神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[映画] ホビット 竜に奪われた王国

2014-03-03 23:41:50 | 映画

『ホビット 竜に奪われた王国』

 

映画の日(サービスデー)だったので、『ホビット 思いがけない冒険』を見ていないにもかかわらず、映画館へ出撃。まぁ、だいたいのお話は知ってるし、問題ないでしょ。

大作が封切週にサービスデーで¥1000均一なのは映画業界にとって良いのか悪いのか。でも、昼過ぎの回はそんなに大入りじゃなかった。2D字幕版だったからか?

内容は、要するに『ホビットの冒険』そのまま。はるか昔に岩波少年文庫版で読んだだけだけだったのだが、事前にwikipediaで復習したせいもあり、細部は覚えていなくても、特にお話に混乱することもなく。

ただ、似たようなひげ面が多いので、人物の同定にときどき混乱した(笑)

見どころは、遊園地のアトラクションのようなアクションシーン。樽に入って川を流れたり、トロッコにのって振り回されたり、そのままUSJかどこかにあっても不思議はないような、比喩的な意味ではなく、本当にジェットコースター・ムービー。

そして、遂に姿を現した邪竜スマウグは、翼のつき方や、城の中を駆け回る姿がモンハンのティガレックスにそっくり。ぜったい、スタッフにモンハンやってるひとがいるでしょ!

ビルボやドワーフたちの活躍によって、スマウグはターミネーターのごとく溶鉱炉で仕留められたか……と思ったら、黄金の姿で翼を広げて復活。

港町エスガロスのバルトが、伝説の黒い矢を取り出し、それを大弓で撃つんでしょ、というところで、盛り上がるだけ盛り上がって終了。その矢、撃たないのかよ!

といういいところでつづく!

『指輪物語』の前日譚としては、ドワーフたちと別行動となったガンダルフの怪しげな行動も興味深いところ。

完結版の『ゆきて帰りし物語』はいつになるかわからないが、また映画サービスデーにうまく当たったら見に行こうかな、ぐらいな感じ。

 


[SF] 家守綺譚

2014-03-03 23:33:07 | SF

『家守綺譚』 梨木香歩 (新潮文庫)

 

『SFが読みたい! 2014』の10位に入ったのが梨木香歩の『冬虫夏草』。書名も聞いたことがなく、ノーマークだったので読んでみようと思ったが、続編とのことで前作の『家守綺譚』を入手。

薄い文庫本だったので、通勤電車の中であっさりと読む。

内容としては、妖怪と幽霊の物語。とはいっても、おどろおどろしいところはほとんどなく、怪談というよりは和風ファンタジーといった趣。

時代はおそらく戦前。山に近い田舎の村で、死んだ友人の実家を“家守”する駆け出しの作家を主人公に、その家や周囲でおこる怪異があたりまえの出来事のように綴られる。

床の間の掛け軸から舟でやってくる友人をはじめ、怪異たちの仲裁役を務める飼い犬のゴローや、主人公に懸想するサルスベリの木など、主人公以外は不在なのはずの空き家も、なかなか賑わしい。

山寺の和尚さんはともかく、隣のおかみさんもかなりの物知りで、そんなことも知らないのかと、田舎の風習を語るがごとく、河童の着物や人魚の嫁入りについて教えてくれるのがおもしろい。

そのうちに、だんだん、タヌキに化かされたりするのがごく普通の出来事のように思えてくる。そして、そんなこともありますねえと、一言で済まされてしまうように、身近な話に思えてくるのが、なかなか不思議な気分だった。

もしかしたら、昔の日本にはそうやって身近な場所に、本当に不思議なものたちが住んでいたのかもしれないと思わせられた。

 

 


[SF] アンドロギュヌスの皮膚

2014-03-03 23:24:00 | SF

『アンドロギュヌスの皮膚』 図子慧 (河出書房 NOVAコレクション)

 

読書メーターが著者ご本人様に補足されてしまったので、書きにくいところではあるのだけれど……。

 

図子慧は『キャット・ボーイ』(姉の本棚にあったのを読んだ)の昔から好きな作家だったのだが、残念なことに、これはいまひとつだった。

河出のNOVAコレクションからのリリースだったので、『NOVA 5』収録の「愛は、こぼれるqの音色」の長編版かと思っていたのだけれど、ぜんぜん関係なかった。

内容的には、ハードボイルド風味のサイエンス・スリラーなのか。

序盤の設定や展開にものすごくわくわくさせられたのだけれど、期待とはまったく違う方向に行ってしまったのがとても残念。

子供だけの閉ざされた“ホーム”。水没した東京の東半分。超絶美形で無邪気な殺し屋。あからさまに怪しい病院と、医師たち。感染するととんでもなくヤバいらしいウィルス……。

これで、書いているのが図子慧で、レーベルがNOVAコレクションなんだから、いろいろ期待するじゃないですか。

しかし、こんな設定の元で、結局のところ、なんだったんだっけ。という終わり方。

もっともいただけないのが、登場人物たちの動機というか、行動原理に納得できないことなんだよね。なので、物語があって彼らが動いているのではなく、物語を進めるため、事件を発生させるためにむりやり彼らを動かしているように感じられてしまう。

(俺的に)魅力的な設定もほとんど生かされることもなく、禁断のウィルスにいたっては、ただの事故だったりするし。

好みの物語でなかったせいで集中力が足りなかったのか、実際に推敲が足りないのか、展開が飛んでいたり、唐突だったりする場面もあった。有里なんて、5人ぐらいいるんじゃないかと思えるくらい一貫性の無い言動をしているし、妊娠するぐらいならわかるけれども、いつのまにか結婚してるし。

クライマックスにつながる50メートルの垂直降下も、どうやって降りるんだと思ったら唐突に病院の山岳部員なんてのが出てくるし。いつからいたんだ、そいつ。

あと、どうでもいいことだけれど、三井が参加する格闘技大会のルールって、どこから出てきてるんだろう。立ち技打撃基本で関節技無しなのに投げ技有りルールって、UFCでもシュートボクシング(立ち関節あり)でも無いし、これも、三井をどうやって活躍させるかのための、ストーリーありきで要請されたルールにしか見えないんだよね。ここでも創作時の舞台裏が透けて見えるような感じ。

お前が想定読者じゃないんだと言われればその通りかもしれないけれど、『ラザロ・ラザロ』や『沈む少年』のような、冷たい近未来ファンタジーをもう一度書いて欲しいものだ。

 


[映画] キック・アス ジャスティス・フォーエバー

2014-03-03 23:03:21 | 映画

『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』

 

あの『キック・アス』の待ちに待った続編。自主制作映画からメジャー制作になったおかげで、ヘンにお行儀よくなってしまうことを危惧していたけれども、お下劣でグロい部分はそのままに、字幕監修も町山智浩なので、細かいパロディネタも問題無し。

ヒット・ガール=ミンディのダンスシーンひとり演武シーンや、紫色のバイクをブッ飛ばすシーンは恰好良過ぎ。特に、アドレナリン爆発状態で瞳孔を見開いた、スーパーサイヤ人的狂えるスーパー・ヒットガールはかわいさ抜群、怖さも抜群。コワ*kawaiiでびっくりですよ。

敵役の神取忍みたいなマザー・ロシアもすごかった。というか、他の殺し屋がへぼ過ぎで、こいつが目立ち過ぎなのだけれど。

で、映像や演出には大満足ではあるのだが、やっぱり何かが違う。これは脚本のミスなんじゃないか。というか、ストーリーの方向性のミスというか。

『キック・アス』は「ヒーローってなに? 正義ってなに?」っていうテーマを、ヒーローにあこがれるイケてない少年を主人公に描ききった傑作だった。バカ強いヒロインのヒット・ガールは、ダメなキックアスの対極に配置される存在として生まれたはずだった。

一方で、『ジャスティス・フォーエバー』では、父親と子供の関係(アメリカ人ってこのテーマ好きね)がメインになっていて、正義とかヒーローとかはどうでもよくなっているような気がする。

デイヴ=キック・アス、ミンディ=ヒット・ガール、そして、敵役のクリス=マザー・ファッカーも、それぞれに父親、もしくは、父親代わりの存在との間に問題を抱えている様子が描かれる。そして、それはそれぞれに、不幸な結末を迎えてしまう。それはいいのだけれど、それって『キック・アス』の続編としてメインに描くべきものなのだったのか?

さらには、高校生活になじめないミンディのハイスクール・カースト話なんかも、結局どうしたいのかがわからない。「私は私」とか言いつつ、クイーンビー的な価値観を変えるところまでは描けていないような気がする。しかも、デイヴも(白人ってそういうものなのかもしれないけれど)いつのまにかムキムキ筋肉マンになってるし。

俺ら、ナードが世界の価値観をひっくり返す話が観たいのであって、ナードがマッチョになる話を観たいんじゃないんだよ。

メジャーになったせいで、いろんな人がいろんな意見を言って、あれもこれもと欲張り過ぎた結果、どのテーマも掘り下げが浅くなって、ただのクロエのプロモーションビデオになってしまった感じ。

さらに言えば、正義ヒーロー集団のジャスティス・フォーエヴァーはアベンジャーズのパロディなのだけれど、風刺や批判のためのパロディではなく、ただの真似っこでしかなくなっている。物語内の位置づけとして、ただの表面的な模倣であることは当然なのだけれど、メタ的な意味でもう少し意味づけを与えることはできなかったのか。

どちらかというと、悪玉親分のレッド・ミストマザー・ファッカーの方が、「悪ってなに?」という葛藤があったように思う。その結果が、「シティを爆破してやるぜ」というショッカー的に無意味な計画になっていったのだろう。ただ爆破するだけ。そこにはテロのような主義も主張もない。ただ、何でもいいから、悪いことをやりたいだけ。

「正義ってなに?」という『キック・アス』のテーマに対置するように、「悪ってなに?」というテーマがありえたんじゃないか。

クリスがマザー・ファッカーと名乗り始めたのも印象的。クリスの母親殺しの自責の念と開き直りがこの名前に凝集されている。そういう意味では、クリス側を主人公に掘り下げた方が面白味が出たような感じ。

エンドロールの前後に挿入されるシーンからすると、さらに続編もありそうなのだけれど、このまま下品なだけのヒーロー映画で終わるのは惜しい。次作があるとすれば、もう少し脚本を考えて欲しいものだ。