昨日は私にとってちょっと特別な日でした。 そう、私の誕生日・・・でもあったのですが、もっと特別、 “ウメ子” に逢いに行ってきました。
ウメ子は小田原城で長く飼育されていたアジア象で、2009年に亡くなりました。私はその晩年の姿を日本画作品に制作しています。 ウメ子はその後、骨格標本として生まれ変わるため準備がされてきましたが、この度、それが完成?し、公開となりました。
生前のウメ子を知るものとしてはとても複雑な気持ちです。 おそらく 「とても見ることができない・・・」 という方も多いかと思います。 私も逢いに行くかどうか、正直迷いましたが “ウメ子の全てを見ておくべき” との気持ちで決心しました。
場所は小田原の市内から少し離れた箱根への入口にあたる入生田(いりうだ)にある 『生命の星・地球博物館』。
ここは、地球の誕生から現代までの歴史と神秘を紹介する大きな博物館です。
エントランスホールにて見上げたところ チンタオサウルスと翼竜がお出迎え。
館内は豊富な資料と標本がわかりやすく展示され、子供から大人まで十分に楽しめるところです。 私も何回か来ており、普段ならばひとつひとつの展示をゆっくりと見てまわるところですが、今回だけは足早にスルーして入口の隣りにある特別展示室に。
特別展示室では今 『博物館の標本工房』 と題して、普段我々が知ることのできない標本が作られる過程やその重要性を紹介する展示となっています。 ウメ子もその一部としての公開されていました。
ウメ子との再会。 しかしそこに子供たちの黄色に歓声はなく、まして彼女に水を掛けられることも、もうありません。
その姿はむしろ感傷的なものを排除するかのように、標本としての展示に徹底され (新聞での公開で知っていましたが、その展示は生前の姿形そのままではなく、斜めに設置された台上に骨格がわかりやすいように配慮され、配置されています。)、私にとってはそれが救いだったのかどうか・・・。 どちらにしてもウメ子の新しい旅と役目が始まったということでしょう。
また、今回の展示で気付いてしまったことがもうひとつ・・・。 ここは神奈川県の博物館、県内の動物園から多くの動物たちが貴重な資料として運ばれて来るようです。
コウノトリ、ヒクイドリ、ボンゴ、ガウル、アノア、アジアノロバ・・・皆、私が以前動物園でスケッチしたことのある仲間たちでした・・・。
生命とは?
人生50年・・・信長は謡いました。 私もその歳を迎えましたが、まだ何もできていない・・・の思いでいっぱいです。
ウメ子は小田原城で長く飼育されていたアジア象で、2009年に亡くなりました。私はその晩年の姿を日本画作品に制作しています。 ウメ子はその後、骨格標本として生まれ変わるため準備がされてきましたが、この度、それが完成?し、公開となりました。
生前のウメ子を知るものとしてはとても複雑な気持ちです。 おそらく 「とても見ることができない・・・」 という方も多いかと思います。 私も逢いに行くかどうか、正直迷いましたが “ウメ子の全てを見ておくべき” との気持ちで決心しました。
場所は小田原の市内から少し離れた箱根への入口にあたる入生田(いりうだ)にある 『生命の星・地球博物館』。
ここは、地球の誕生から現代までの歴史と神秘を紹介する大きな博物館です。
エントランスホールにて見上げたところ チンタオサウルスと翼竜がお出迎え。
館内は豊富な資料と標本がわかりやすく展示され、子供から大人まで十分に楽しめるところです。 私も何回か来ており、普段ならばひとつひとつの展示をゆっくりと見てまわるところですが、今回だけは足早にスルーして入口の隣りにある特別展示室に。
特別展示室では今 『博物館の標本工房』 と題して、普段我々が知ることのできない標本が作られる過程やその重要性を紹介する展示となっています。 ウメ子もその一部としての公開されていました。
ウメ子との再会。 しかしそこに子供たちの黄色に歓声はなく、まして彼女に水を掛けられることも、もうありません。
その姿はむしろ感傷的なものを排除するかのように、標本としての展示に徹底され (新聞での公開で知っていましたが、その展示は生前の姿形そのままではなく、斜めに設置された台上に骨格がわかりやすいように配慮され、配置されています。)、私にとってはそれが救いだったのかどうか・・・。 どちらにしてもウメ子の新しい旅と役目が始まったということでしょう。
また、今回の展示で気付いてしまったことがもうひとつ・・・。 ここは神奈川県の博物館、県内の動物園から多くの動物たちが貴重な資料として運ばれて来るようです。
コウノトリ、ヒクイドリ、ボンゴ、ガウル、アノア、アジアノロバ・・・皆、私が以前動物園でスケッチしたことのある仲間たちでした・・・。
生命とは?
人生50年・・・信長は謡いました。 私もその歳を迎えましたが、まだ何もできていない・・・の思いでいっぱいです。