gooblogより〝○○さんの1年前の記事〟というのが毎日メールで届きます。ある日のこと、アレ、ない!どうしてと思って捜したことがあるんですが、それは昨年のその日に私がブログを書いていなかったということ。今頃になってそれに気がつきました。毎日欠かさずに書いておられる方にはそんなことはないでしょうが。
私の初めの頃はとびとびで、ホントにたまにしか書いていませんでしたので、そんなことには無頓着でしたが、段々書かない日の方が少なくなると、毎日〝1年前の記事〟が来るものと思い込んでしまったんですね。
今日は1年前の記事が届きました。それを見ると、あの川崎市で起こった悲惨な事件…朝のスクールバスを待っていた小学生ら19人が次々と包丁を持った男に襲われて、そのうち2人が亡くなったという話と、本日より山口県を含む九州北部地方と四国地方が梅雨入りしたということ。ヘエッ、もう〝梅雨入り〟?と思ったのですが、平年より8日、昨年より23日早いのだということで納得でした。
それで、その最後のところに写真を載せているのですが、それがこれ↓
写真は、〝蝸牛(かたつむり)〟、もちろん夏の季語です。出掛ける時玄関先のタイルにくっついていました。とても立派な殻で、4㎝はあろうかと…久し振りにこんなに大きくてきれいな蝸牛に出会いました。
これは、先日(5月17日)「何事も〝しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ〟だよ!」で載せた〝蝸牛〟と同じだと思うんですけど…みなさんはどう思われますか?この一年間は見なかったのに、先日また玄関先にいたので気がついて写真を撮ったんです。大きさも去年のと同じぐらいでした。その写真をもう一度ここに↓
カタツムリの寿命を調べてみましたが、詳しいことはわかっていないそうです。大型のマイマイ類では数年、小型の殻の薄い種類では1年程度かそれ以下だとか。雨が降った後、ブロック塀やコンクリート壁にカタツムリが沢山現れるのは、コンクリートに含まれるカルシウムを摂食する為なんですって。だから雨の後我が家のアプローチに来てたのかしら。どちらの写真も同じ場所で撮ったんです。
蝸牛は童謡にもあるように、子どもたちに親しまれる生きもので、夏の季語になっています。が、その言い方には、「かたつむり」「かたつぶり」「ででむし」「でんでんむし」「まいまい」などがあるんですよ。
それでは、次の句の「蝸牛」はどう読むのでしょう。みなさんと一緒に考えてみましょうか。
水あかり蝸牛巌を落ちにけり 飯田蛇笏
一生の重き罪負ふ蝸牛 富安風生
蝸牛や降りしらみては降り冥(くら)み 阿波野青畝
風生の句は下五ですから恐らく「かたつむり」、青畝の句は上五に「や」がありますので「ででむし」でしょう。わざわざ字余りにすることはないですから。また、「まいまい」と読んでもいいのですが、普通にこの字をそう読める人は少ないので、もしそう読んでもらいたいなら平仮名で書いた方がいいでしょうし。
問題なのは蛇笏の句です。中七ですからここは出来れば字余りにはしたくない。とすれば、〈蝸牛〉と〈巌〉のそれぞれをどう読むかにかかってきます。「ででむしいわを」か「まいまいいわを」、または「かぎゅういわおを」とも読めます。どう読んでもみな間違いではないので、そういう時私たちも一番困ります。作者がご存命なら聞くこともできますが、または作者の自句自解でも残っておればいいのですが…。
きっと作者なりの思いがあって詠まれた句でしょうから、こう読んでほしいというメッセージが籠められているはず。「巌」を「いわお」と読めば大きな岩を想像します。そうすると「かぎゅう」と読むことになりますが、耳で聞いたときあれ?何のことかしらと、すぐにはピンとこないでしょう。ここは視覚的に映像がすぐに見えてきた方が大小の取り合わせとして効果的ですし、一瞬の臨場感も出てきます。となれば、「ででむし」が一番景としては見えてきますね。「まいまい」は青畝の句で書きましたようにこの漢字を使うことは滅多にありませんから。また、「いわお」と読ませなくても「巌」の字だけで大きな岩だということは十分に伝わりますものね。ちなみに、蛇笏のふるさとにある、山梨県立文学館にはこの句を書いた額装があって、それには「でゝ虫巌を」となっているそうですよ。
こういう風に読み方一つとっても、作者はいろいろと考えて作ります。作品というのは、できあがってしまえば後はどのように読まれても仕方のないものなんですが、しかし、読む側もそこまで作者の意図を考えて鑑賞すべきではないかと私は思うんですけど、いかがでしょうか?