豪雨がもたらした多摩川の激流です。今回は水量がだいぶ多かったように思えます。
(7)中尊寺
6月3日(火)、7時30分にホテルを出発し、一路北上して平泉に向かう。今朝は薄曇り、気温22度でちょっと肌寒い。ちょうど1時間で中尊寺(岩手県平泉町衣関202、0191‐46‐2211)に着く。着くころには温度も上がり、空も晴れた。
中尊寺へは月見坂を登ってゆく。途中から道の両側に弁慶堂、薬師堂、地蔵堂などといったいくつものお堂が並んでいる。中尊寺の本堂は金色堂にゆく中ほどにある。中尊寺は天台宗の東北大本山で、850年、慈覚大師円仁の開山である。その後、12世紀初めに藤原清衡によって大伽藍が造られたが、14世紀に焼失したという。本堂には新しいものだが丈六の釈迦如来像が安置されている。
金色堂の手前には讃衡蔵があり、宝物殿になっていて薬師如来、阿弥陀如来(平安後期)、千手観音の他、寺ゆかりの品が展示されている。金色堂は1124年に建立された。覆い堂から中に入るとまさに金色の浄土の世界である。本尊は阿弥陀如来で観音、勢至菩薩の脇侍、地蔵菩薩、持国天、増長天が立ち並んでいる。平和を願う清衡の思いが込められている。中央に清衡、向って左に基衡、右に秀衡の遺体と泰衡の首が納められている須弥壇も美しい象嵌細工で飾られている。立派なものである。芭蕉はここで
五月雨の降のこしてや光堂 芭蕉
と詠んでいる。寺の中にある白山神社には1853年に伊達家が建立した能舞台があり、雨風にさらされた風格があった。
芭蕉は平泉で先ず義経の館があったとされる高舘にゆき、世の無常に涙したと言われる。
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡 芭蕉
この地では1189年に義経が死に、藤原氏が滅亡している。義経31歳。
毛越寺はすぐ近くだ。寺の中は新しい本堂が目立つだけで、これといったものはないが、ここは円仁が850年、薬師如来の化身のお告げを受けて建立した寺だという。中尊寺と一体で世界文化遺産に指定された寺の中には池を巡る庭園がある。
10時30分、今回のすべての予定を終え帰路に着く。登戸に17時着。M君、全走行距離1100Km、運転お疲れさまでした。A君、楽しい旅でした。二人とも有難う。