今日もいいお天気でした。3、4日ほど雨が降っていませんので、毎日が気持ちのいい季候といっていいのかしら、暑くもなく寒くもなくて…。これがいつまで続くのでしょう。
このところ午後からはリハビリに行きますが、さて午前中は何をしたんでしょう。全く記憶にございません…ですね。日々同じことの繰り返しで何ということもなく過ぎていく、こんなのが日常なんですよね。だからblogにも何も書くことがありません。もし私、俳句をしてなかったら毎日こういう感じだったんでしょう。
考えてみれば、俳句のお陰で随分いろいろな人やものと出会いました。いうならば、今はそれが大きな財産になっているような気がします。
実は先日の通信句会で〝麦こがし〟という季語が出たのですが、娘はどんなものか知らないし、食べたこともないから採りようがないと、言っていました。
その通りでしょう。私が子供の頃に食べていたもので、娘が子供の頃は売ってもいなかったし、だから食べさせることもなかったんです。捜せばあったのかも知れませんが、そんな暇もなくて…。
この前の〝茅花(つばな)〟や〝酸模(すかんぽ)〟も知らないと言いますので、吟行へ行ったときに一緒に食べながら教えました。俳句をされる方々とは、木苺や草苺、冬苺など…通草も、何でも見つけたらみんなで味わって一句詠んでいますもの。秋の山へ行ったときは、どれが椎の実かと捜して食べてみたり…。本当に楽しいものです。
自然はこんなにも豊かで、その恵みを惜しみなく私たちに与えてくれています。食べるもよし、見るもよし、聞いてもよしと、そういう自然の恵みの中で私たちは生きていることの素晴らしさ、愉しさを享受しているのです。有り難いことです。
ところで、〝麦こがし〟のことですが、私も俳句を始めてから知りました。何だろうと思って調べてみると…なあんだ、はったいこのことなの!と。子供の頃によく食べていました。噎せて口からプハッと吹きだし汚してしまってはよく叱られたもので…。でもあの香ばしさと甘さ…アッ、これは砂糖が入っているからなんですが、あの頃はたまにしか食べさせてもらえなかったのですから、忘れられないのです。
〝麦こがし〟は、大麦を炒ってこがし臼で碾いて粉にしたもので、夏の季語なんです。関西では「はったい」と呼んでいたらしいので、それに粉をつけて私たちは言っていたのでしょう。
「はったいこ」の語源となったのは「叩く(はたく)」という語。これが穀物を搗き砕いて粉にすることを表す語ですので、それに「粉(こ)」をつけて「はたきの粉」ということからだとか。それを関東以北では 「麦こがし」や「炒り粉」「香煎」とか呼んでいたそうです。
あの石田波郷のお母さんも石臼を引いて、はったい粉を作っておられたのでしょうね。それを思い出して詠んだ句…
亡き母の石臼の音麦こがし 石田波郷
しかし、たとえこの〝麦こがし〟の意味が分かったとしても、娘にはこういう想い出がないのですからある意味可哀想ですよね。他にも同じようなことがたくさんありますし、そう考えれば、昔の物の乏しかった時代の方が却って今の飽食の時代よりも心は豊かだったような気がしてくるのですが…ああ、これも年寄りの戯言でしょうか。でも、〝麦こがし〟食べたあ~い!
写真は、〝箱根空木〟。スイカズラ科タニウツギ属の落葉低木。箱根に多く産したとの誤認による名ですが、箱根には自生していないと。各地の海沿いに分布して、広く栽培もされます。花ははじめ白く、のち次第に紅色に変化するため、枝に紅白の花が混じるので、私は卯の花よりこの花の方が好きです。ちなみに〝卯の花〟は〝空木の花〟のことで、夏の季語ですが、これはユキノシタ科なんですよ。