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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

多賀城

2014年06月12日 00時00分01秒 | 紹介

 芭蕉足跡の旅で立ち寄った多賀城城趾、史跡発掘で整備中の所もあったが、広大な面積を持ち、律令時代に陸奥の国に設置された大変古い城趾である。外観を見ると山城のようでもあり、行政府としての建物のようでもありで、歴史のことは後世の学者が推測するため、各説あるようで、発掘された遺品等から時代推定を行うのであろうが、創設は律令時代724年(神亀元年)大野東人(おおのあずまびと)が築城されたとされている。

  当時は軍事的な拠点として蝦夷との境界にあたる場所である。築城場所は仙台市塩釜へ通じる丘陵地で、10世紀半ばまであったとされるが、地元豪族による戦乱での焼失や、地震・津波による崩壊等があったようである。現在は遺構や建物の礎石が発掘されていて建物は全くない。

  唯一ここが多賀城跡である証拠として、多賀城碑がある。何れは推定された建物の再建がなされ、その雄大さが実感できるであろうが、何時のことになるか不明である。後世の人には想像する環境を整えることが最善の策と思われる。

 多賀城にも芭蕉が訪問し句碑が建っている。句碑には、「あやめ草足に結んで、草鞋の緒」と彫られている。

  多賀城には、ポリテクセンター宮城(宮城職業能力開発促進センター)がある。在職中には一度も訪れたことはなかったが、宮城県には築館に東北能力開発大学校があり、多くの知人がいる。今回多賀城城趾を見ることが出来、震災時のことを思い出した。震災時には最初に電話をして状況を伺ったことがあり、そのときの様子は、設置した数トンの機械が移動したといっていた。建物崩壊には至らず、津波被害も少なくて済んだようである。