鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

節分

2014年01月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 暦の区切りである立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日を節分といい、季節の変わり目で、邪気が強くなるためそれを鎮める(しずめる)というお払いが行われたことが起源となり、大寒の最後に当たる日の夜に豆撒きを行う。今日では、立春の前にだけ残っている行事でもある。豆は雑穀であるが生命力が強く、雑穀の精気を持って邪気を払うという意味や、豆は魔目に通じ、邪気を鬼にたとえ、鬼の目に豆をぶつけて退散させる意味がある。「おにやらい」や「追儺(ついな)」ともいう。

 元々家長である主人が豆をまいていたが、最近では親が鬼の面を被り、子供が豆をぶつけるゲーム感覚化している。豆は煎った豆であり、鬼にぶつけた豆が育つのはよくないとして、煎った豆を使うそうである。撒いた豆を拾い、歳の数だけ食することも同時に行っていた。

 千葉県では落花生が名産地となっているせいか、落花生を殻付きのまま撒くと聞いたことがある。拾って食べることを考えると清潔でよいかも知れない。最近は高齢社会で長寿の方も多い。100歳の方は101個を食べることになるが、これまた大変なことである。

 撒くときには「鬼は外、福は内」とかけ声を掛けるのが一般的であるが、神様の生まれ変わりとしての鬼が居ることで、「鬼は内、福は内」とのかけ声もある。

 最近は見ることはないが、鬼を家の中に入れないため、玄関に鬼が嫌いとされる鰯の頭と柊(ひいらぎ)を飾ることも行われていた。

 恵方巻きを食し、節分の豆まきを行い、鰯の頭と柊を飾ることなどを通してみると、現代社会においても、生活の場には災難と思える多くの危険性を孕んでいて、災難に遭わないように、また、禍を遠ざけるとの思いが働くのは至極当然のことと思う。科学技術が発達し、災難の原因究明は進んではいるが、災害が起きて被害に遭う方にとっては幾ら原因が究明されたとしても後追いでは意味がない。

 未然に防止するための努力を日々傾注する必要があると感じている。そのためには、日頃から遭遇する災害の芽である現象に対し、疑問を持ち、意識することだと思っている。
危険予知訓練を体験することや、古くから伝わる諺の真意を理解し、温故知新でこの一年を過ごしたい。