『10月1日では遅すぎる』 フレッド・ホイル (ハヤカワ文庫 SF)
1966年(45年前!)に刊行されたSF。著者は科学者(天文、物理)でもあり、ハードSFとの触れ込みだったので敬遠していたが、表向きは軽く読めるエンターテインメントだった。
主人公はクラシック音楽家。昨今のクラシック軽視な風潮に怒ってフェスティバルを辞するところから話は始まる。故郷のイギリスに戻った彼は、友人の物理学者ジョンとキャンピングカーの旅へ出かける。そこでジョンが行方不明になり、そして復帰する。
その後、二人がハワイへ行った時に、より大きな事件が発生する。アメリカ大陸が連絡を絶ってしまった。
旅客機で調査に向かった彼らの前に、大自然に帰ったアメリカが現れる。その後、たどり着いたイギリスは、彼らとは微妙にずれた時間のイギリスだった。地上は、地域ごとに時間のずれたパッチワークになってしまっていたのだ。
そして、調査のためにギリシャへ向かう音楽家。その前に神として現れたのは未来人だった。未来人が語る地球の未来。そして、パッチワーク世界での彼らの計画とは……。
タイムトラベル物だと聞いていたが、別に時空を行き来するわけではなく、時空が壊れてしまった世界の話。その中で、唐突に意識と時間認識の科学ネタが提示され、それが時空混乱の原因を示唆する。これがSFネタではなくて、ちゃんとした科学だというのが驚愕である。
また、未来人の語る地球の未来もある意味衝撃的。ある意味、東洋的な無常観に繋がるような諦観が見える。
人間は一定数を超えると、二つの集団に分裂する。そして、その集団同士は必ず戦争を始めてしまう。そのため、平和を維持するためには人口を極端に制限しなければならないというわけだ。
無人島物などでは、一定数どころか、人間は二人以上いれば必ず分裂するような気もするが……。結局のところ、最終戦争に至るための人口密度というのは実在するのかもしれないと思わせるだけの説得力はある。
どうして時空が壊れたのかという原因については、太陽からうんたらかんたらという話があるが、このラインはちょっと尻すぼみ。さらには、場当たり的なストーリー展開も隠せない。しかしながら、名前の残る名作であるだけに、そのような瑕疵を超えた面白さがあり、SF史の知識としてタイトルを知っておくだけになるのは惜しい作品のひとつ。
1966年(45年前!)に刊行されたSF。著者は科学者(天文、物理)でもあり、ハードSFとの触れ込みだったので敬遠していたが、表向きは軽く読めるエンターテインメントだった。
主人公はクラシック音楽家。昨今のクラシック軽視な風潮に怒ってフェスティバルを辞するところから話は始まる。故郷のイギリスに戻った彼は、友人の物理学者ジョンとキャンピングカーの旅へ出かける。そこでジョンが行方不明になり、そして復帰する。
その後、二人がハワイへ行った時に、より大きな事件が発生する。アメリカ大陸が連絡を絶ってしまった。
旅客機で調査に向かった彼らの前に、大自然に帰ったアメリカが現れる。その後、たどり着いたイギリスは、彼らとは微妙にずれた時間のイギリスだった。地上は、地域ごとに時間のずれたパッチワークになってしまっていたのだ。
そして、調査のためにギリシャへ向かう音楽家。その前に神として現れたのは未来人だった。未来人が語る地球の未来。そして、パッチワーク世界での彼らの計画とは……。
タイムトラベル物だと聞いていたが、別に時空を行き来するわけではなく、時空が壊れてしまった世界の話。その中で、唐突に意識と時間認識の科学ネタが提示され、それが時空混乱の原因を示唆する。これがSFネタではなくて、ちゃんとした科学だというのが驚愕である。
また、未来人の語る地球の未来もある意味衝撃的。ある意味、東洋的な無常観に繋がるような諦観が見える。
人間は一定数を超えると、二つの集団に分裂する。そして、その集団同士は必ず戦争を始めてしまう。そのため、平和を維持するためには人口を極端に制限しなければならないというわけだ。
無人島物などでは、一定数どころか、人間は二人以上いれば必ず分裂するような気もするが……。結局のところ、最終戦争に至るための人口密度というのは実在するのかもしれないと思わせるだけの説得力はある。
どうして時空が壊れたのかという原因については、太陽からうんたらかんたらという話があるが、このラインはちょっと尻すぼみ。さらには、場当たり的なストーリー展開も隠せない。しかしながら、名前の残る名作であるだけに、そのような瑕疵を超えた面白さがあり、SF史の知識としてタイトルを知っておくだけになるのは惜しい作品のひとつ。
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