昨日は日曜日でリハビリもお休みでしたので、今日は午後から。その後に耳鼻科への通院です。耳鼻科はこれで手が切れるかと思ったのですが、また来週と。更に今度は歯科へ行かなければならなくなりました。トホホ…、以前詰めていたところが取れてしまって。ああ、これも気の重いこと。次から次と不調が現れるというのもコロナのストレスからかしら?イヤになっちゃう!
今日からは閉鎖中だった公共施設が全面的に使用許可となり、学校なども再開されました。しかし、宇部市の学校は今週いっぱい午前中授業で給食なし、部活動もなしです。来週の6月1日からは平常通りになるそうですが、学生たちの登校姿が朝からあちらこちらで見られて、やっぱりホッとしますね。
これで少しは今までの日常が戻って来たようで嬉しいのですが、でも、まだまだ3密の規制があって、施設の貸し出しは1時間までと。これでは俳句教室も句会も満足には出来ません。が、3ヶ月も空白があったので、1時間でもいいからという皆さんの要望に応えて、明日は早速俳句教室があります。さて、久し振りのことで思うようにやれるでしょうか。ちょっと心配!
主人も今朝から今まで休止されていたラジオ体操へ参加。私はまだ骨折が治っていませんのでしばらく見合わせることに。来月の三週間後のレントゲン結果を見て決めようと思っています。何事も〝急いては事を仕損ずる〟ですものね。
ところで、昨夜はNHK大河ドラマ〝麒麟がくる〟の第19回目を観ましたが、前々回の「長良川の対決」で、道三に味方した十兵衛たちの敗戦が確実となった時、叔父の光安が十兵衛の父から託されたという明智家の旗印を渡して、〝逃げて逃げて、生き延びよ。そして、明智家の主として再び城を持つ身になってもらいたい…〟と言っていました。その明智家の旗印が桔梗の紋でしたよね。
また、お駒さんが幼少の頃火事の中から助けてくれた命の恩人、それが〝桔梗〟の紋所だったということで明智家の誰だろうと捜していました。それが前回の「越後へ」で十兵衛の父であったということが分かりました。結局お駒さんと十兵衛とはその見えない糸で繋がっていたのですが、この二人の絡みが今後どういうふうに発展するのだろうと、興味深いところなんですが…
そんなドラマの先のことは今は関係ないんです。今日ここに書きたかったのは、あの桔梗紋が、実は私の実家の紋だったということ。幼い頃からお盆になると提灯を仏間に立てるので、それに桔梗の紋が入っていました。でもなぜこれが我が家の紋なのかを、父にも母にも聞いたことがなかったのです。昔はこういうことには全く関心がなかったのでしょう。いろいろと聞いておくんだったなあ。ザンネン!
考えてみれば、母のことはいろいろ母が話してくれていましたから知っていますが、父のことは、在所が長崎のどこかの村で庄屋をしていた農家だったということぐらい。本当に何も知らないんです。というより、父の子供の頃の話など聞いたこともなかったんです。今にして思えばつくづく残念に思います。これもホントに後の祭りですね。
そもそも、桔梗紋は、美濃の土岐氏の代表紋で、それでその根拠地の美濃国に広まったと。いわば、美濃国は桔梗紋の天下であるといえるんだとか。それで桔梗紋を使う家の多くは土岐一族であるといわれています。だから明智家もそうだったんです。
また、昔は桔梗の花を一輪、神や仏に捧げて吉凶を占ったので、桔梗は運命を案じする花ともいわれていて、明智光秀、大田道潅、加藤清正など、歴史上運命的な生涯を送った人物が「桔梗紋」を使っていたというのも暗示的だとか。
ということで、実家の桔梗紋は、この武士の家紋とは全く違うものでしょう。江戸時代、名字帯刀は武士の特権として庶民に許されたのはごく限られた人だけだったのに対して、家紋の規制は非常に寛容だったようです。そのため庶民にも家紋が流行り、職人の印や商家の屋号などとして、また裕福な農家でも使用されるようになったのだと。明治維新とともに王政復古がなされると、封建制が解かれ、全ての庶民が名字を定めて名乗ることとなり、「家」に対する一体感がより一層強くなりました。初めて本格的な戸籍が編製されたのが明治5年のこと。まだ家紋を決めていなかった人も、名字とセットのように家紋を決め、礼装や墓石などに印すようになり、この頃にはほとんどの国民が自家の家紋を持つようになったのだそうです。
それでということなら、なぜいろいろある紋の中からこの桔梗紋を選んだのでしょう…考えれば分からない事だらけです。私が結婚するときに作って貰った紋付きにはこの桔梗紋が入っていましたが、今は違います。以前作った着物には婚家の紋を入れて貰いましたもの。
でも、娘は紋付きは要らないといいましたので、紋のことを知らないかも知れません。お墓にしても最近は家紋など付けないものも増えていますし、また、墓そのものも変わってきて樹木葬とかになったりしていますから。こうやって代々受け継がれてきた家紋も途絶えていくのかも知れませんね。最近のテレビで自分のルーツや名字のいわれなどを捜し出していく番組があって、私も時々観ることがありましたが、まだ家紋を調べるというのはないようです。
これが明智光秀の家紋の〝桔梗紋〟です。この桔梗紋にもさまざまなものがありますので、さて実家のは?今度弟に聞いてみましょう。家紋を作って家に飾ってあるようでしたから…