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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

芭蕉の足跡旅行福島・宮城・岩手(4)

2014年06月17日 00時00分01秒 | 日記

(4)文知摺石・飯坂

  6月2日(月)、今日も良い天気だ。8時に出発して、8時40分、文知摺観音(福島市山口字寺前5,024-535-1471)が開いたと同時に入場する。源融(822~895年)が都から巡視に来て、この地の山口長者の娘虎女と会い、再会を願う虎女の悲恋の伝説がある所である。寺の入口からまっすぐ奥に入ったところに文知摺石がある。この岩を草で擦ると文様が乱れて現れ、恋心の乱れに通じるとされ有名な歌枕になった所である。石は幅、奥行きが2m程度、高さは奥が1.5m、手前が1.2m程度の大きさであるが、震災後除染を行って表面の苔がすっかり無くなっていた。

人の良い寺男が、人懐っこく色々話をしてくれたが、境内の除染作業は続いており表土を除去した庭に芝を植えていた。境内には観音堂、形の良い多宝塔などがあり、源融(河原左大臣)の歌碑、芭蕉、子規の句碑がある。

 みちのくのしのぶもちずり誰故に乱れ染めにし我ならなくに  源融

 早苗とる手もとや昔しのぶずり  芭蕉

 涼しさの昔をかたれ忍ぶずり   子規

 そこから福島市の北西の飯坂町にある瑠璃光山医王寺(福島市飯坂町平野字寺前45、024-542-3797)に行く。藤原秀衡の家臣で、この地に大きな勢力を持っていた佐藤基治とその子継治、忠信兄弟らの墓がある。継治、忠信は義経に従っていずれも戦死した勇者である。芭蕉は義経の一生の栄枯盛衰に感じるところが多く、その史跡を歩いている。また、義経は為朝に追われて平泉に向かう途中、ここに立ち寄り、二人の供養をしている。

寺に入った所に左右に大きなシラカシの木がある。そこからまっすぐに杉の大木が並ぶ道を進むと薬師堂があり、その後ろに佐藤一族の墓地がある。瑠璃光殿と称される展示スペースには弁慶の笈(おい)、直筆の経とされるものなどが残されている。

笈も太刀も五月にかざれ紙幟(かみのぼり) 芭蕉

また、入口の右側にある本殿には、佐藤兄弟の妻たちの鎧姿の人形がある。本尊は大日如来、その脇に不動明王が安置されている。寺を出る時カッコウが鳴いていた。