拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

洞門内部(マルタ)

2008-01-29 | 旅フォト(スペイン・マルタ)
青の洞門の内部です。
随分とあっさりしたコメントだと我ながら思いますが、コメントがあまりできない位あっという間に、さらっと30分程のボートの旅は終わります。(笑)

ボートで巡る(青の洞門/マルタ)

2008-01-29 | 旅フォト(スペイン・マルタ)
青の洞門はこんなボートに乗っての30分位の船旅です。
チケットは7ユーロでした。
よく比較されるのが、カプリ島(イタリア)の青の洞窟ですが、2000年の旅でも訪れた、ゴンドラを漕ぐ船頭にいざなわれる幻想的な雰囲気の青の洞窟と比べ、ここでのそれは、ちょっとその辺を遊覧ボートで周ってきました~という感じのイメージです。(笑)
カプリ島での衝撃的だった素晴らしい思い出が強すぎたのかもしれませんが、まったく別物と思った方が良いと思います。(確かにキレイな良いところなんですけど)
両方見るなら、カプリ島の青の洞窟を後にした方がよいかもしれません。(笑)

青の洞門(マルタ)

2008-01-29 | 旅フォト(スペイン・マルタ)
昨日に続いて、マルタで訪れた青の洞門を写真をアップします。
ヴァレッタから車(タクシー)で15分位(20ユーロ以下)と、地図で見るよりもずっと近いです。
バスだと本数も少なく40分位かかるみたいですが、今回は短期の旅なので、タクシーをつかまえて行ってきました。

誰かの為に生きること

2008-01-29 | 旅人のひとりごと
今日は久しぶりにちょっとだけお酒が入っているので、たまにはひとりごちてみようと思います。(笑)

今日録画した日本のテレビ番組を見ていて、ふと「愛」というテーマについて考えさせられることがありました。

自分もこれまで愛をテーマにしたラヴバラードなどを書いたり、いい歳して実は恋愛モノの映画やトレンディードラマなどが大好きで、夜中1人感動的な場面を見て涙することも多かったりするのですが(笑)、自分の人生で経験した恋愛などを振り返ってみると、随分とわがままで自分勝手な愛が多かったなと感じます。

例えば「親子の愛」

別に親は子供に何かして欲しくて子供を愛する訳じゃない。
ただ愛しくて、まるで自分の分身のような、幼く危うい存在を、どうしようもなくほっておけない、何とかしてあげたいという「見返りを求めない愛」なのだと思うんです。

でもなかなか「恋愛」となるとそうはいきません。(自分だけかもしれませんが)

少なくとも自分がこれまで経験してきた恋愛では、恋にときめいている短い月日の間は別として、どちらかというと「愛されたい」という思いや、「こんな風になったらいいな」と、相手のことを想うよりも、自分の気持ちや打算の強すぎる、独りよがりの恋愛が多かったのではないかとそんな気がしています。

ましてや隣人を愛するという「人間愛」というレベルでは、「そういう言葉は聞いたことがあります」という程度の、現実感がまったくないお恥ずかしいものだったりします。

でも生きることに疲れてしまうような、また自分の未来に希望が見つけにくくなってしまったこんな世のだからこそ、必要なのは「愛」ではないかと思います。


親が子供を愛するように、本当の愛というものは見返りを求めないもの。


10代の頃、愛とは何だかよくわからないものでした。
20代の頃、愛とは互いに持ち寄るものだと思っていました。

そして今、愛とはただひたすらに相手を思いやることだと、そう思います。


例えば親子の愛って、親が子供を、子供が孫を、そしてまたその次へと、バトンリレーのようにつなぐもの。
決して直接的に与え合ったりするものじゃないって思うんです。

20代の頃、愛とは愛し愛されることだと思っていました。
でも一見、一方通行にさえ見える親子の愛にも「真実の愛」を感じます。

今はわからなくても、きっと子供が将来、子供を持って親になった時気づいてもらえばいいと思うもの、ひょっとしたら自分がその時この世にいないかもしれないけど、それでもいいと思えるようなものだと、ぼんやりと感じるようになりました。

愛とは相手を思いやること。
そして愛は心と体からにじみ出る様に、与えるものなのかもしれないと感じています。


自分もつい、いつも自分のことばかり考えてしまう自分がいて、でもそんな自分のことしか考えない人間ばかりになったら、この世界はとても冷たく、寂しい殺伐としたものになるでしょう。


旅をしていて心温まるのは、やっぱり人の優しさに触れた時。


よく路上で歌う曲に、ジョンレノンの「イマジン」という歌がありますが、「想像してごらん、、、」と問いかけるように、どうしたら世界がもっともっと素敵な世の中になるか、生きていてよかったと思えるようになるか、自分自身で想像してみると、そこに必要なのはやっぱり「愛」だなって思うんです。


20代の頃に信用していた人に裏切られ、深く傷つき、もう死んでしまいたいとさえ思っていた時、見返りを求めない愛というとすごく偽善的な感じがして、嘘っく感じる自分がいました。

でもそれって実ものすごく寂しくて可愛そうな状態だったのだなと、その後時間を経て、旅先等で多くの素敵な人達と出会い、その人達の暖かさに触れて気づくことができました。


「誰かの為に生きている自分になりたい。」


簡単なようで、それはとても難しいことなんじゃないかと感じている自分がここにいます。

自然体でそれができるようになれたらいいなって、そう憧れている自分がここにいます。


大きな愛じゃなくてもいい、見返りを求めない小さなささやかな愛からはじめてみようと思っています。

※写真は通りがかった近所の公園に咲いていた花。