ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

3ヶ月ぶりの俳句教室だよ~ん!

2020年05月27日 | 俳句

 今日はもう朝から晴れていい天気。午後からのリハビリへ行くのに車に乗ると車内温度は33度。エアコンがごうごうと回って冷やしてくれました。帰るときは27度になっていましたが。

 昨日はというと朝から雨模様、午後の俳句教室へ出かける頃はしっかり降り出して傘が必要でした。でも、植物にはちょうどいいぐらいのお湿りだったかも…

 さて、今回は2月下旬以来の教室ですから、本当に3ヶ月振り。やっと再開したという安堵感と〝お久しぶり〟という懐かしさで和やかにスタートしたのはいいのですがね~。

 今回は今まで使用していた部屋ではなく、広い講堂なんです。コロナ以前では体操やダンスなどが使っていたステージのある広いスペース。そこにロの字型に長机を並べて、普通だったら20人は十分座れるところを、12人で使いました。

 13時30分からの開始。前後15分ほどは準備や片付け、消毒などに使います。私の講義…まあ、添削教室のようなものですが、それが60分間。黒板を使っての立ちっぱなし、話しっぱなしですから、やはり疲れました。でも、今まで何処の教室でも休憩を挟んでの、2時間以上というはザラだったんですからどうってことはないはず…、なのに…。なぜ?と考えると、それはマスクのせいなんです。つけてるだけで息苦しいし、掛けた眼鏡は息で曇るし、声も今まで以上に大きく出さないといけないし…ということでかなり余分なエネルギーを使うんですね。久し振りというのもあったでしょうが、知らず知らずに相当疲れていたのでしょう。夜はもうブログを書く元気もなく早々に寝てしまいました。

 今月の兼題は「愛鳥週間」でしたが、教室では前月の兼題「目刺」の方をやりました。

 「目刺」とは、主に真鰯か片口鰯の5匹前後をひとまとめにし、目や鰓(えら)のところを藁や竹串に通して干したもの。生干しと固干しがあって、最近ではやわらかい生干しが好まれているようです。

 昔から安価で、頭や骨もたべられる栄養価の高い庶民の食べ物として、また、腹に独特の苦味があって、それが却って酒の肴として美味しいと喜ばれました。しかし、今頃は鰯も捕れなくなり、それにつれて目刺も結構高くつくし、メインのおかずにはなれないということで、我が家でも余り食べなくなりました。

  目刺より抜く一本のつよき藁        大牧 広

 上掲の句が歳時記にありましたが、教室でも、〈目刺焼くプラスチックの棒を抜き〉という句が出ていました。そういえば、今は藁や竹串などの自然のものは使わずに、代用品のプラスチックですよね。考えてみれば、食料品の捨てられる部分には殆ど人口の製品が使われていますから。ストかまぼこ(宇部ではストまきとも)だって昔は本物の麦わらで作られていたのに…、柏餅や粽だって今は本物の葉はありませんものね。

 以前、奈良へ行った時、有名な「柿の葉寿司」でも食べようかと店に入ると、〝この柿の葉っぱも食べられるのよ〟と言いながら食べておられた老夫婦を見かけました。〝これ、本物の柿の葉じゃないわよね〟と連れと話ながら、〝教えてあげようか〟〝いや食べたら気がつくわよ。要らぬお節介はしない方が…〟と、そのまま私たちは食べました。が、店を出るときみると、先ほどのご夫婦の食べたお皿には何も残されていませんでした。エエッ、やっぱり言ってあげれば良かったと後悔です。きっと昔の柿の葉寿司は葉も食べられていたんでしょう。今でもそういうのを作っているところがあるかも知れませんが、私がたまにお土産で買って帰るのは本当に精巧に出来た偽物です。それでちょっと見には分かりません。ましてや信じている人は、疑わずに食べてしまいますよ…ちょっとコワイですね。ゴミにしても、昔は自然に還元できるものが殆どでしたが、今のゴミは…これも社会の大きな問題でしょう。今回のコロナ騒動で厚労省が公表した「新しい生活様式」をこれからも考えて暮らそうというのに、このゴミの問題も一つの課題としてみんなで考えるといいと思いませんか。これからの地球の大きな問題ですよ!

 こうやって考えてみると、時代の流れや暮し方の変化など、俳句によっても分かることがあります。俳句的な善し悪しというだけでなく、こういう見方での俳句や季語など、日本に残しておきたいと思うものがたくさんあるような気がします。

 ところで、前回のブログ〝桔梗の紋所〟で実家の紋が桔梗紋だったということを書きましたが、早速弟に電話して写真を送って貰いました。

 これを見ると「丸に桔梗」の紋でした。まだ父が健在だった時に父に聞いて作ったんだと。また、父と何度か長崎へ行き、そこでいろいろな話を聞いたことがあるので、それらを話してくれましたが、でも、紋については何も聞いていないと。確かなことは長崎県諫早市飯盛町の大地主であったということぐらいでした。

 あのNHKの「ファミリーヒストリー」の番組のように、私のルーツも調べて貰えるといいなあ…なんて。ああ、それより自分で調べてみる方が面白かな!

コメント (10)
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