昨日の天気予報は、午前中曇り、午後から晴れでしたが、その通りの一日。でも、一昨日と比べると風が結構強い…ああ、5日で正解でした。実はこの連休どこへも行けませんので、主人のウッドデッキの修理完成を記念(?)して、5日か6日に家族みんなで気分転換に茶話会でもしょうと…もちろん三密を避けてですよ。
このウッドデッキを作った頃はいろんな人を呼んで、句会をかねてよく食事会や茶話会をしていました。その時必ずといっていいほどデザートに出てきたのが、主人の作った〝焼きリンゴ〟だったんです。
主人の退職してからの夢はキャンピングカーを買って、全国行きたいところへ気ままに旅をすることでした。でも、私が病気をしたり、元気になればなったで今度は俳句で忙しくなったりと…いつの間にかその夢も消えてしまい、その替わりがダッチオーブン!大小のダッチオーブンを揃えて、いろんな料理に挑戦していました。私にとってはありがた~いこと。今日はダッチオーブン料理が食べられると…楽勝でしたものね。
ところが、何事も〝惚れやすの飽きやす〟の主人。3年もすると全く見向きもしなくなりました。たまにはやって!…とせがんでみても、後始末が大変だからイヤだと。それがこのコロナ自粛で、あれこれとやり始めて、そのうちほったらかしのダッチオーブンに錆びが出ていたので、キレイに磨いていました。だったらついでに何か料理してみて!…という娘の要望に応えて焼きリンゴと鶏の手羽先を焼くことになり、みんなで食べようかと…。そういえば、ダッチオーブンをよくしていた頃は、娘夫婦もおばあちゃんたちも宇部にはまだ来ていなかったんですものね。
5日はちょっと汗ばむぐらいの暑い日差し…時々吹いてくる風がとっても気持ちいい!傍にある柿の若葉がきらきらして、これぞまさに〝薫風〟やね~と、みんなで久しぶりの英気を養いました。もちろん〝柏餅〟も頂きましたよ。こうやって一家団欒で過ごせるのも〝コロナ様〟のお陰?…何だかヘンなの~(笑)
まあ、こういうわけで一昨日でよかったんです。もし風が強いと、外で火を使うのは危ないですものね。
昨日はまた草取りなどをして、今年のゴールデンウイークはこれで終りました。さて、来年はどうなることやら…全く予測がつきませんが、ワクチンや治療薬が開発されて、コロナも一応収って平常な暮らしに戻っていることを期待しましょうか。いやあ、ウイルスはそんなに甘くはないぞ~って!!
そういえば、歳時記を見ていたときこんな句を発見しました。
紅塵を吸うて肉(しし)とす五月鯉 竹下しづの女
「紅塵(こうじん)」は、〝立ちのぼる塵の、日に映じてあかく見えるもの〟、「五月鯉(さつきごい)」は〝鯉のぼり〟のこと。五月の空に元気よく泳いでいる鯉のぼり、あれは紅塵をお腹いっぱいに吸って自分の肉にして太っているのだわ…と、しづの女さんは詠んだのでしょう。
ところで、竹下しづの女は、福岡県行橋市の出身ですから、この紅塵は北九州工業地帯の煤煙かも知れませんね。それに夕日が当たってあかく見えたのかも…。
私は彼女の名前を聞けば、すぐに思い出す有名な句があります。〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまおか)〉 これを見たとき〝エエッ、こんな句を詠む人、どんな人だろう?〟と、衝撃を受けたことが今でも忘れられません。内容はもちろんのこと、万葉仮名がこんなふうに使ってあるということにも…ただただ驚くばかりでした。
竹下しづの女(1887年~1951年)は、福岡女子師範学校卒業後、6年間の教員生活を経て結婚し、2男3女を儲け、育児の傍ら、大正8年吉岡禅寺洞のもとで本格的に句作を始め、翌年高浜虚子に師事。早くも虚子が主催する「ホトトギス」の大正9年8月号では、前述の句などをもって初巻頭を飾り、中央の俳壇でも認められるようになりました。杉田久女・長谷川かな女とともに、大正期の女流黄金時代をつくったスゴイ人なんですよ。
当時の「ホトトギス」では虚子選に一句でも載れば、赤飯を炊いてお祝いするという時代。また、平塚らいてうらが近代的な自我に目覚め、新しい女性の生き方を模索した大正デモクラシーが背景にあったとはいえ、なお確固たる家父長制の根強い世の中で女性が大いに束縛されていた時代に、このような非社会的な自我を露出した句を堂々と発表したしづの女、また、それを男上位の「ホトトギス」の巻頭に据えるという太っ腹の虚子、どっちもどっちで負けていませんね。とにかくこの号を手に取った人々の衝撃の大きさは想像するに決して難くないでしょう。特に男性俳人には…。
でも彼女にも主観や自我の表現が俳句で可能かという問題で悩み、一時は俳句を中断した時期もあったとか。しかし、女性俳句の先駆者として、また俳句指導者として(昭和9(1934)年「ホトトギス」の同人)、昭和12(1937)年に高校学生俳句連盟の機関誌として創刊された「成層圏」で、中村草田男と共に香西照雄、金子兜太らを育てています。虚子が彼女の句集『颯(はやて)』に与えた序句「女手のをゝしき名なり矢筈草(やはずそう)」が、彼女の男性的作風と生き方をよく象徴しているようです。
しかし、昭和8年彼女が46歳の時に夫が急逝し、その後女手一つで5人の子供を立派に育てあげたということを知るだけで、私は頭が下がります。持って生まれた気性の強さもあるでしょうが、当時の職業婦人の先駆けとして男社会に伍して生きてゆくためには、当然〝男勝り〟でなければとても太刀打ち出来なかった時代なんでしょうからね。
以上のことなどから考えれば、この上掲の句にもしづの女ならではの反社会的な眼を感じるのは私だけかしら。「紅塵」には、〝市街地に立つ塵。転じて、世のわずらわしい俗事〟という意味も持っていますから、この当時の男社会へのアイロニーともとれるのでは? ほら、大胆不適な笑みを浮かべたしづの女さんの顔が浮かびません? 私、顔を知りませんので今度よく見てみようっと!ちなみに、もしこれを「黄塵」とすると春の季語になって〝黄砂〟を連想させますからね。
さしずめこれが今だったら、〝紅塵〟は目に見えないコロナウイルス…このウイルス塵を大きな口で全部吸い取ってくれる強い味方…その思いがこの鯉のぼりに込められるのかもしれませんがね。しづの女さん、いかがですか?