神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[映画] ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島

2011-03-26 19:45:05 | 映画
ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島 3D - goo 映画


(C) 2010 Twentieth Century Fox Film Corporation and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.



正直なことを言うと、映画としての出来はどうかと思う。しかし、この映画はそういうものではないのだ。

あの『ナルニア国物語』を忠実に映像化する。まさしく、何も足さない、何も引かない。

その意味では、パーフェクトな出来だ。すばらしすぎる。

のうなしあんよはまさしくそのまんまだし、ユースチスの憎たらしさは原作以上だ。

最後に出てくるアスランが待ち受ける場所の美しさなど、到底映像化できるとは思わなかった。あの花もたぶんCGなんだろうけど。

エンドロールで原作の挿絵がアニメーションしているのも、原作読者にはうれしい演出だ。

ナルニア国物語はこの先も第7章まで、とにかく原作に忠実に、変な演出など加えずに、このまま続けてもらいたい。

原作読んでない人は原作を読むべきだよ。あれは原作読んでなんぼのもの。

特に、中学生以下の女の子推奨(笑)

従姉妹の娘に与えたら、映画は見るのに本は読まないらしい。寂しい。別な従兄弟の娘が小学校低学年なので、こっちを攻めるか。

うちは姉弟そろってシングルゆえ。すまぬ、両親よ。



あと、3Dで見たのだが、やっぱ2Dでいいよ。というか、2Dは吹き替えしかなかったから3Dで見ざるをえなかったのだけど……。



[SF] 地球の緑の丘

2011-03-26 17:02:42 | SF
『地球の緑の丘』 ロバート・A・ハインライン (ハヤカワ文庫 SF)




〈未来史〉シリーズの第2巻。このあたりになると、シリーズという意識が出てきたのか、自覚的な背景の共通化が見られる。

第1巻の「月を売った男」で月開発の先鞭をつけたDDこと、D・D・ハリマンが遂に月面へたどり着いたり、ロケットの型式名が引き継がれていたり。

ハインラインの未来史感は、人類は同じような失敗を繰り返しながらも、ヒーローの力よって一歩ずつ、着実に進んでいくというものか。

この“同じような失敗”の部分は、当時の世界情勢の反映であると同時に、人類の考え方の普遍性を描くものである。好意的に捉えればね。


そしてまた、著作された年代が年代だけに、核への恐怖が常に背景に流れている。しかし、放射能被曝をものともせずに、他者を救おうとするヒーローたちの姿により、原子力は怖いが制御可能なものとして描いかれている。

彼らヒーローの姿は、現在、原子力発電所事故の対応で生命を危険に晒している作業員たちの姿に重ねあわされ、涙なしには読めません。しかし、生命と引き換えに地球を救うヒーローはフィクションの中だけでたくさん。

現実の作業員のみなさんには、安全第一で、冷静に作業を進めていただきたいと願います。




「宇宙操縦士」
夫婦喧嘩は犬も食わない。まぁ、なんというか、女の仕事はなんたらかんたらというのは、ジェンダー的にやばい昨今。

「鎮魂曲」
「帰れなくてもいいから宇宙に飛ばしてくれ」と言ったのは誰だったか。やっぱり、生きている間にひと目でいいから、この眼で月面を見たいものだ。

「果てしない監視」
原題のwatchは監視というより、当直かなぁ。放射能ネタ。その棺までもが汚染されたヒーローの埋葬は、いろいろな意味で心に染みる。

「座っていてくれ、諸君」
月面で空気漏れ。そして、タイトルの通り。

「月の黒い穴」
バカとヒーローの見分け方。ハインラインの特徴というか、考え方が良く出た作品だと思う。

「帰郷」
おうちがいちばん。おうちってどこ? あー、でも自分はまだ、東京よりも北海道がおうちだと思っているけど。

「犬の散歩も引き受けます」
解決策は魔法でしかないのだが、主題はそこには無いということなのだろう。どちらかというと、経済学小説なのか?

「サーチライト」
行方不明になった盲目の少女をどうやって見つけるか。掌編だが、SF的な面白さが満載。少女の勇敢さ、聡明さも際立っていて良い。

「宇宙での試練」
宇宙での事故により広所恐怖症になってしまった男が、子猫を救うことにより尊厳を取り戻す話。子猫の可愛さが際立っていて良い。

「地球の緑の丘」
ふたたび自己犠牲と放射能の話。しかし、このタイトルはすばらしいな。

「帝国の論理」
内惑星開発によって繰り返される帝国主義、植民地政策、そして独立組織。憤る主人公を迎えるペシミスティックな結末。ハインラインは内惑星の植民地化を、肯定的では無いにしても、避けられないものと考えていたのだろうか。




[SF] ダイナミックフィギュア

2011-03-26 16:14:01 | SF
『ダイナミックフィギュア』 三島浩司 (ハヤカワJコレクション)




太陽系外からやってきた謎の物体、STPF。落下したその物体の破片から生まれる人型モンスター、キッカイと戦う人型近接決戦兵器、ダイナミックフィギュア。

周辺各国、米露中韓朝台、五加一の承認を得て、牢獄台から出獄するダイナミックフィギュア。ユラピストル、ユラライフル、ユラスピア! 最後は蹴りだ、手刀だ、この野郎!

どう見てもアニメ的な物語を、小説ならではの細かい書き込みとSF設定とによって支える、リアルロボットSF小説。


人型ロボットの存在理由はそれなりに考えれられており、基本戦力は陸自の実在兵器。キッカイの走馬灯を除去する必要性という設定が、いろいろな角度からの精密射撃や格闘戦の必要性につながり、最後は「足なんて飾りですよ!」まで飛び出して、人型が人型である理由に説得力を与えようとしている。

走馬灯というのはキッカイの牡種が持つ生体器官であり、記憶を牝種の胎児に伝えることができる。これにより、当初はゾンビみたいにふらふらしてるだけだったキッカイが急速に学習、進化を遂げる。この走馬灯は牡種が死ぬ直前に記憶を伝えるため、キッカイを倒す前に走馬灯を切除しなければならない。

この走馬灯の存在がキッカイとの戦闘を複雑化し、物語に深みを与えている。たとえば、キッカイに飛行機を見せてしまえば、そのキッカイが走馬灯を経由して胎児に知識を伝え、キッカイが空を飛び始めてしまうという。ゆえに、戦闘に航空機はどころか、羽付きのミサイルさえも使えず、航空戦力は飛行船という徹底ぶり。ただし、そのための設定で、STPFの破片が放つ究極的忌避感によって、その周辺では人間どころか鳥も昆虫も生き残れないということになっているというのはちょっと無理矢理かなと思う。

こんな感じで、とにかく膨大な設定がリアルロボットを活躍させるために用意されており、読者が読み進めるにしたがって披露されていく。冒頭からゆっくり読んでいくのには問題ないが、本の紹介や感想を書こうとすると、これが難しい。走馬燈やら究極的忌避感やらの説明無しでは記述できないのだけれど、それらを書いていくと到底書ききれない。まったく感想の書きにくい小説だ。


そして、やたらと想起される“ヱヴァンゲリヲン”ネタ。3人の少年少女、親子の葛藤、組織の裏の顔……。使われなかった伏線なのかもしれないが、〈カラス〉の子は3匹いて、一匹がパイロットの親を食っている。それはつまり、アレを思い起こさせるわけで……。

いまさらヱヴァでも無いだろうが、ネタは過去の作品(エヴァンゲリオンに限らず、ファフナーだのなんだの)をトレースするわけではなく、どちらかというとアンチ的な対比を見せているように思える。

たとえば、本作品で重要なポイントになる“他感作用”、“究極的忌避感”とヱヴァンゲリヲンのATフィールドの違い。

ATフィールドは閉ざされた心の壁のアナロジーとして用いられ、さらには人と人の境界を示す絶対的な障壁であった。一方、他感作用(アレロパシー)は「ある植物が他の植物の生長を抑える物質を放出するなどにより排除する作用」のことを言い、人と人の間にも他感作用が存在するのではないかということが仮説として示される。また、STPFが放つ究極的忌避感とは、五月病や登校拒否の強烈なものであり、あまりに強烈過ぎて死に至るという。他感作用仮説は、人と人の間だけではなく、さらには異性種族間にも作用し、その強烈なものが究極的忌避感であるという仮説が導かれる。

関係性の中に“壁”という障壁があるのではなく、無意識のうちに相手を排除しようとしているがゆえに障壁が生まれる。排除すべき壁などは無く、障壁を排除することと自死が表裏一体化するという結論は、ATフィールドの消失によって他者と一体化するというエヴァ的結論よりも悲劇的かもしれない。


この物語は後半に進むにつれてグダグダ感が生まれ、ある意味、無理矢理な結末へと突き進むところも、いかにもアニメ的である。しかし、久しぶりに、読んでいて電車を乗り過ごしそうになった作品だ。

正直なところ、これまで三島浩司は自分の中で評価が低く、この小説もJコレじゃなかったら読んでいなかっただろう。参りました。見直しました。

それにしても、Jコレクションは(というか塩澤さんは、なのか)いいものを拾ってくるな。


[SF] 10月1日では遅すぎる

2011-03-26 16:09:46 | SF
『10月1日では遅すぎる』 フレッド・ホイル (ハヤカワ文庫 SF)


1966年(45年前!)に刊行されたSF。著者は科学者(天文、物理)でもあり、ハードSFとの触れ込みだったので敬遠していたが、表向きは軽く読めるエンターテインメントだった。

主人公はクラシック音楽家。昨今のクラシック軽視な風潮に怒ってフェスティバルを辞するところから話は始まる。故郷のイギリスに戻った彼は、友人の物理学者ジョンとキャンピングカーの旅へ出かける。そこでジョンが行方不明になり、そして復帰する。

その後、二人がハワイへ行った時に、より大きな事件が発生する。アメリカ大陸が連絡を絶ってしまった。

旅客機で調査に向かった彼らの前に、大自然に帰ったアメリカが現れる。その後、たどり着いたイギリスは、彼らとは微妙にずれた時間のイギリスだった。地上は、地域ごとに時間のずれたパッチワークになってしまっていたのだ。

そして、調査のためにギリシャへ向かう音楽家。その前に神として現れたのは未来人だった。未来人が語る地球の未来。そして、パッチワーク世界での彼らの計画とは……。

タイムトラベル物だと聞いていたが、別に時空を行き来するわけではなく、時空が壊れてしまった世界の話。その中で、唐突に意識と時間認識の科学ネタが提示され、それが時空混乱の原因を示唆する。これがSFネタではなくて、ちゃんとした科学だというのが驚愕である。

また、未来人の語る地球の未来もある意味衝撃的。ある意味、東洋的な無常観に繋がるような諦観が見える。

人間は一定数を超えると、二つの集団に分裂する。そして、その集団同士は必ず戦争を始めてしまう。そのため、平和を維持するためには人口を極端に制限しなければならないというわけだ。

無人島物などでは、一定数どころか、人間は二人以上いれば必ず分裂するような気もするが……。結局のところ、最終戦争に至るための人口密度というのは実在するのかもしれないと思わせるだけの説得力はある。

どうして時空が壊れたのかという原因については、太陽からうんたらかんたらという話があるが、このラインはちょっと尻すぼみ。さらには、場当たり的なストーリー展開も隠せない。しかしながら、名前の残る名作であるだけに、そのような瑕疵を超えた面白さがあり、SF史の知識としてタイトルを知っておくだけになるのは惜しい作品のひとつ。



[SF] デリラと宇宙野郎たち

2011-03-26 16:05:40 | SF
『デリラと宇宙野郎たち』 ロバート・A・ハインライン (ハヤカワ文庫 SF)


〈未来史〉シリーズは第二巻の『地球の緑の丘』を除いて目録落ちらしい。二巻目だけしか無いだなんて困ったものだ。まぁ、連作じゃないので関係ないといえば関係ないんだけど。

〈未来史〉シリーズはハインラインのデビュー当時の短編をまとめた短編集。割と近い設定の短編が多いので、ひとつのシリーズにされているが、基本的に作品間のつながりはほとんど無い。

で、『地球の緑の丘』だけやたらと有名。ハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだ獣』なみ。なおかつ、本当に読んだことのある人は少ないというところまで一緒か(笑)

自分も長らく積読だったので、頭から読書開始。

やっぱり、ハインラインって強いアメリカの象徴みたいな男だな。個人主義と言われているけど、世界を救うためなら、隣人を殴ってでも従わせる系な感じ。

また、目的のためなら手段を選ばないという覚悟もすごい。俺が正義だ。法も秩序も隣人愛も関係ない。最終的な目的を遂げればみんな幸せ。これが時々鼻に付くのは確かかもしれない。

昔はそんなことには気づかずに、ただただ圧倒的なドライブ感に酔わされていたかも。しかし、強いヒーローには、そうした信念が必要なのだろう。ドラゴンボールの孫悟空は人格破綻者というネタにも通じるものがあるな。



「著者紹介」 デーモン・ナイト
実はこれが一番興味深いかも。ハインラインにも新人作家だった頃があるなんて、信じられねーとか思っていたが、本当に新人作家らしいところは無かったんじゃないのか!

「生命線」
原題は「Life-Line」。どっちかというと、カタカナのライフラインじゃなくって、手相の生命線に近いか。一発アイディアの掌編なのだが、科学とは何かというSF的な問題意識と、自分の死をどうやって受け入れるかという文学的な問題意識が盛り込まれている。

「道路をとめるな」
自動車社会には先が無いという考えを受けて、それでは自動車の代わりに何が必要かという答えが、道路を動かせばいいというのは、さすがスケールが違う。で、そこで道路を動かし続けるのは誇りであり、労働者ではなくヒーローの仕事なのだ。

「爆発のとき」
さすがに道路を動かし続けるのは無謀と思ったのか、次は原子力発電だ。しかし、原子力は怖い。怖い原子力のそばで働く人たちは、よくまともな精神状態でいられるな。これは本当にそう思う。ちゃんと知識を持って、いたずらに恐れることなく、勇気を持って立ち向かうべき。そして、その解決方法は……。

「月を売った男」
やっぱり宇宙だよねー。と思ってたら、衛星軌道で事故。そんじゃの先は……。やっぱ月だよねー。しかし、この強引なまでの月への渇望。法律も何も知ったこっちゃ無いというなりふり構わなさが、いったいどれだけ理解させるんだろうか。これも一種のビョーキなのかもしれないけど、SFファンや天文ファンなら共感するだろう。

「デリラと宇宙野郎たち」
宇宙野郎は誇りを持ったヒーローなのだ。そこにやってきたかわい娘ちゃん。ヒーローがいるなら、ヒロインがいたっていいじゃない。男尊女卑的な視点が無きにしもあらずだが、これが始まりの瞬間。


[SF] SFマガジン2011年04月号

2011-03-26 16:01:57 | SF
『S-Fマガジン 2011年4月号』 (早川書房)




「ベストSF2010」上位作家競作。SFマガジン読者賞ではなく、『SFが読みたい! 2011年版』のベストSFから上位2名の作品を収録。

一方の読者賞は、国内篇が小川一水「アリスマ王の愛した魔物」、海外篇がテッド・チャン「息吹」。テッドちゃんは文句なし。小川一水はこれで取らなくても、と思うけど。

収録作4作は、さすがの秀作ぞろい。SFって本当におもしろいなぁと思わせてくれる。




◎「リリエンタールの末裔」 上田早夕里
あえて『華竜の宮』に絡める必要はない短編だと思うんだけど、今後、彼らがメイン・ストーリーに絡んでくるんだろうか。いや、その前に、そもそも『華竜の宮』の続編はあるのか。空を目指す人類の夢というのは、たとえ時代が変わっても、たとえ姿が変わっても、変わらずに生き続けているというのはロマンだな。その心がいずれは人類を再び月や火星や外惑星や、さらには、太陽系外まで連れて行くに違いない。そしてまた、少しだけ違う者を排除しようとする心、誰かのせいにしたいという心も変わらない。

◎「神が手を叩くとき」 マイクル・F・フリン
逆『異星の郷』。ファーストコンタクトの皮肉な結末。不用意な擬人化は理解の妨げにしかならないのだろう。

○「カメリ、メトロで迷う」 北野勇作
ネット用語で言うところの、いつもの平常運転。

◎「セバスティアン・ミンゴランセの七つの人生(のようなもの)」 フェリクス・J・パルマ
シュレーディンガーの猫は、生きてるか死んでるか50%ずつなのではなく、生きている猫と死んでいる猫が二匹いる。それが人間だったら、というIFの文学。まさしくSF。選択のたびに分裂していく主人公の姿に心地よい混乱を憶える。

-「ヒロシマをめざしてのそのそと〈中篇〉」 ジェイムズ・モロウ
後篇じゃないのかよ! この方向でそのまま終わりだったら駄作認定。後篇があるってことは、もうひとひねり来るんだろうな。

○「《現代SF作家論シリーズ》第三回 ロバート・A・ハインライン論 見えないロボット」 小畑拓也
うーむ、いまいち共感できない論。ハインラインのロボットは、ハインラインの主要ガジェットじゃないと思う。