『S-Fマガジン 2011年3月号』 (早川書房)

2010年度英米SF受賞作特集。ヒューゴー賞、ネビュラ賞をはじめとする受賞作、候補作の紹介。受賞作ではなくて候補作のひとつが掲載されるのは、訳も含めた時間の問題で間に合わないのか、単純に版権のせいなのか。実は発表前に候補作をにらんで、受賞しそうな作品を選んでるんだけど外れちゃったーってことだったりして。
しかし、処女長編でヒューゴー賞を受賞したパオロ・バチガルピはすげーですな。今年は日本でもミエヴィルとバチガルピの年になるんだろうか。
今回掲載されなかった作品もSFマガジンで掲載して欲しい。ストロスはともかく、ほかの作家の作品集がすぐに出るとは思えないので。今なら海外年間ベストみたいのも出せるんじゃないかな。
○「島」 ピーター・ワッツ
手段が目的化するというのは笑うところなのか。これが事故なのか悪意なのかというところで解釈は分かれるだろうが、不幸なファースト・コンタクトの後味の悪さが残る。
○「孤船」 キジ・ジョンスン
なんじゃこりゃ。ポルノであり、フェミニズムであり、なんであり、かんであり……。解釈が分かれすぎるものの、いろんなことを考えるきっかけなりそう。ただ、この物語は、なにでもない。
◎「ペリカン・バー」 カレン・ジョイ・ファウラー
これはきつい。読んでいて苦しくなる。最後のママ・ストロングとの会話が後味の悪さを増幅する。これを正しいと思える人がいるとは思えないのだが、似たような教育を肯定する人が少なくないのはなぜなんだろう。
-「ヒロシマをめざしてのそのそと〈前篇〉」 ジェイムズ・モロウ
ゴジラが原爆のメタファーであることは、日本のSFファンにとっては常識なのであるが、米英のSFファンにとってはどうなのだろう。戦時中の特撮技術は日本の方が優れていたという話も聞くのだけれど、本当のところはどうなのだろう。そういう知識を持って読むと、いったいこの物語がどこに着地するのか、期待よりも不安というか……。
○「《現代SF作家論シリーズ》第二回 アーサー・C・クラーク論 ハードSFとはどういうものか」 金子隆一
自分も、いつからか意識して“ハードSF”ではなく、“コアSF”と呼ぶようにしている。本当におもしろいハードSFというのはめったに無いんじゃないか。あるいは、人によってはまったく存在しないものなのかもしれない。クラークの小説は十分に科学的で、細かい突っ込みは楽しみを増幅してくれても、瑕疵には当たらないんじゃないかと思う。ただ、非SFファンにとっては、どこまで嘘を許せるのかという線引き方法が恣意的にしか見えなくて不満だろうな、きっと。
◎「最初の星の種」 山本ゆうじ
Readers Stroyは毎回除外しているんだけど、今回はちょっとすごかったので、あえて◎を。こういうSF的な想いがなぜ生まれたのかというのは、永遠にロマンチックなテーマだと思うのですよ。

2010年度英米SF受賞作特集。ヒューゴー賞、ネビュラ賞をはじめとする受賞作、候補作の紹介。受賞作ではなくて候補作のひとつが掲載されるのは、訳も含めた時間の問題で間に合わないのか、単純に版権のせいなのか。実は発表前に候補作をにらんで、受賞しそうな作品を選んでるんだけど外れちゃったーってことだったりして。
しかし、処女長編でヒューゴー賞を受賞したパオロ・バチガルピはすげーですな。今年は日本でもミエヴィルとバチガルピの年になるんだろうか。
今回掲載されなかった作品もSFマガジンで掲載して欲しい。ストロスはともかく、ほかの作家の作品集がすぐに出るとは思えないので。今なら海外年間ベストみたいのも出せるんじゃないかな。
○「島」 ピーター・ワッツ
手段が目的化するというのは笑うところなのか。これが事故なのか悪意なのかというところで解釈は分かれるだろうが、不幸なファースト・コンタクトの後味の悪さが残る。
○「孤船」 キジ・ジョンスン
なんじゃこりゃ。ポルノであり、フェミニズムであり、なんであり、かんであり……。解釈が分かれすぎるものの、いろんなことを考えるきっかけなりそう。ただ、この物語は、なにでもない。
◎「ペリカン・バー」 カレン・ジョイ・ファウラー
これはきつい。読んでいて苦しくなる。最後のママ・ストロングとの会話が後味の悪さを増幅する。これを正しいと思える人がいるとは思えないのだが、似たような教育を肯定する人が少なくないのはなぜなんだろう。
-「ヒロシマをめざしてのそのそと〈前篇〉」 ジェイムズ・モロウ
ゴジラが原爆のメタファーであることは、日本のSFファンにとっては常識なのであるが、米英のSFファンにとってはどうなのだろう。戦時中の特撮技術は日本の方が優れていたという話も聞くのだけれど、本当のところはどうなのだろう。そういう知識を持って読むと、いったいこの物語がどこに着地するのか、期待よりも不安というか……。
○「《現代SF作家論シリーズ》第二回 アーサー・C・クラーク論 ハードSFとはどういうものか」 金子隆一
自分も、いつからか意識して“ハードSF”ではなく、“コアSF”と呼ぶようにしている。本当におもしろいハードSFというのはめったに無いんじゃないか。あるいは、人によってはまったく存在しないものなのかもしれない。クラークの小説は十分に科学的で、細かい突っ込みは楽しみを増幅してくれても、瑕疵には当たらないんじゃないかと思う。ただ、非SFファンにとっては、どこまで嘘を許せるのかという線引き方法が恣意的にしか見えなくて不満だろうな、きっと。
◎「最初の星の種」 山本ゆうじ
Readers Stroyは毎回除外しているんだけど、今回はちょっとすごかったので、あえて◎を。こういうSF的な想いがなぜ生まれたのかというのは、永遠にロマンチックなテーマだと思うのですよ。