今日も餌探しのためにあちこちを巡回中です。
書斎の蛍光灯が点灯しなくなったことについては、先日のブログテーマ「棟梁の逝去」でお伝えしたが、今回、その後の顛末を申し上げたい。結果から先にお示しすると、小生のミスで、手元スイッチがあることをすっかり忘れ、天井の配線がシーリングコンセントにダイレクトで直結している、とばかり思っていたことである。先入観とは恐ろしいもので、思いこんでしまうと、なかなか後には戻れない。わざわざ鶴見から修理に駆けつけてくれた電気工事店主、何度かリフォームでお願いし、自宅までの道程はよくご存じではあるが、この時期、建築関係のどの業種も連日多忙の状態が続いている。仕事の合間を縫って都合をつけてくれた。
早速、書斎へあがり、どのような症状なのか聞かれた。数日前からの様子を説明したが、話を聞きながらシーリングコンセントを外しにかかった。そのとき、「手元スイッチを点けてくれ」といわれ、自分はようやく書斎にも手元スイッチが付いていたことを思い出した。その場所は書棚中段の端にある。出入り口扉を開き部屋に入ったところの板壁に取り付けられている。スイッチの手前には書籍が倒れていて、倒れたときにスイッチに触ったようである。一瞬にしてシーリングライトが点かなくなった原因が掴めた。
取り外しておいたシーリングライトを取り付け、点灯スイッチを引っ張ると見事ライトが点くではないか、電気工事店主は「原因がわかってよかった。背広を掛けてコンセントを覆い隠す等、同様なケースがままある」と笑いながら客の立場を気遣ってくれたが、何ともばつが悪い一時であった。電気がこないことによる漏電の心配は収まり、今回の件は幕を閉じたが、後になって思うと恥ずかしいやら、思慮不足は言い訳を探すのに汗をかく。この歳になると惚けの前兆といわれるのも当然であるが、家電のことは昔から勉強していたし、興味があるので詳しいつもりでいたがこのようなことが起き、心から情けなくなった。
スイッチによって、通電をコントロールすることは電気の基本中の基本、間違ってしまった直結がもたらした思いこみを、切り替えるのに、多忙な人手をかけてしまい、申し訳ないことをしてしまった。それと同時に電気がもたらす快適な生活環境に想いが広がり、当たり前と考えていることの中に、有り難さまで想いが及ばなくなってしまっていたことに気づき、反省した次第である。