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河村市長「裏ではなく堂々と言おうと思った」 南京大虐殺1-6

2012-02-23 15:34:46 | 日記

河村市長「裏ではなく堂々と言おうと思った」

 

読売新聞 223()1242分配信

 

都内での記者会見でも「大虐殺はなかったのではないか」と持論を披露する河村市長

 

 名古屋市の河村たかし市長の南京事件(1937年)を否定する発言に反発し、友好都市提携を結ぶ中国・南京市が当面の交流停止を表明したことについて、河村市長は22日、発言の撤回や謝罪はしないとしたうえで、「友好関係は不変で、これまで34年間に重ねてきた交流を今後も続けたい」とのコメント文を読み上げた。

 発言について、河村市長は市役所内で記者団の取材に応じ、「国会議員時代から何度も言ってきたこと。

総領事にも伝えてある」と説明。南京市側の反応については「現地で公開討論会をやりたい。

私も行くので、すべて聞いてもらえば、私の気持ちも分かるはず。

話し合うのもいかんというのは、いくらなんでもどうかと思う」と述べた。

 また、河村市長は22日夕に東京・内幸町の日本記者クラブで行われた記者会見でも、「戦闘行為の中で多くの方が亡くなったが、一般人で何十万という大虐殺はなかったのではないか。

目撃者もいない」と、重ねて持論を展開した。

 南京市の訪問団を前に発言したことについても、「真の友好のためにも事実を明らかにする必要がある。

中国共産党の方が来たので、裏ではなく堂々と言おうと思った。

もし私が間違っていれば、議論の場で言ってもらいたい」と語った。

 名古屋市には20日以降、約330件の意見が電話やメールで寄せられた。

このうち約270件が「よく言ってくれた」と、市長の発言を支持する内容で、約60件が「無責任な発言」とする抗議だったという

 

 

掲示板に下記の書き込みがありました。

 南京大虐殺はウソだ
 http://www.history.gr.jp/~nanking/index.html

平成17年1月3日 産経新聞の記事です

 

内容は平成17年のもので、盗用かどうかはわかりません。

 南京大虐殺はウソだhttp://www.history.gr.jp/~nanking/index.htmlに関連記事があるようですが。

新地球日本史 明治中期から第二次大戦まで 147

 

南京大虐殺は存在せず 1

 

世界を駆けめぐった米紙の特ダネ

 六十七年前の一九三七(昭和十二)年十二月十三日に、南京が陥落した。

 

 当時の日本の新聞をみると城門の上で万歳をする日本軍将兵の写真や日本国内の提灯(ちょうちん)行列が特集されている。ところがアメリカでは次の新聞記事が出ていた。

 

 南京陥落から三日後のこと、十二月十五日(日本時間十六日)の『シカゴ・デイリーニューズ』は、「南京大虐殺物語」というトップ記事で、

 

 「南京陥落の物語は、落とし穴に落ちた中国軍の言語に絶する混乱とパニックと、その後の征服軍による恐怖の支配の物語である。

何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない人たちであった。・・・以上の記述は包囲中の南京に残った私自身や他の外国人の観察に基づく」

 と伝えていた。

 

 つづいて十八日の『ニューヨーク・タイムズ』も、『南京(とさつ)が陥落の特徴』という見出しで、

 

 「頻発する殺人、大規模な略奪、婦女暴行、市民殺害・・・南京は恐怖の町と化した。・・・恐れや恐怖から走る者は誰もが即座に殺されたようだ。多くの殺人が外国人たちに目撃された」

 と報じた。

 

 私たちは、城門が陥落するや城内に雪崩れこんだ日本軍が「殺人放火意のまま」に市民や捕虜を殺しまくったと思うであろう。

 

 これは世に出た最初の「南京大虐殺」であった。

 

 陥落前から南京にいて十五日に南京を離れたアメリカ人特派員のスティールやダーディンが打電したスクープ(特ダネ)であった。彼らは「外国人の目撃」を根拠として陥落三日間の南京を報じたことになる。

 

 このスクープは、たちまち世界を駆けめぐったようだ。

特ダネを求めて南京を走り回っていた二百人近くの日本の従軍記者や従軍カメラマンのなかにも、これを耳にした人がいた。

 

 東大仏文科を出て間もなく南京戦に従軍した同盟通信の前田雄二は戦後、『戦争の流れの中に』(昭和五十七年)のなかで、

 

 「占領後、難民区内で大規模な略奪、暴行、放火があったという外電が流れた。

・・・私たちは顔を見合わせた。

市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。

・・・無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」

 と回想している。

 

 南京戦に従軍した大阪朝日新聞の山本治も、南京大虐殺について、

 「全然見たことも聞いたこともありません。

・・・夜は皆集りますが・・・朝日新聞では話題になったこともありません」

 と言う。

そして、昭和十三年夏に大陸から帰国するや、

 

 「神戸のホテルで、南京では日本軍が暴行を働いたそうですね、と言われてびっくりしました。なんでも外字新聞には出ていたということです」

 と回想する。

 

 どちらが正しいのであろうか。

 

 二人のアメリカ人特派員は十五日に南京を離れているので十三、十四の二日間と、十五日に離れるまでの陥落三日間の南京の様子を、外国人の「観察」と「目撃」に基づいて報じたことになる。

 

 そこで、南京陥落後の最初の二ヶ月間の事件を完璧(かんぺき)にとり揃えているという『南京安全地帯の記録』を見てみよう。

これは一九三八(昭和十三)年二月にスマイス南京大学教授の手で一冊にまとめられた「市民重大被害報告」が、一九三九年に徐淑希編として公刊されたものである。

 

 問題の三日間を見てみると、十三日は婦女暴行と掠奪が三件、十四日は殺人一件、婦女暴行四件、手袋や万年筆や時計の掠奪が三件である。

しかし誰が目撃したかは明記されていなかった。

二人の特派員が南京を離れるまでの殺人は出所不明の数件だったのである。

陥落から三日間、明確な市民殺害の目撃は一件もなかったことになる。

 

 アメリカの特派員の言う「私自身や他の外国人の目撃」になる「頻発する殺人・・・市民殺害」とは、いったい何だったのであろうか。

1‐6 つづく(亜細亜大学教授 東中野修道)

 

東中野修道さんの記事です、内容は間違っていないと思うので掲載します。

 

掲示板に下記の書き込みがありました。

http://www.youtube.com/watch?v=h39x6TVHSdE
http://www.youtube.com/watch?v=Y2xw-wqQk9A
http://www.youtube.com/watch?v=ovCJkB163ms
http://www.youtube.com/watch?v=cfJ7EpU9Cks&feature=related


黄帝内経素問 脈要精微論篇 第十七 第五節 訳

2012-02-23 05:00:00 | 日記

おはようございます昌栄薬品の宮原 規美雄です

 

黄帝内経素問 脈要精微論篇 第十七

 

第五節

 

原文

 

 夫五藏者身之強也。頭者精明之府。頭傾視深、精神將奪矣。背者胸中之府。背曲肩隨、府將壞矣。腰者腎之府。轉搖不能、腎將憊矣。膝者筋之府。屈伸不能、則僂附、筋將憊矣。骨者髓之府。不能久立、行振掉、骨將憊矣。得強則生。失強則死。

 

 

人は五藏(五腑)の働きにより身体が丈夫になります。

頭は精明の聚るところです。

頭を傾け深く見入るように異常に見えるようであれば、精神が奪われたのであります。

背中は胸中の蔵の府となります。

背中が曲がり肩がダラリと堕ちたようになるのは、府が将に壊れようとしているのです。

腰は腎の府であります。

腰をまわそうとして、まわすことのできないのは腎がまさに病に犯され疲れてしまっているのです。

膝は筋の府であります。

屈伸できなくなり、歩行時に背と腰を彎曲させ、うつむいている体の状態になります、これは腎気が衰え筋脈も虚して疲労したことによってあらわれ、筋は将に病に犯されて疲れてしまっているのです。

(骨髓・腎の府は膀胱・耳であるが)は随の府であり、長く立っていられず、歩けば膝が笑うような状態になるのは骨が将に病に犯されて疲れてしまっているのです。

人が強を得られれば生き、強を失うようであれば死ぬのでございます。

  

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