拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

2001年秋中国(北京・敦煌・西安)の旅

2008-01-06 | 旅メモ&旅日記(アジア・オセアニア)
2001年秋の中国(北京・敦煌・西安)の旅メモをアップします。

2001年9月20日 北京(中国)
成田(NRT)10:35→北京(PEK)13:35 NH905
両替1元=約14.5円
リムジンバスで市内へ
北京市内のユースホステルにチェックイン
地下鉄に乗って故宮へ。
天安門広場15元、故宮博物院40元
バスで天壇へ
天壇公園15元、祈年殿20元
北京泊

2001年9月21日 北京(中国)
ユースで知り合った日本人大学生とローカルバスで万里の長城(バーダーリン)へ。45元。
万里の長城で終日ストリート(城壁?)
北京泊

2001年9月22日 北京→敦煌(中国)
バスで園和臣頁(The Summer Palace)へ
リムジンバスで空港へ
北京15:20→敦煌18:00 WH2156 (北京の空港で国内線購入。1650元)
敦煌のゲストハウス飛天賓館へ。(ドミトリー激安1泊10元も物凄く汚かった)
敦煌泊

2001年9月23日 敦煌(中国)
宿に泊まっていた日本人旅行者3人で車をチャーターする。
莫高窟(MOGAOGROTTOES DUNHUANG)80元。
白馬塔13元。
鳴沙山・月牙泉へ 50元。
シルクロードの砂漠でストリート?(砂漠だけどシルク"ロード"だから路上でOK?)ライブ。
敦煌泊

2001年9月24日 敦煌→西安(中国)
敦煌(DNH)10:25→西安(XIY)12:40(XO9219)※北京の空港で国内線購入。敦煌→西安→北京で2300元。
西安でショーロンポーを食べる。めちゃウマ。
麻婆豆腐は山椒がめちゃ辛。
市内巡り
西安泊

2001年9月25日 西安→北京(中国)
ローカルバスに乗って兵馬傭(65元)、秦始皇帝陵(26元)へ
西安(XIY)17:15→北京19:05(PEK)CA1202

2001年9月26日 北京(中国)→帰国
北京(PEK)9:25→成田(NRT)13:40 UA852(NHとのコードシェア)

※写真:敦煌の鳴沙山でシルクロードの砂漠に沈む夕日をバックにストリートライブ

9月22日 ナガルコット→カトマンドゥ(ネパール)→バンコク(タイ)→帰国

2008-01-06 | 旅メモ&旅日記(アジア・オセアニア)



2003年9月22日 ナガルコット→カトマンドゥ(ネパール)→バンコク(タイ)→帰国


早朝夜明け前から3時間程ナガルコットの展望台まで少し山登りをする。

山を登っていると、近くに軍のキャンプがあるのか、トレーニングするネパール軍兵達とすれ違う。ハローと声をかけると、ハローと返してくれた。


ハアハアと息を切らしながら少し険しい山道を登り切り、展望台へと到着。
しかしこの日は生憎の曇り空で、また霧も出ており何も見えなかった。


朝食後、カトマンドゥまで車で移動する。


途中、ガイドブックには名前も乗っていない山中の村で立ち止まり休憩していると、子供達がハローと声をかけてきた。物乞いをする訳でも無く、ただ外国人が珍しいようだ。

少し観光客擦れしたカトマンドゥ市内から少し地方へいくと、まだこんなにも素朴な風景と人々が住んでいることに嬉しくなる。

今回のネパールの旅は本当に駆け足だったので、また今度ゆっくり来たいなとそんな気持ちにさせられる。

愛らしい子供達に1枚写真をとらせてもらい、お礼にチョコレートをあげた。


カトマンドゥ市内に到着後、そのまま空港へ移動。

カトマンドゥ13:20→バンコク18:10 TG320

バンコク23:50→成田7:50(9月23日) NH916


※写真は立ち寄った山村のネパールの子供達

9月21日 カトマンドゥ→ナガルコット(ネパール)

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2003年9月21日 カトマンドゥ→ナガルコット(ネパール)

朝一番でタクシーを使いパシパティナートへ。(250RS)

ガンジスの支流、バグマティ川の川岸にあるネパール最大のヒンドゥ寺院であるパシパティナートは、インドのバナラシ(ベナレス)同様、川で沐浴する人がいたり、火葬場があったりする。

しかしバナラシ程混沌としておらず、ある意味インドとネパールの違いをそのまま縮図にしたような感がある。


しばらく沐浴する人々等を眺めた後、タクシーで町中へと戻り、NOZOMI TREKZ EXPEDITIONでチョモランマ(エベレスト)が見えるというナガルコット往復の車と宿の手配をして移動。(3150RS)


午後一番にナガルコットへ到着。

ビューポイントという名のこのホテルは、晴れた日はホテルの屋上でチョモランマが見えるというので、チェックインしすぐさま屋上へ駆け上がる。


この日は晴れており、遠くの方に微かにチョモランマが見える。

このホテルの屋上でギターを取り出し、ヒマラヤの山々を眺めながら歌う。


しばらくして日が西へ傾き空が赤く染まり始める。
続けて歌っていると、同じホテルに宿泊し、ニューヨークで番組制作をしているという日本人女性が屋上に上がってきて、声をかけてくれた。歌が一区切りついた所で、しばし話し込む。


彼女はカメラが趣味らしく、世界のあちこちで写真をとったりしているらしい。
せっかくなので自分のカメラを渡し、夕焼けをバックに1枚写真を撮ってもらう。
明日は夜明け前に、ナガルコットでプチ・トレッキング(ハイキング?)をして、チョモランマを見に行くというので、ご一緒させてもらうことにしてこの日は早めに就寝。

ホテルビューポイント(ナガルコット)泊。


※写真:ホテルの屋上にて(ナガルコット)

9月20日 カトマンドゥ(ネパール)

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2003年9月20日 カトマンドゥ(ネパール)

ゴンカル空港までリムジンバスを利用。約1時間半。

ラサ10:15→カトマンドゥ12:05 CA407


空路でカトマンドゥへ移動の際、飛行機が窓際だったので、チョモランマ(エベレスト)やTop of the world(世界の屋根ことヒマラヤ山脈)がよく見える。


空港でネパールビザ取得。30USドル。
空港で両替。1ネパール・ルピー(RS)=約1.5円。
空港→市内はタクシーで約8km。250RS


昼食は釜焼きピッツァが食べられる、市内のFire&Iceへ。
マルガリータ230RS、コーヒー50RS。
ナンを焼く文化があるからか、釜焼きピッツァがメチャウマ。


午後スワヤンブナート(50RS)、ボダナート(50RS)、タメル地区、ダルバール広場(200RS)等へ。


ボダナートはチベット仏教の聖地だけあって凄く存在感がある。

チベット人はこの聖地巡礼の為にヒマラヤ山脈を越えてやってくるとか。

ここでもチベット同様、五体投地をする人々や、マニ車を回す人が多くいる。
自分は空路で飛んでしまったが、ここに来た時、昨日までのチベットの町々を巡ったことを思い出し、気持ち的にはなんだかチベット人同様、徒歩でヒマラヤを越えてきたかのような気分となり感慨深かった。


夕食はネパール音楽が聴けるネパール料理の高級レストランでカレー(ターリー形式)を食べる。辛い。ただ味は北インドに近い感じがする。
個人的にカレーは南の方が好きだ。


HOTEL NATUREに宿泊。シングル1682RS。ちょっといいホテルで、チベットの垢を洗い流す。

しかし夜中、町中で停電があり、懐中電灯もなくろうそくでの生活を少し余儀なくされる。こうなると良いホテルも悪いホテルもへったくれも無い。

まだカトマンドゥあたりでも、ライフラインのインフラ環境も完全ではないのだろうか。


※写真はボダナート

9月19日 ナンカルツェ、ヤムドク湖、カロー峠→ラサへ(チベット)

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2003年9月19日 ナンカルツェ、ヤムドク湖、カロー峠→ラサへ(チベット)

深夜高山病が酷くなり、ものすごい頭痛と吐き気、腹痛に悩まされる。

このままではこの日の移動ができないかもしれないと不安になるが、携帯用小型酸素ボンベで酸素を吸い、先日もらったよい止めの薬を飲んで眠ると翌朝にはかなりよくなっていた。


この日は朝一番にギャンツェを出て、ナンカルツェ、ヤムドク湖、標高5000メートルを越えるカロー峠等を通りラサへ移動する。


途中ラサからネパールまで自転車で旅する欧州のツーリスト達とすれ違い、しばし話しをする。


こんな高地を自転車でキツくない?と聞くと、車はスピードが速すぎて素晴らしいものを見落としてしまうから、ゆっくりと旅できる自転車がベストなんだと語っていた。


確かに仕事で遅い夏休みをとって旅をしている自分達は車でチベットを駆け抜けてしまっている。
いつか自分も彼達のような旅をしてみたいとうらやましく思う。


夕方ラサに到着。バナクショーホテル泊。(ドミトリー約25元)


※写真はヤムドク湖

9月18日 シガツェ→ギャンツェ(チベット)

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2003年9月18日 シガツェ→ギャンツェ(チベット)

早朝皆で朝粥の朝食。
昨日遊郭に行った大学生の話では、何件か覗いてみたもののかなりのオバサンばかりだったらしく、すっかりしょげかえっていた。お気の毒に。


朝一番でシガツェの中心的になっている巨大な僧院、タシルンポ寺へ。
この寺は最盛期4700人の僧侶がおり、今も800人以上が修行しているとか。
確かにデカイ。

ご利益がありそうなので旅の安全を祈願しようとお寺でお守りを購入。


その後ギャンツェへ移動。車で約2時間の道のり。


午後ギャンツェ・クンプム(パンコル・チョルテン)へ。

お寺を回っていると、寺の僧侶が自分のギターを指さし歌ってくれとジェスチャーするので、何曲か歌う。珍しいのか物凄く喜んでくれた。


それから皆でギャンツェゾンへ。

山道を登り城壁の頂上へ。ここでもギターを取り出し、30分程歌う。


澄んだ大空と広大な大地、チベットの山々の精霊に献上する祈りがごとく、自分の歌声が響く。ものすごく気持ちいい。


下山しホテルへ。WUTSE HOTEL泊。
ツインルームを楠本さんとシェア。1人160元。


旅のメンバーと中華レストランで夕食中、まだ幼稚園位の物乞いの子供がうらやましそうに覗いている。あまりにもボロボロの衣服に身を包み、真っ黒で切ない気持ちになる。


チベットは裕福な漢民族と、支配されるチベット人の構図となっており、このような物乞いの人々も少なくない。チベタン達は侵略者である漢民族を嫌っており、時々チベタンによるクーデター騒ぎも起こる。自分達のガイドやドライバーも、絶対漢民族のツアーのガイドはやりたくないと言っていた。

紛争・侵略の歴史はまだまだ今も続いている。


※写真はギャンツェゾンから見たギャンツェ・クンプム(パンコル・チョルテン)

9月17日 シガツェ(チベット)

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2003年9月17日 シガツェ(チベット)

日本人4名でチャーターしたランドクルーザーでシガツェへ。

この日のチベット人ドライバーが英語不可のせいか、英語のできる同じくチベタン(チベット人)のガイドが同行。


かなりの悪路で通常6時間の道のりが10時間以上かかる。
シガツェに着いたのは夕方頃。

皆で夕食をシェアした後、宿へ戻るが、同行した大学生は遊郭に行くという。
行くなとは言わないが、旅では金で女性を買わない事をずっと公言し続けている自分的には、まだ若いのにまったく!という気持ちになってしまう。

それならナンパに精を出す欧米の連中の方がずっと健全だと思うのは自分だけだろうか。

まあ病気をもらわないことを祈る。(大きなお世話だけど)


この日はシガツェホテルに宿泊。
ツインの部屋を楠本さんとシェア。1泊1人240元。


※写真はタシルンポ寺(シガツェ)