『パンツァークラウン フェイセズ 1~3』 吉上亮 (ハヤカワ文庫 JA)
“face”という単語にはさまざまな意味がある。容貌、表情、面目、表面、外観……。動詞としても、方向を向く、対峙する、直面する、直視する、上塗りする、表に出す……と、本当に様々だ。
この“face”という言葉をいろいろな意味でキーワードにしているのがこの小説。だと思うのだけれど……。
そもそも、『パンツァークラウン フェイセズ1~3』というタイトルも、facesがタイトルの一部なのか、faces 1で第1巻という意味なのかが釈然としない。なんでfirst faceでもなく複数なのかとか、phaseと間違ったんじゃないかとか、いろいろ深読みできるわけ。
時代は近未来。災害で沈んだ東京の上に作られた人工島。人工知能〈co-HAL〉に管理されたユートピア、積層現実都市イーヘブン。そこでは、行動履歴解析に基づいた高度な推論と、人工現実である情報層〈レイヤー〉による行動制御〈Un Face〉により、人々は不都合な、あるいは、不利益な現実に直面することなく、おだやかに暮らすことができた。ビッグブラザーによるビッグデータを用いた監視。ここで出てきたキーワードも〈Un Face〉。
そんな人工都市を舞台に、都市を守るべき存在である漆黒の強化外骨格と、都市を破壊しに降臨した純白の強化外骨格が戦う。外骨格の装着は〈Face〉、そして、解除は〈Un Face〉。敵の顔は容貌攪乱(Faces)によって見ることはできず、市民は〈co-HAL〉による〈Un Face〉によりこの戦いから巧妙に排除され、エンターテインメント局のカメラのみが彼らを追う。
ここまで“face”にこだわれば、現実に直面する勇気、選び取る権利、すなわちは自由を。と来るかと思いきや、そればかりでもなく。faceとfaceの間に必然的に存在するinterfaceの物語と読んでみても、なかなかしっくりと来ない。
3冊連続で刊行された小説は荒削りな勢いとギミックにあふれ、混沌としている。描きたかったものは、ヒーローの戦いか、管理都市への嫌悪か、それとも、現実を見つめる悲壮な覚悟か。
最初は設定の説明によってだらだらした感じだったが、正義の黒い軍団と悪の白い軍団の戦いは一気に怒涛のラストまで読者を連れて行く。物語の形式がヒーロー物だけに、1クールアニメの第一話と最終話を繋げたような密度。
普通は正義が白で、悪が黒なのに、この色使いもなかなかに示唆的。はたして、どちらが倫理的に正しいのか。そして、最後に出現する暗灰色の外骨格に託された意味は。
3Dプリンターを使い、自費でこつこつと兵器を作り続ける男は、ノーラン版のバットマンシリーズを思い起こさせる。しかし、その装甲の色は黒ではなく、白。そして、都市の守護者ではなく、都市の破壊者。この対比は、井戸の底から逆襲を狙うというモチーフとともに、かなり意図的なんじゃないかと思う。
日本の特撮ヒーロー物からも、仮面ライダーやキカイダーを意識したモチーフがいくつか見られ、その部分がフィーチャーされているようだけれども、日本のそれよりも陰鬱な感じがする。いや、最近の仮面ライダーは暗いらしいから、こんなもんなんだっけ。
ハヤカワの売り方では冲方丁以来の逸材との触れ込みではあるが、さすがにその域には達していない。当初はそう思ったものの、冲方のデビュー作だって、あの『ばいばい、アース』である。ある意味、直系の子孫と言えるかもしれない。作風的にもアニメとの親和性も高いし、もしかしたら冲方同様に、アニメの脚本家をやってみるのもおもしろいかも。
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