カラスが大きなパンをくわえていました。誰かが与えた物でしょう。驚く事なかれ、固いパンの部分は水に浸けて柔らかくして食べます。
カラスが大きなパンをくわえていました。誰かが与えた物でしょう。驚く事なかれ、固いパンの部分は水に浸けて柔らかくして食べます。
棟梁の逝去から半年が過ぎ、漸く、先方との連絡がついて、お悔やみに伺いました。横浜市神奈川区のご自宅まで自宅から車で、30分位で到着しました。小雨の中でしたが、予定していた時間より早く着き、距離的にはそう遠くないことがわかりました。第三京浜保土ヶ谷の料金所の横に、新たな出入り口、羽沢ICが出来ていて、初めて利用しましたが、港北ICで下りるより時間的に近くなったようです。以前伺ったときは20年前、新築祝いの時でした。
奥様は不在でしたが、予定時間より早く着いたためのことで、近所に行かれていたようで、暫くしてから再会できました。まずは仏壇がある部屋に通され、遺影を前に焼香を済ませ、しばし、黙祷。生前の穏やかな笑顔が浮かんできて、気さくな人柄が思い出されます。その後1時間ほど奥様と生前を偲び、途切れのない、走馬燈のように次から次へと懐かしい話が続きました。
人は産まれながらにしてそれぞれ定められた寿命があり、亡くなられた棟梁は74歳を迎える数日前に鬼籍に入りました。地方で大工の修行を積み、20歳前後で上京され、以来、関東が主な仕事場で、携わった家屋建築は数え切れないほどだそうで、棟梁として、人望が厚く、葬儀には多くの知人や、関係者が集まり、立派な葬儀だったようです。
黒枠の額に納まった遺影はおだやかな生前のご尊顔が映し出されており、今にも声が発せられるようで、冥土へ行かれたとは信じがたい一時でした。死者をどのように捉えるかは自らが関係した時間であり、己の意識の深さかも知れません。意識は脳裏に焼き付く記憶量で、その量が多いほど、失ったことへの失意の念も大きいと思われます。奥様におかれては勿論のこと、一緒に過ごした時間は決して零になるわけではなく、生者の脳裏に刻まれ、永遠に記憶となって残ります。
つまり、生きている者全ては死することを避けるわけにはいきません。死者に対し、肉体は滅んでも魂は生者の脳裏に焼き付き、生き続けるわけで、陰膳(かげぜん)等の形で、実生活の中では生者としての取り扱いが自然と生まれてくるのも至極当然と考えています。ご冥福を祈り、この世で残された数々の業績がこれからの生きし者にとって、良き道標となるよう願って止みません。