『遠き神々の炎』の直接的な続編。なんと、約20年の時を経ての続編刊行となった。
期待とともに、前作の内容をすっかり忘れているという不安も大きかったが、犬っぽい生命体の群体知性である“鉄爪族”の強烈なキャラクターが記憶に残っていて、それをトリガーに記憶を呼び覚ますことができた。
しかし、この内容は、起承転結の承部分を延々続けたような感じで、長い割に読み終えた満足感が無い。クライマックスのアムディvsベンダシャス、ヨハンナvs大富豪が伝聞で終わってしまったのも尻つぼみ感を増大させている。さらに、ラヴナとネビルの対決も、グダグダで、すっきりとしないまま次巻へ持越しとなってしまった。
3部作の第2作って、だいたいこういう感じで、すべて完結してから再評価されるのが常なので、そういうことかと思うのだけれど、そもそもこのシリーズは三部作で終わるのかどうかすら定かではない。というか、このペースで次巻は20年後とか言ってたら、著者のヴィンジは90歳になってしまう。
いくら元妻のジョーン・D・ヴィンジがこのシリーズに参戦といっても、さすがに厳しいでしょ。
ということなので、いつ完結してもおかしくないぐらいでいて欲しいんだけど、さすがにこれは引っ張り過ぎ。なんとか、著者も読者ファンも生きてる間に完結させて欲しいものだ。
という事情はさておき、小説としての読みどころは、背後に超越界だの低速圏だのといったハードSF的なバックボーンがありつつも、人類との邂逅により、今まさに文明開化を迎えた鉄爪族社会の進展と、人類の世代交代による世論衝突のあたり。
文明開化といっても、鉄爪族そのものが群体知性というファンタジックな存在であり、人類が持ち込んだ科学技術も(物理界の制約により!)限られたものにすぎないので、どちらかというと、ファンタジー世界の物語に読める。
さらに、知性のあり方すら異なる熱帯地方は、暗黒大陸と呼ばれた頃のアフリカを思い起こさせる秘密と冒険の大地だ。
人類の視点や、改造群や欠損群からの新しい見地から鉄爪族を見直すことによって明らかになってくる、群体知性における自意識の在り方、自己同一性と寿命の問題というのも、SF的におもしろい。
とはいえ、やっぱりこの小説はファンタジー。鉄爪族も、新たな知性体として登場する“イカ”たち(これも解明される大きな秘密なのだが)も、騒々しくて、ある意味可愛らしいキャラクター造形になっている。ある意味、人間が一番頭が悪くて、悪意があってどうしようもなくて、イライラする。
このイライラするというのがポイントで、最終的に解消されることなく、To be continuedがどどーんと大映しになる感じ。なので、まったく達成感も爽快感も無く、次巻への餓えだけが残る。
シリーズとしては、細かい設定やエピソードをやっぱり忘れているので、ところどころで思い出せない単語や、見えていない繋がりがあるようなので、それもこの小説を楽しみきれない要素になっているんだろう。
この続きが出たときは、『遠き神々の炎』から、いや、『最果ての銀河船団』から読み直そう。といっても、どれも長いので、一か月くらいかかりそうだなぁ。