旧暦の1月7日に7種の野草を集め、米と炊き込んで粥にして食する正月行事である。
元旦から連日餅を食べていたが、餅で疲れた胃をいやし、通常の白米の朝食に戻る中継的な食事である。七草とは、芹、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、仏の座、スズナ、スズシロのことを指していうが、現在の名称は、セリ、ペンペン草、ハハコグサ、ハコベ、コオニタビラコ、カブ、ダイコンのことである。田畑にはこの時期まだ芽を出していない草ばかりであり、収穫することは難しい。旧暦の正月で7日といえば新暦で新暦の2月の7日にあたり、因みに旧暦の平成26年の1月1日は新暦の1月31日にあたる。このころになれば見つけることが可能な地域もある。市場に出回る七草のセットは温室栽培されたものであろう。
我々が育った昭和の時代には正月の6日までの朝食は連日雑煮が主流であったようで、今思えば、毎日雑煮も1週間続けば飽きてくる。おそらく3日位までだったと記憶している。インスタントラーメンがおいしく感じたことを思い出す。ついでに、15日正月には、小豆の入った赤飯に砂糖をかけて食していた。
野草については殆どが食することが出来るといわれるが、中にはトリカブトのように芹とよく似ている毒草も存在している。素人がキノコと同じで食べられそうだと自己判断し、取り返しの付かないことにもなるので、無理に食することは間違えである。よく知られた野草を食する同好会もあるが、その殆どはあく抜きし、衣を付けて天ぷらにしたものが多い。穀物、根菜類を含め、市場に出回るこれらの植物は、全て自然に育成した原種である植物を品種改良したものである。その意味からすれば、七草として知られており、食害がない野草として食することは野性味を体感する上ではよいことと思う。
野草を食するということは、健康食という意味もあるが、敢えて贅沢を押さえる意味もあったように感じている。イスラム教のラマダン月には断食をすることで有名であるが、この断食は太陽が上がる前に食事をし、太陽が沈むと食事をするので、日中だけの断食である。この間は水も煙草も唾も飲み込むことが出来ないとされている。その真意は、貧しい生活を年に1ヶ月間経験することで、裕福さを戒めようとするものである。また、イスラム教徒が全て同じ行動を取ることによって、宗教的な連帯の意味もあるようだ。