シンジへ。
お疲れ~、カズです。
ヨーロッパを出張していたかと思ったら、今度はトルコかあ。
旅人的には、トルコって物価もそこそこで、見所が多いし、リーズナブルな国内長距離バス網がよく整備されているし、飯もそこそこイケるしで、結構良い所なんだけれど、仕事だとなかなか大変そうだなあ。
いわゆる"常識"っていうものは、本当にその土地、その土地で全然違うからなあ。
さて自分にとって常識が覆された国というと、エチオピアを旅した時だろうか。
スーダン首都のハルツームから、エチオピアのアジスアベバに飛行機で入国したのだけれど、とにかく最初からトラブル続きだったんだ。
空港での現地ビザ取得時に、「お前の顔は日本人じゃない。絶対中国人だ」と勝手に決め付けられ、「おまえのパスポートは、中国で偽造したものだろ?」とか難癖つけられて、なかなかビザを発給してもらえなかったんだ。(酷い話だろ?)
やっとビザが貰えて、すっかり誰もいなくなった荷物受け取りのターンテーブルへ行ってみると、自分のバックパックと寝袋が無いんだよ。
どうやらハルツームで別の便に間違って荷物が載せられたらしくて、他にも10名以上、荷物が届いていない人がいて大混乱。
おまけにその航空会社の次のエチオピアへのフライトは4日後しかなく、それまで荷物が届かないって、その航空会社のスタッフから言われたんだ。
でも4日後っていうと、自分がエチオピアを出国する為、予約を入れている便なんだよ。
実は、エチオピアはマダガスカル等と並んで、アフリカでも3大南京虫生息地として、バックパッカーの間では有名で、安宿のベットで無対策で寝ると、体中南京虫にヤラれて、そのオゾマシイまでの痒みと跡がなかなか消えない!と言われているんだ。
だからベッドに振りかける超強力殺虫剤や、ベッドに敷くキャンプ用のビニール製ブルーシート、そして布団代わりにブルーシートの上に置いて使う、厚手の寝袋等を完備してきたのに、それも全て届かな~いって訳。これはめっちゃヤバイ。
しかしその航空会社のスタッフに、荷物が無ければ着替えもできないし、4日間どうしたらいい?と粘って交渉してみると、衣装代の名目で1万5千円分位の金額を、USドルの現金で支払ってくれたんだよ。
物価が激安のエチオピアでは、超高級ホテルでも1泊5千円もしないから、これは高級ホテル3泊分位の料金。もちろん超高級ホテルのベッドに南京虫はいない。
当初の予定では、この後アジスアベバに1泊して、翌早朝の便でゴンダールを経由してラリベラへ行こうと思っていたのだけれど、このまま空港で朝まで6時間ちょっと待てば、航空会社から支払われたお金で、残りの3泊を全て高級ホテルに泊まることができる。
おまけに過去に何度かロスト・バケージされた教訓から、2日分位の着替えはいつも手持ちのデイバッグに入れているので、着替えを最小限にして、洗剤買って、風呂場で洗濯でもして、切り抜けることにしたんだ。
そんなこんなで、デイバッグとギター1本持って、翌朝ラリベラに到着。
そのラリベラの町から、ユネスコの世界遺産にもなっている教会の遺跡までは、車をチャーターしなくてはいけないのだけれど、そこで雇った運転手兼ガイドが面白いんだ。
その時自分は、昔バンコクで買った黄色のGショックの時計をはめていたのだけれど、車で移動している時から、その時計に興味深々で、どこで買ったんだ?幾らしたんだ?エチオピアではそんなカッコいい時計は無いから、俺に譲ってくれ!ってしつこく絡むんだ。
これはオレにとっても大事な時計で、まだ使う予定だからと最初は断っていたのだけれど、あんまりしつこいんで、「それだったら今日お前に払う予定の車代とガイド代、そして明日空港へと移動する車代と交換でどうだ?」って言うと、「本当にそれでいいのか?やったあー!」とその運転手が叫んで交渉成立。
バンコクのマーブルコーンでこの時計を買った時は、日本円で1500円位で、この時交渉していたラリベラへの1日車チャーター費用と同じ位だったのと、もう3年も使っているから、こちら的にはかなり良い条件。
物々交換という手段は、ここ「エチオピアの常識」らしい。
だけど超一流ホテルが1泊5千円位の物価の国で、1500円でも感覚的には自分達でいう数万円位の相場感なのに、その大事なギャラを捨てても、このバンコクで買った黄色いGショックが欲しいのか?って感じだよ。(それだけエチオピアは"モノが無い"のだろうけど)
その日は無事に、教会の遺跡前でも歌うことができ、大きな問題もなくホテルへと戻ったんだ。
その後、ラリベラを離れアクシムへと向かう翌朝、その運転手は朝7時30分にきたのだけれど、車じゃなくて歩いてくるんだよ。
おいおい!話が違うじゃないか!って思ったのだけれど、前日は知り合いの車を借りていただけで、自分の車じゃなかったらしく、空港までの車は、約束から1時間遅れで到着。
本当に車が来るか実はちょっぴり不安だったけれど、まだ時計は渡していなかったから、1時間程ホテルのロビーで、この男とエチオピアのコーヒー等の世間話をして待っていたんだ。こんなこともあろうかと、かなり早めの時間を伝えておいて正解だった。
無事に空港に到着してから時計を渡すと、ありがとう、ありがとうと何度もギュッと握手され、物々交換は無事成立。よっぽどこの時計が欲しかったらしい。
(たぶん日本人だったら、あげるよと言っても断られそうな、自分の"貧乏旅専用時計"だったのだけれど。ちなみに日本でのMY時計は、ケータイ電話だったりする。笑)
"所変われば常識も変わる!"という感じだけれど、エチオピアでは他にもエピソードが。
エチオピアは世界的にも有名なコーヒー豆の産地で、ここでは"コーヒーセレモニー"といって、日本の茶道のような"コーヒー道"があり、緑のコーヒー豆を炒るところから始めて、1時間以上かけてコーヒーを飲むのが"常識"らしい。
豆を炒るところから始めるので、コーヒーを飲んでいるのに「透明感」を感じるほどスッキリしていて、とんでもなく美味いコーヒーなんだよ。
それはこのコーヒーを飲むためだけに、遥々エチオピアまでやって来てもいいかもと思える位で、今まで日本で飲んでいた黒い液体は何だったのだろうか?と衝撃を受けたんだ。
そしてもう1つ、エチオピアでの忘れられないエピソードが。
ラリベラの後にアクシムで滞在した後、無事にアジスアベバに戻ってきたのだけれど、その空港での出国時、パスポートコントロールを通る時に、ゲートの係員のおっさんが自分のギターを指差し、歌うのか?と聞いてきたんだ。
「もちろん。オレはジャパニーズ・プロフェッショナル・ミュージシャンだ!」(元だけど)と答えると、「1曲歌ってけ、歌わないと通さないぞ」と言われたんだ。
そこはツーリストが並んでいる、首都空港のパスポート・コントロールの出国ゲート。これはジョークかもしれないと思い、「本当にいいのか?」と念を押して聞いたのだけれど、「当たり前だ」と言うから、その場でギターを取り出して"スタンド・バイ・ミー"を歌ったんだ。
そうしたら、出国手続きの列に並んだ多くの一般人旅行者も含め、皆手拍子ですごい盛り上がりよう!(日本でもコレぐらい盛り上がってくれよ!って位、本当に盛り上がった。苦笑)
歌い終わると、パスポートコントロールの4人のおっさん達が、ゲートから飛び出してきて、次々に握手を求めてくるんだよ。
でもよく見るとゲートに誰も係員がいなくなり、出国待ちの長蛇の列ができているんだ。おっさん達の気持ちはうれしいが、ちゃんと働け!って感じだよな。
他のツーリストや空港職員からも、「サンキュー」とか、「GOOD!」とか声をかけられ、熱いものが胸に込みあがってきた。
元気をもらってお礼を言いたいのは、こっちの方だったのだけれど。
(もっとも中にはおっさん達に待たされて、不機嫌そうな白人もいたけど。苦笑)
それにしても首都空港のパスポート・コントロールで即興ライブだなんて、世界の半分以上の国を旅しても、後にも先にもここだけで、ものすごく貴重な経験だったよ。
最初は「偽造パスポートだろ」と難癖つけられ、南京虫対策をしていた荷物も届かずにどうなるかと思ったけれど、結果的に大きな問題もなく、物々交換や出国ゲートライブ等、一生忘れられないような、特別な経験をすることもできた。
"ニッポンの常識"なら、パスポート・コントロールで、職員が職務放棄して、外国人に即興ライブをさせるなんて、トンデモナイ話だと思うけれど、オレは奴等のそんな所が、心から"最高だ!"って思っている。
海外では本当に、予定通りいかない事が多いけれど、それでもオレ達は、「柔軟に、したたかに生き抜く」ことが大切なんだと思う。
その先には、シンジ。
"一生忘れられない素敵な出来事"が、お前を待っているかもしれないぜ。
カズより
P.S.
今日はそのラリベラの写真です。
エチオピアにはこのラリベラの教会目当てで訪れたのだけれど、「物々交換」、「コーヒーセレモニー」、「出国ゲートでの即興ライブ」のインパクトがあまりに強すぎて、この教会の事をあんまり覚えていないなあ、、、。(苦笑)
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