『世界樹の影の都』 N・K・ジェミシン (ハヤカワ文庫 FT)
神々を奴隷として使役する支配者家系の末裔として都に招かれ、世俗の権力闘争と神々の復権を賭けた二重の闘争に巻き込まれていく女性を描いた『空の都の神々は』の続編。支配者は変わり社会も変わる。そして、再び闘争が始まる。
主人公は盲目の女性画家。しかし、彼女は神々の魔法に関するモノの近くだけは見ることができた。このあたりの描写が混乱のもとになり、読み始めた時は何が起こっているのかよくわからなかった。しかし、盲目なのに“見える”というこの設定は、物語の終盤で大きな伏線となる。
前巻からたった十年しかたっていないというのに、世界は大きく様相を変えている。神々は奴隷の身から解放され、人々に交じって暮らしている。かつての絶対神であったイテンパスも人の身に堕ち、放浪する。
この栄枯盛衰の物語をさらに上塗りするかのように、神殺しの事件に始まる陰謀。それは、それぞれの神々を象徴とする宗教を題材とした宗教改革の物語にも見て取れる。唯一絶対神が支配する一神教から、さまざまなものに神の宿る多神教へ。さらに、神殺しにより人間至上主義の世の中へ。
そうはいっても、あくまでも物語は、あまりにも人間的な神々と主人公とを結ぶ悲哀の物語である。そして、愛する者を殺める武器としての自分を嘆く物語でもある。この設定は、全巻での奴隷であり、“武器”でもある神々とも通じる。
前巻の復讐者であるナハドもまた、あくまでも人間のように激しい感情のままに動き、かつて愛した男であり、強大な力で自分を奴隷と化していた男でもあるイテンパスを許さない。その感情の深さ、業の深さといったところが、彼ら神々を超然とした存在ではなく、隣人としての存在に留め置いている。
一方で、神殺しをたくらむ新興宗教の〈新しき光〉の者たちは狂信的で、機械的で人間味を欠いているように見える。いや、それこそが人間であるということを、あえて示す意図的な描写なのかもしれない。
そして、この物語が誰のために語られたのかという意図が明らかになった時、3部作とされるこのシリーズの方向性も見えてきたような気がする。神々と魔童と人間の新たな関係性が、きっと第3部で作られていくに違いないと思うのだ。
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