拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

2008-01-03 | 旅人のひとりごと
お正月「ひとりごち」シリーズ第三弾!(いつからシリーズになったんだ?)
今年は比較的のんびりとしたお正月が過ごせているので、今日も少しひとりごちてみたいと思います。

世界を旅していると、普段の日常では気づかずに過ごしているものを感じたりすることがあります。
今日はそのうちの1つ「風」について、少し話してみたいと思います。


2000年の旅の時、カイロのスルタンという宿で出合った日本人ツーリスト達と交わした会話で、こんな事を話した覚えがあります。

「風が無いところでいくら羽をバタつかせてもどこにも飛んでいけない。けれど風を感じ、その風の吹く方へ羽を広げれば、すっと風に乗って大空へ飛び立つことができる。だから風を感じ、その風が吹いたタイミングで翼を広げればいい。行き先は風が知っている」

今思うとよくもまあ随分と歯の浮いた言葉をつらつらと並べたなと思いますが、きっとそれも旅のなせるわざなのでしょう。(笑)


しかし現実に、どんなに行きたいと願っている場所でも、トラブルだったり、タイミングが悪かったり、予期せぬ出来事等でなかなか辿
り着けない場所があります。
一方、そこへいくつもりは全然無かったのに、まるで何かに導かれるようにして、気づいたらその場所にいた、そんなこともあります。


この「風」というものは、もしかすると「縁」という言葉に置き換えられるかもしれません。
縁会って出会うことが出来た人だったり、場所だったり、本だったり、音楽だったり、言葉だったり。。。

人はまるで何か見えないものの力に導かれるようにして、色々なものに出会ったりすることがあります。
特に旅を始めてからはよりそれを実感するようになり、それからでしょうか、そのような「縁」というものを大切にしたいと強く思う自分がここにいます。

そういえば自分がまだ10代の頃、「しょせん人間は見えない大きな力によって生かされているに過ぎない」という言葉に出会いました。

「道は自分の力で切り開くもの」そう信じて疑わなかったその時の自分は、まったく気にもとめなかったのですが、時間を重ね、多くの出会いと別れを繰り返すうちに、何となくそういうものなのかもしれないと感じはじめています。


外国で生活するようになって、なかなか思うようにいかないことが日々あります。

「自分のやれるだけのベストを尽くしたら後は天にお任せする。縁があれば前に進める。縁無く風が吹かなければまた出直せばよい」

最近自分自身によく言い聞かせている言葉です。


もちろん自分の中で「飛んで行きたいと思う場所」は少なからず心の中にあります。
「なりたい自分になる」そんな言葉を胸にずっとこれまでも歌ってきたと思っています。

でも自分の心に描いていることは、しょせんは自分のちっぽけな価値観、世界感の中での出来事。
「海外ではなるようにしかならない」という言葉は、世界を巡る旅人ならば少なくとも一度は感じることですが、人生という名の旅においても、それは同じなのではないかと思います。

冒頭の8年前自分が語った言葉。
あれから時を経た今でも「やっぱり行き先は風に聞いてみればいいのだ」と思っています。


2000年の旅の際、水害で道が不通になっており、アスワンまで行ったのに風が吹かず辿り着けなかったアブシンベルという場所がありますが、2007年秋に紅海で1週間程休みをとって滞在する機会があり、なぜか縁あってカイロから日帰りで、スーダン国境近くにあるこのアブシンベル大神殿に訪れることが出来た時の写真をアップします。


一方2007年冬の旅で第一目的地に掲げながらも、飛行機の予約が一杯で辿り着けなかった場所にセネガルという国があります。
セネガルは2000年の旅で東アフリカのタンザニアに行った時、現地在住の日本の方から、音楽をやっているならば西アフリカのセネガルに行きなさいと言われ、ずっと行きたいと思っているのですが、まだその時が来ていないのか何度かそこへ行こうとしても縁がありません。
その変わり風が吹き、縁あって導かれた場所がエチオピアのラリベラです。

自分は最近、旅をする時のルールとして、その旅であまった現地通貨を再両替せず、小銭ではありますが、恵まれない子供達の為に活動している団体に募金するようにしているのですが、到着時に自分のバックパックが届かず、エチオピア出国時に空港で荷物を受け取り、航空会社からお詫び金を現地通貨で受け取って、50USドル以上の通貨を空港で募金したという出来事がありました。

そのお礼なのでしょうか、直後に一国の首都空港のイミグレーションで、自分のギターを見たエチオピア人係員に「1曲歌うまで出国させない」と言われ、その場でストリートならぬ、イミグレーションライブ?を即席で行い、居合わせた旅行者はもちろん、空港関係者やイミグレの職員が業務を止めて、誰も知らない名も無き歌うたいの自分に握手を求めてきたという、普通では考えられないエピソードが生まれました。

これもおそらく目に見えない力が働いているのだと僕は信じています。

願わくば、自分が募金した僅かばかりのお金が巡り巡って、厳しい環境の下に生まれついた子供が1人でも、一時でも救われてくれればと思います。

おそらくその答えを知っているのは、風だけなんでしょうけど。


※写真は縁あって訪れることができたアブシンベル大神殿(07年秋)