しばらく居てくれましたが釣り客が近くで近づいたため、気配に驚き、飛び去りました。
川崎の方へ移住したため、杉並の方でのことは記憶から遠のいていた。地元の中学へ入学し、丸1年はそこへ通っていたが、中学2年になったときに、学区外であったが、大田区の某中学校へ転校した。そこで再びいじめに遭い、このときは前の中学校が丸刈りであったため、あだ名を付けられ、いつもからかわれていた。
ある時理不尽な要求が原因で、いじめグループと対峙することとなった。幼いときから剣道を習っていたので体力には自信があり、度重なる相手の挑発に我慢していたが、我慢しきれずに相手より先に顔面を力任せに殴り、相手の眼鏡が割れ、レンズで目の下を数針縫うほどの傷を負わせてしまった。
結構出血がひどかったため、取り巻いていた、いじめグループは怖じ気づき、自分への被害はなかったが、女性の担任が聞きつけ、お説教とともに有無をいわせずに一方的に加害者と決めつけられ、自宅謹慎処分となった。始末書を取られ、傷を負わせた保護者へのお詫びに、母に連れられて頭を下げに行った。
今思えば、孤立した世界の中で、自己防衛が正しく評価されなかったことに対し、担任への不信感が深まり、謹慎処分が解かれた後の気まずい思いは今でも忘れられない。これ以後いじめグループからの挑発は影を潜め、他のいじめグループから仲間にならないかと誘われる始末である。このグループは陰では結構悪さをしており、幼い身には弱肉強食の世界を見た思いであった。
担任の行いは教育者の多くが持ち合わせている初動対応の不味さ、状況判断力の欠如で、短絡的な暴力行為だけを悪とする勧善懲悪主義、処罰・排除優先である。(次回へ続きます)