西海(にしがい)賢二先生より、標記の小論文を掲載する常民文化研究会『コロス』第167号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
武蔵国御嶽山信仰史を研究する過程で得た史料のうち「配札帳」(檀家帳)享保12(1727)~13年(1728)分につき、概要を述べるとともに原文を書き下しています。
西海(にしがい)賢二先生より、標記の小論文を掲載する常民文化研究会『コロス』第167号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
武蔵国御嶽山信仰史を研究する過程で得た史料のうち「配札帳」(檀家帳)享保12(1727)~13年(1728)分につき、概要を述べるとともに原文を書き下しています。
西海(にしがい)賢二先生より、標記の論考を掲載する常民文化研究会『コロス』第166号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
この論考は『石鎚社報』第727号(石鎚神社、2018年)に寄稿したものを、一般の人びとに向け補訂したうえで発表しなおすと、位置づけています。国の重要無形民俗文化財に指定されることを目指す「石鎚黒茶」につき、製造技術や歴史的価値を概説しています。
西海(にしがい)賢二先生より、シリーズ「三遠信美流れの結節点―限界の山村暮らしから―」(13)として執筆した標記の小論文を掲載する常民文化研究会『コロス』第165号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
小論文では、愛知県旧稲武町(現豊田市)のうち桑原地区の区有文書につき、江戸時代中期に庄屋が認めたものから民間信仰に関わるものを抽出し紹介しています。併せて、村の年中行事につき、平成5年(1993)に字単位で開催した座談会において事実関係を確認できたものの一覧を掲示しています。
西海(にしがい)賢二先生より、シリーズ「三遠信美流れの結節点―限界の山村暮らしから―」(12)として執筆した標記の小論文を掲載する常民文化研究会『コロス』第164号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
奥三河の旧稲武町(現愛知県豊田市)のうち武節町村に関し、幕末期宗教的職能者の入村状況を、入村者に対する経費をまとめた地方(じかた)文書を紹介しながら示唆しています。
西海(にしがい)賢二先生より、標記の寄稿文を掲載する石鎚敬神婦人会報『たかね』第53号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
寄稿文は61~85頁に掲載されています。伊予国における石鎚信仰集団の歴史的変遷につき、中世から近代までの概要を、史料に見られた「講頭」という用語に着目しつつさまざまな石造物の金石文を紹介しながら、一般の人びとにわかりやすく説明しています。
西海(にしがい)賢二先生より、標記の寄稿文を掲載する戦時下の小田原地方を記録する会『戦争と民衆』第86号の完成誌を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
寄稿文は18~19頁に掲載されています。この冊子を発行する会が別途「戦争と民衆ブックレット」4として刊行した編著『戦中戦後の箱根病院―パラリンピックに出場した傷痍軍人―』(2020年、全137頁)につき、先生自身の当該病院に対する幼少時分の思い出を語っています。曰く、当時は病院を訪問するというより「風祭に行く」という認識で、負傷した軍人たちの義手・義足・車椅子などを目の当たりにしたのが記憶に残っているとのことです。