『迷宮の天使〈上下〉』 ダリル・グレゴリイ (創元SF文庫)
“自分”という意識は脳の活動の副産物にすぎず、自由意志は幻想でしかないと証明された近未来。
そんな梗概がまったくの嘘で、帯では『ブラインドサイト』のピーター・ワッツまで持ち出して、いったい何がしたかったのかと思うような、詐欺小説。少なくとも、これは脳科学SFではない。
著者自身の問題意識は人間の意識や脳の働きの不思議さにあるようだが、この小説においてはストーリー上の背景に過ぎず、さすがにこれを持って最新の脳科学が云々というには苦しいのではないか。
せいぜい、人間の脳は化学物質の影響を受け、感情や行動もその影響下にあるというところで、そんなことは近未来を待つまでも無く、現在でも否定するひとは少ないだろう。しかし、それをもって「自由意志は幻想でしかない」と断言するのはあまりにもひどい。
と言いながら、SFミステリのエンターテイメントとしては最高のデキなので、始末に困る。帯と裏表紙の詐欺的な紹介で、ある意味、手に取るべき人が手に取れないのはとても残念。
この小説は、その化学物質が簡単に合成できるようになり、様々な効果を持つ薬品が作り出されるようになった近未来の物語。
興味深いのは、物語の中心となる「ヌミナス」と呼ばれる新薬。これは服用すると、なんと、神が見える。神と言っても服用者によってその姿は異なり、主人公のライダには天使が見えるが、インド出身の青年にはガネーシャが見える。
何が面白いかといって、それをなぜ「神」だと思うのかということ。
かなりネタばれになってしまうが、後半には胎児の頃に「ヌミナス」の影響を受けた少女が登場するのだが、彼女には多数のIF(イマジナリーフレンド)達がいる。これが薬品の影響なのか、あるいは薬品とは無関係の精神疾患、ないしは、成長過程の精神のバグなのかは判然としない。
しかし、少なくとも、彼女にとって彼らは友達であって、「神」ではない。
神経学者のライダは、彼女の天使が“自分の分身”であることも理解している。天使は彼女が知り得ないことは教えてくれない。それでも、それが「神」であることを信じずにはいられない。
この小説で揺らぐのは自由意志の存在ではなく、神の存在であり、信仰である。たとえ「神」が化学物質の見せる幻であったとしても、ひとは信仰を得ることができるのか?
日本人にとっては、これは本質的に理解できない問いなのかもしれない。自分が「ヌミナス」を飲んだときに現れるのは、まさか阿弥陀如来ではないだろうし、アマテラスなんてどんな姿なのかもわからないし。もしかしてウルトラマンが出てきたら、それを神と呼べるのだろうか。どちらかというと、イマジナリーフレンドにしか思えないのじゃないだろうか。
まあ、そんなテーマはさておき、精神疾患を持つ登場人物たちが繰り広げるミステリアスでスリリングで疾走感のある物語を純粋にエンターテイメントとして楽しむのが良いのだろう。