認を求められ、とても今の環境の問題点全てを、短期間にとりまとめることは不可能であると判断した。 返答を遅らせるだけ患者さんにも不利益であるはずだ。
後々、やむを得ない選択だった と思えるのだろうか。 この先ずっと自分を責めることになりはしないか。 今はわからない。 今は・・・・わからない。