鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

寿司の世界(2回シリーズその2)

2014年01月24日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 従来の寿司店の醍醐味といえば、素早く客の前で握る動作でもあった。いなせな寿司職人がこざっぱりとした身なりに、朴歯(ほおば)といわれた高下駄を履き、威勢がよいのが取り柄であったが、最近の家族連れには感覚が異なる点もあるのかも知れない。客との会話も疎ましく感じることもあろう。自分には好きな肴と店主が勧める酒の銘柄に興味があり、握りはほんの2~3貫を口にすれば満足出来たので、食事が中心ではなかった。

 寿司店は時価が多かったが、時価になったのはそれなりの理由があってのことで、時季物(じきもの)でない魚介類などのネタは価格の変動があり、時価にしないとやっていけない店側の懐事情があったと思うが、時季物と謳うことによって、初物や旬を見分けられる判断が可能となる。注文する側では、板前や店主に聞けばよいだけのことで、その意味での一見(いちげん)さんは店に入るには勇気がいることだと思う。
 いい加減の所があったことも事実で、食した寿司の数はシャリを一粒づつ残すといわれたがそうでもないこともある。狭い店内で酒が入り、客の出入りが多いと適当な値段が付くこともあった。しかし、長年通うと時価も判るようになり、自分にとってはさほど気にならなかった。

 土産の折り詰めをぶら下げながら千鳥足で帰るご同輩の姿を見ることもなくなった。時代の流れとの乖離を感じると共に、淋しくもあり、無い物ねだりではないが、流れに乗り切れずにいる我が身の置き場を捜しているような気がする。(このシリーズ最終回です)

朋友の紹介

2014年01月23日 00時10分53秒 | 紹介

 異色の芸術家である柳澤画伯をご紹介致します。一芸塾の塾長です。大学は同期で入学しましたが、途中で学部を変更し、二学部を修了して卒業されたアグレッシブで多芸の持ち主です。仕事は大学の専門性を活かし、職業訓練の指導員をベースに県職業能力開発組織の長を最後に、定年退職されました。退職されてからは独自の画風を更に発展させ、美人画の極致を究められ、現在も活躍中です。多くの門下生を誕生させ、琵琶湖の葦と葦を原料とした和紙に表現する美人画はそれだけでも新天地ですが、新たな素材や製品への応用に向けた技法を探求されています。「麗人画」と呼ばれ、日常性の中にフッと見せる女性の魅力を表現され、妖艶でもあり、清楚でもあり、かわいらしさや、愛くるしさまでも見事に再現されています。

私があれこれいうよりは彼が展開する麗人画の世界、彼のブログをご覧頂、ご堪能下さい。以下はブログのアドレスです。

 http://reiginga2.shiga-saku.net/

寿司の世界(2回シリーズその1)

2014年01月23日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 職業としての寿司を提供する生業(なりわい)は飲食店舗であり、お総菜業の面もあるし、客の接待業の側面もある。古くは二八そばなどと同じ屋台を持ち、移動販売であったというが、軽飲食の提供をしていた。軽飲食の提供は今ではハンバーガーやドーナツ、コーヒー店と類似している。酒類を提供することを見れば、居酒屋やスナックとも似ている。出前を行うことでは中華料理店、日本そば店、ピザ等と同様で、広く生活の中にとけ込んでいて、日本人の食生活の一端を示していると云える。また、町中の寿司店から、高級料理店としての寿司割烹まで様々な格式と格調を持ち、家庭での料理としても親しまれ、多くのバリエーションを持っている。

 誰しも寿司店というと地元でなじみの店を数軒は持って居るであろう。回転寿司店が近所にもあり、休日は多くの家族連れで賑わっている。回転寿司は従来の寿司店を凌駕し、寿司業界の世界を一変させたエポックメーキングな現象である。回転する料理や、客席に料理が機関車で運ばれてくる料理屋は過去にもあった。中華料理はターンテーブルを使い、ミニチュアの機関車が料理を運んでくる日本料理屋に行ったこともあるが、回転寿司店は皿にICチップが埋め込まれていて、皿の枚数によって一瞬に会計が済む工夫や、皿にのせてから一定の時間が来ると自動的に回収されるという情報の管理を加えて、自動化したことにある。また、自分には余りよいとは思えないが、シャリを握るロボットの開発である。

 ロボットはお櫃(ひつ)の中に入っているため、傍目ではあたかも職人が寿司を握っているように見える。ロボットが握るシャリは、定量で、大きさもそろい、空気の含みも調整できるという。回転寿司店は子供連れであっても、注文によって、サビ抜きや、洋風の寿司、プリンやアイスクリームなどのデザートの提供もあるという。至れり尽くせりの客の要望に応えることが出来るサービスは、今までの寿司店では望むべくもなく、不可能なことであった。個人で経営していた多くの寿司店が店をたたみ、回転寿司店へ再就職したという話も聞く。(次回へ続きます)

節分

2014年01月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 暦の区切りである立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日を節分といい、季節の変わり目で、邪気が強くなるためそれを鎮める(しずめる)というお払いが行われたことが起源となり、大寒の最後に当たる日の夜に豆撒きを行う。今日では、立春の前にだけ残っている行事でもある。豆は雑穀であるが生命力が強く、雑穀の精気を持って邪気を払うという意味や、豆は魔目に通じ、邪気を鬼にたとえ、鬼の目に豆をぶつけて退散させる意味がある。「おにやらい」や「追儺(ついな)」ともいう。

 元々家長である主人が豆をまいていたが、最近では親が鬼の面を被り、子供が豆をぶつけるゲーム感覚化している。豆は煎った豆であり、鬼にぶつけた豆が育つのはよくないとして、煎った豆を使うそうである。撒いた豆を拾い、歳の数だけ食することも同時に行っていた。

 千葉県では落花生が名産地となっているせいか、落花生を殻付きのまま撒くと聞いたことがある。拾って食べることを考えると清潔でよいかも知れない。最近は高齢社会で長寿の方も多い。100歳の方は101個を食べることになるが、これまた大変なことである。

 撒くときには「鬼は外、福は内」とかけ声を掛けるのが一般的であるが、神様の生まれ変わりとしての鬼が居ることで、「鬼は内、福は内」とのかけ声もある。

 最近は見ることはないが、鬼を家の中に入れないため、玄関に鬼が嫌いとされる鰯の頭と柊(ひいらぎ)を飾ることも行われていた。

 恵方巻きを食し、節分の豆まきを行い、鰯の頭と柊を飾ることなどを通してみると、現代社会においても、生活の場には災難と思える多くの危険性を孕んでいて、災難に遭わないように、また、禍を遠ざけるとの思いが働くのは至極当然のことと思う。科学技術が発達し、災難の原因究明は進んではいるが、災害が起きて被害に遭う方にとっては幾ら原因が究明されたとしても後追いでは意味がない。

 未然に防止するための努力を日々傾注する必要があると感じている。そのためには、日頃から遭遇する災害の芽である現象に対し、疑問を持ち、意識することだと思っている。
危険予知訓練を体験することや、古くから伝わる諺の真意を理解し、温故知新でこの一年を過ごしたい。

恵方巻き

2014年01月21日 00時00分01秒 | マニュアル


 関西地方で生まれた恵方巻き、太巻きと呼ばれている海苔巻きを節分の前日に行い、恵方に向かって無言でかぶりつくという。数年前から関東地方でもコンビニやスーパーマーケットの食品売り場で見かけるようになった。寿司だけではなく、ロールケーキやトルティーヤなどの食品業界が参入し、イベント化するまでになった。

 恵方巻きのいわれは多説あるようで、本来は歳徳神を祀る祭礼であるといわれていて、占いの世界と、それに食べるというジャンルが合わさり、毎年変わる干支と恵方という方位とが一緒になった願掛けである。因みに今年の方位は南南東である。

 太巻き寿司は、海苔の半分を使って簀の子で巻く細巻き寿司ではなく、のり1枚分を縦に使って巻く、飾り寿司の一種である。つまり輪切りにした寿司の切り口に顕れる多種の食材が奏でる美しさ(金太郎飴のように)を楽しむ。具材としては卵焼きの短冊切り、かんぴょう、椎茸の含め煮、マグロやエビなどの海産物、芹・キュウリ、かまぼこ、彩りにデンブ(田麩)を使う。7種類を使うのが一般的で、7,5,3種の組み合わせが、縁起がよいようである。

 我が家でも時代の流れに逆らうことなく、数年前から腕を振るって作るようにしている。
 普通の太巻きは海苔の表面に酢飯を5ミリ高で敷き、具材をのせて巻き込むが、更に海苔半分を敷き、酢飯をのせてから具材を巻く。古くから作られている「の」の字巻きである。普通の太巻きが更に太くなり、恵方巻きで食しても壊れない丈夫な巻き寿司になる。

 娘家族と近所の知人に差し上げる分を作るとなると一升の酢飯を準備する。どのような食べ方をするのか見たことはないが、大きな口を開けて無言で頬張る様は何とも滑稽であり、凄まじいものを感じる。孫の分は海苔の半分を使った納豆巻きとかんぴょう巻き、マグロが余れば鉄火巻きにするが、細巻きでもお遊びとはいえ、長いまま食べる様は何とも品がないと思っている。のどに詰まらせないようにゆっくり食して欲しい。

唐戸市場のにぎり寿司

2014年01月20日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 本州と九州を接続する地点は下関と門司である。下関と門司とは関門海峡によって分かれているが、ここに架かる関門橋によって高速道路で繋がっている。この大橋を見上げる位置の下関側に唐戸市場がある。この関門橋が出来る前は関門海峡の下にトンネルが掘られていて、一般車両はこのトンネルを使っている。在来線(山陽本線)は、下関駅から彦島を通り九州側の小森江を通り門司駅に至る在来線専用の関門トンネルを使い、新幹線は新下関から小倉に至る新幹線専用の関門トンネルを使っている。古くは関門海峡を渡るのにフェリーを使って車両や乗客を運んでいたこともある。
 トラフグの袋セリで有名な南風泊(はやどまり)市場は唐戸市場からさほど遠くない場所にある。同じ唐戸市場の経営である。

 大分県にある女房の実家に帰省するときは必ずといって良いほど下関ICで下り、唐戸市場と高速道路のサービスエリアである九州側「めかり」に立ち寄る。めかりは高台にあり、関門海峡が望める場所にある。ふぐ提灯を売っている売店があり、また、多くの海産物加工品が売られている。

 唐戸市場は交通の要所であった関係で、古くから賑わう魚菜市場であった。ウオーターフロント計画で農産物の市場は分離し、勝山地区に移転した。海産物の市場は水族館等の施設がある現在の場所に集約された。唐戸市場の特長は業者向けのセリを行う卸業と一般市民が買い物できる小売業とが一体化した市場であることである。加工した食品等の業者も販売するので、観光をも目的としている。岸壁に接していて、公園となっているため、市場で安い価格で販売しているパッケージ入りのにぎり寿司を購入し、店内や目先の公園のベンチで食することが出来る。公園には同じ目的の夫婦連れや子供連れの人達で大変賑わっていた。

 平日の営業時間は午前4時から、土日祝日は午前8時からで、何れも午後3時には店が閉まる。閉店の時間が近づくと全ての商品は徐々に価格が下がり、閉店間際には半額以下で手に入る場合もある。自分たちも午後に市場に着いたため、昼食ににぎり寿司を購入し、公園のベンチで食べたが、実家への土産げにと思い、再度場内の購入した店へ行ったところ、同じパッケージが半額で販売されていた。更に残った商品も一緒に購入すると半額からさらに値引いてくれた。店の方も売れ残るよりは半額以下にしても現金に換えたい思いもあったと思う。因みに販売する店員も自分の分はシッカリ確保していた。残った分はどうするのかを聞いたところ、その女店員は自分で購入して、親戚に配るそうである。宣伝になるがと前置きし、「こんなに新鮮な握りは他では食べられない」と一言。勿論、最高値引き価格である。

近所の寿司店(2回シリーズその2)

2014年01月19日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 市場が年末年始休暇となっていたため、食材の殆どは休み前に揃えたものであったが、冷凍した生ものが寿司に生まれ変わると、新鮮さが伝わる技術にはいささか驚いた記憶がある。寿司店は将に冷凍設備の恩恵を受けている業態である。高級店では、マグロなどの冷凍品を解凍後、数日間熟成させるために寝かせるそうであるが、この熟成期間が食材に含まれるアミノ酸・グルタミン酸・イノシン酸などのうまみ成分を濃縮させるようである。また、店の持ち味に影響する解凍技術も寿司の醍醐味といえそうである。

 寿司の食材は捕れ立ての魚介類ばかりと思っていたが、加工品も多く、かんぴょう、椎茸、かまぼこ、卵焼き、穴子、イクラ、数の子、コノシロ、しめ鯖等は日持ちがする。貝類も低温であれば数日間は生きている。生鮮食品であるヒラメ、ブリ、マグロ、タイ、烏賊、タコ、エビ等も冷凍品であれば、解凍後も低温貯蔵で相当期間保存が可能である。

 つまり、野菜類は別として、寿司に使う食材の大部分は日持ちがするのである。巻物に使う具材も同様である。従って、三ヶ日分の寿司食材の殆どは日持ちがするため、市場が休みであっても注文に応じられるということである。

 最近は関東地方でも恵方巻きを食する習慣が根付いてきたようで、我が家も特大の恵方巻きを作ることにしている。寿司については興味があって、食するのも好きであるが、市場が近くにあるため、新鮮な食材が直ぐに手にはいり、食材の旬の時には市場へ出かけ入手することにしている。それらを用いて作るにぎり寿司も家族には人気が高く、褒められると乗る方なので、にぎり寿司を作ることも多い。何れマニュアルでご紹介しようと思っている。(このシリーズ最終回です)

近所の寿司店(2回シリーズその1)

2014年01月18日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 近所にあった江戸前寿司店が店をたたんで久しいが、特に、来客があったときや、家族が居ないときなど、手軽に利用していたので、生活のパターが変わってしまった。とはいえ、決して寿司店が全て無くなったわけではなく、寿司が専門のファミリーレストランや回転寿司店がいくつもある。駐車場はいつも満車で、その繁盛ぶりが伝わってくる。孫からも回転寿司に行こうと誘われるが、自分はどうも足が向かない。「一度も行かないで、良い悪いをいうのはおかしいよ!」とまでいわれたが、いまいち乗る気にはなれない。

 嘗て通った寿司屋の存在が閉店し、無くなったことに対する拘りがあるのであろうか、さほどうまい店ではなかったが、地元のお客の会話にはいることや、黙っていても店の主人が好みのツマミを出してくれ、客が居ないときでも何かと気を遣ってくれた。店主は、自分が学生時代から本店の板前をしていて、結婚後、のれん分けで近所に店を持った。

 付き合った期間は30年を超える。店主は持病を持っていて、持病が悪化し、仕事が出来なくなり、しばらくは閉店の看板が掛かっていたが、おかみさんと共に出身地の福島へ戻ったと風の便りで知った。その後、店は解体し現在では職種が違う方の住まいになっている。健康を取り戻し、健在であればよいのだが、と思っている。

 寿司店は正月三ヶ日が一年で最も多忙で、次から次へとはいる注文をさばくのに夫婦二人では大変であったようであるが、元旦から毎日の雑煮に飽きた頃、のれんをくぐり、その忙しさを見ながら過ごしたことがあった。店主はもっぱら握りが専門で、おかみさんはすし飯の仕込みと巻物専門であった。近所の出前はおかみさんが配り、離れたところにはバイクで店主が配達していた。半日は居たであろうか、店を出たときには日も沈み、新年会の客が増え、座る場所もないほどであった。(次回へ続きます)