鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

銅製天ぷら鍋

2015年02月21日 00時00分01秒 | 紹介

 自宅で天ぷらを揚げるのに中華鍋を使っていたが、今般、新品の銅製鍋を購入することにした。ネットで検索して、ネットからの注文である。3日間で届いた。支払いはTポイントが溜まっていたので、それに当てたため実質0円で購入できた。大きさ30cm、厚さ2.3mmで、深さは7cmである。かねてより銅製鍋は熱伝導率が高く、放熱が少なく、天ぷらが均一に揚がるため、天ぷらには最適と聞いていたが、鉄製やアルミ製、琺瑯(ホーロー)製に比べて値段が高い。しかし、値段のことを考えると手が出せなかった。

 難点といえば、使用後の手入れで、変色しないように、水気を避けることである。使用後は油が熱い内に油ポットに移す。変色すれば酢と塩を水で薄めて磨くと良いそうで、クエン酸も使えるようである。余り、洗剤を使い、水洗しない方がよいようである。油が付着したままでは、油が酸化するので余分な油を布や紙で拭き取り、薄めの洗剤を使い水洗後乾燥させる。

  食品安全基本法の改正が薬事・食品衛生審議会へ諮問され、厚生労働大臣宛答申された。平成20年のことであるが、銅製または銅合金製の器具及び容器包装に係わる製造基準で銅製または銅合金製の器具及び容器包装は、その食品に接触する部分を全面スズメッキ又は銀メッキその他衛生上危害を生ずるおそれのない処置を施さなければならない。ただし、固有の光沢を有するもの、又は高温で使用することにより表面のメッキが剥がれるおそれのあるものは、この限りではない。と規定されている。

 銅製または銅合金製の器具及び容器包装に係わる製造基準については、基準制定当時、猛毒と考えられていた緑青による衛生上の危害防止するために定められたものであるが、その後労働省で行った銅酸化物の生体に及ぼす影響に関する研究で否定された。しかし、銅製品は稀に吐き気、嘔吐、下痢等の食中毒が報告されているため、メッキ処理の必要性は否定されていない。

 今般、購入した銅鍋においても、容器の内面はスズメッキが施されている。使っている内に剥離する可能性がある。金属たわし等で汚れを除去するとメッキ面に傷が着くため注意が必要である。傷が着いて銅金属が露出した場合はメッキの引き直しをするようであるが、どこで修理が出来るのか不明である。さて、おいしい天ぷらが揚がるか試してみることにしたい。


適職診断

2015年02月20日 00時00分01秒 | 紹介

 就職戦線は、安倍のミックスが影響してか、内定率が向上している。来月には採用が決定して、多くの若人が新たな職場に進出する。多くの就職希望者の中から選抜された方にとっては晴れて社会人の仲間となる。採用形態によっては、喜んでばかりではいられない状況もあるが、初心を貫徹して貰いたい。しかしながら、入社して始めて判ることも多くあり、職場に馴染めずに辞めていく新入社員もいる。7・5・3といわれている3ヶ月以内に辞める率がある。中卒7割、高卒5割、大卒3割が何らかの理由で辞めていく。

 この割合は大幅に変わっていない。大変残念なことである。定着率といっているが、送り出した教育機関は、卒業すれば終わりということではない。教育機関にとっては、送り出すと同時に新たな新入生を抱えるため、卒業者のアフターフォローまでの余裕がないのも事実である。しかしながら、何処かでこのルーチンは変えていかなければならない。少なくとも卒業後1年間はフォローアップが必要である。

 辞めていく理由は様々であるが、統計を取ることによってはっきりしてくる。賃金なのか、労働条件なのか、人間関係なのか、どれが理由にしても、ミスマッチであることには変わりはない。特定の理由に絞り込められれば、その対策や処方が明確になる。

 コンピュータを利用した適職診断や適性診断ソフトがある。公に使えるわけではないが、人工知能(AI:Artificial Intelligence))を駆使していて、単なるプログラムではなく、推論機構を搭載し、的中率も高くなっていて、そこには知識工学の進展がある。推論機構は如何に適正解にたどり着くか、という探索法であり、もう一つは演繹的推論法である。これは三段論法のように、命題論理や述語論理間の演繹的推論法を用いている。更に、エキスパートシステムやコンサルティングシステムといわれている、専門家として助言を提供するもので、文章の形を取った複雑な内容の知識である。

 適職診断についても具体的な企業や職種までもデータとして提供できるシステムもある。これには膨大なデータベースを持っていて、単なる求人・求職情報と異にしていて、即、実用出来るメリットがある。今後、手軽に使えるシステムとして提供されれば、事前に個人の職業適性が判り、適職探索も可能となる時代を迎える。ミスマッチを防ぐ意味でも、定着率を上げる意味でも、就職戦線は変わっていくことであろう。


コピー商品

2015年02月19日 00時00分01秒 | 紹介

 偽物(にせもの)、贋作(がんさく)ともいうが、本物とは異なり、内容の粗悪な物で、偽の品のことである。人については偽者と書くが、他人の名前や地位・職業などを詐称する者のことで、大学教授や博士などと、そのように称されるのは形骸だけで、内実はその栄誉に値しない人のことにも使う。では、本物はといえば、偽りや作り物ではない本当の物で、実物のことである。

 中国製のルイビトンやローレックスなどのコピー商品は税関などで、国内に入らないようにしているが、法の目をかいくぐり、密輸される多くのコピー商品が出回っているのも事実である。コピー商品と知っていながら購入する消費者がいるので摘発を受けて、罰金を支払って、新たなルートでコピー商品が作られ、市場へ出て行く。取り締まる側と生産者や販売者との「いたちごっこ」が続いている。ブランドを如何に守るかの企業努力は、将に、企業収益に直接影響するし、類似商品が裁判となり係争中の製品も多い。

 民度が低いといって片付けるのは簡単であるが、その市場が無くならないのは、同等品や相当品で事が足りる消費があるからで、価格が安く、粗悪品であっても見分けが付かなくなっていて、コピー製品が本物に近くなっている又は本物以上に精巧になっていることも原因している。

 美術品や、年代物などの鑑定士もいるが、贋作かどうかを見極めるのは相当の知識がいるようで、時代背景や、ルーツなどの詳しい資料を基に高度な判断を必要としている。絵画や浮世絵なども弟子に描かせて、雅号や落款(らっかん)などは本人の物を使う贋作もあるという。

 3Dプリンター技術が高度化すればコピー商品がますます拡がる様相が顕著になるであろう。今後どこまでを著作権や特許で保護できるのか、本物と偽物の区分けは難しくなってきている。既に造形の世界は、偽物であっても用途によっては有用な物も多々ある。ミニュチュアは将に縮小した製品であり、食堂に並ぶ商品見本なども本物に如何に近づけるかの精巧なコピー商品である。

 商品開発に成功したとしても、何れ類似品が機能や性能を付加して、オリジナル商品を凌駕するのは必然で、次から次に新商品を開発する必要性がある。何処かむなしい気もするが、競争社会の突出した傾向で、これが経済成長ということなのか、グローバル世界の裏側に潜むコピー商品について考えてみた。


コプト教

2015年02月18日 00時00分01秒 | 紹介

 エジプト、「イスラム国」空爆という記事を読んだ。リビア領内にある過激派組織「イスラム国」が行ったエジプト人労働者21人を殺害したことに対する報復措置とのことである。リビアで拘束されていたエジプシャンはコプト教徒であった。エジプトとリビアは隣接していて、リビアは石油が産出するので多くの労働者がエジプトから出稼ぎに行っているという。

 エジプトでのコプト教とは、7世紀にイスラム教となる前には、エジプトは中東でも最大のキリスト教国で、異端とされたアリウス派で、コプト教と呼ばれている。現在でもエジプト人口約8000万人の1割800万人がコプト教徒である。多くが上エジプト地方に住んでいて、コプト協会も多く存在している。日曜日には礼拝に教会に訪れるが、宗教以外の普段の生活や行動は、イスラム教徒と殆ど変わることはない。イスラム教徒との差別化や迫害等の諍いは殆ど耳にしないが、実体は不明な点もある。

  紀元元年からエジプトに逃れたキリスト教徒は、7世紀にイスラムの侵入があるまではコプト時代であった。古代エジプトからイスラム時代への過渡期であり、エジプトの歴史の中で重要な位置を占める。オールドカイロには古いコプト教会が多数残っていて、コプト博物館もある。

 コプト教徒は右手首内側に十字の入れ墨をしているので、直ぐに判るが、今回のコプト教徒の殺害は、エジプトで平穏に暮らしているコプト教徒とイスラム教徒との関係を一変させる重大問題である。過激派の「イスラム国」が掲げるイスラム教の教義とキリスト教のコプト教とが、相容れないものであることの証明でもあり、エジプト政府はテロと断定して、空爆を実行した。エジプト国内での対立でないことが何よりも救いである。

  宗教が持つ奥義は平和国家にあり、個人においては精神の安定であり、他人への敬愛と共存であるが、時として、過激な行動が起こることは何度か触れてきた。日頃から為政者に向けたデモの理由は多くあり、鬱積する不満、例えば、雇用不安、貧富の格差、イデオロギー等はいつの時代や国家にもあることであるが、宗教が絡むと一層過激な形で現れる。報復の連鎖は避けなければならない。双方に失う物が多いことも歴史が証明している。


リオのカーニバル

2015年02月17日 00時00分01秒 | 紹介

 ブラジルリオデェジャネーロで開催される謝肉祭の行事で、2月13日から開催されている。我が国からは、青森のねぶたが参加するとのことである。リオは日本の位置を基準にすれば、丁度、地球の裏側にあり、現在は夏真っ盛りである。南米最大の祭典といわれている。謝肉祭は漢字の意味するところ、肉に関係するが、肉とは分かれる意味から断食に入る前の日に行われている。そのことが北半球では、春が来ることを祝う行事に転化され、広くパレードなどの祭典のことを指すようになった。

 ヨーロッパでは謝肉祭に仮面舞踏会が催される。ドイツでは、ヴォルファッハのカーニバルが有名である。ブラジルでは、時期的なものは考慮されずに、年に一度の祭典を楽しんでいるようである。各サンバ学校が主体となって、。サンバリズムに合わせた踊りと、奇抜な衣装の対抗合戦が行われている。年々エスカレートするようになり、カーニバルの衣装代は、1年間の労働した賃金を積み立てて、団体ごとに揃え、大枚を叩くそうである。もちろん飛び入りも歓迎される。

 我が国の祭りにも、神事の新嘗祭や、夏や秋の例大祭などでは、御神輿が出て、日頃の労働とは異なる神事の中に、エネルギーを発散する場となり、熱気を感じることができる。今回リオのカーニバルに参加した青森のねぶた祭りは、盆の行事としての灯籠が巨大化し、武将や、様々なキャラクターをモチーフとして、作製されたねぶたは芸術の域に達している。先陣を切る跳ね徒は「ラッセーラ、ラッセーラ」のかけ声で、跳ね回る。もはや仏事から離れたリズムと踊りは秘められた東北人のエネルギーの発散の場に思えてならない。

 どこか遠く離れたブラジルの祭典と青森のねぶたは共通している部分があるようで、偶然なのか、本質的に祭りが持つ特徴なのか分からないが、エネルギーの発散にはシチュエーションが類似している。最近のよさこいソーランの踊りや、打楽器を打ち鳴らすパレードで練り歩く状態は一致している。さらにはパレードを見る観客がいて、盛り上がるのであろう。祭典が終わった後の静けさとの対比は、将に、動と静、躍動と静寂、ハレとケである。

 謝肉祭は英語でカーニバル、ブラジルの宗主国はポルトガルなので、スペイン語ではなくポルトガル語である。ポルトガル語ではカルナヴァウ、スペイン語・フランス語ではカルナヴァルである。人の生活とは日々平凡であるが、時としてこのような祭典の熱気は新たなエネルギーを育む上での刺激と捉え、演じ手と観客の双方が楽しめるのは基盤に平和があってのことであることをかみしめたい。


技能訓練専門大学

2015年02月16日 00時00分01秒 | 提言

 着手し始めた就職率向上のための新大学構想であるが、今般、文部科学省の有識者会議で改革案が纏められた。今後、中央教育審議会(以下、中教審と略す)で議論を重ね、早ければ来年の通常国会に学校教育法など関連法案を提出することになった。開設は2017年になるという。政府は、大学卒業後就職できない者が2割を超えるという背景があり、その理由は、現在の大学の教育内容が就職に結びつかないとの認識があるからだ。

 今回の改正の概要は、現在の大学制度に新たな区分である「プロフェッショナル大学」を設けることである。在学期間に弾力性を持たせ、2~4年にする。卒業者には、学士と同等の資格を与えるようである。教員も産業界からの登用を重視し、新設する大学の特徴に併せて地元から登用することにしている。設置基準を緩和することによって、私大、専門学校、高専(全国にある高等専門学校で、中卒5年制)から移行出来やすくする。

 今後の中教審での踏み込んだ、活発な議論の結果を待ちたい。大筋は理解できる範囲にあるが、現在の公立大学の取り扱い、教員の質の向上、団体・企業における継続的な人材育成、在学中のインターンシップや、デュアル訓練等企業就業体験等については、紙上では触れてないため、その詳細については不明である。

 この程度の改正で、どれだけ企業ニーズにあった学生を排出することが可能なのか現在のところ、未知数であり、複線化路線は従来も経験していて、修士課程を見ると法科大学院大学、産業技術大学院大学、政策研究大学院大学などの専門性に特化した学制を敷いてきたが、就職率に関して、余りよい評判を聞いていない。既に専門性に特化した専門学校(文部科学省系の専修学校等)を格上げしたいとの専門学校側の意向も強いようである。

 一方では商業高校、工業高校が総合高校として普通高校と統合していることを考えると、後期中等教育の在り方とも関連し、新大学だけの改正でよいのかという議論もある。

 学校制度改正は将来の技術変化や、グローバル化の状況変化を見越したものでなければならず、単なる就職できない2割の学生に対する就職率アップだけの問題ではないであろう。制度改革には、数字だけでは表せない学生の自発的な将来像や、実現可能性についても吟味しておかなければならず、失敗は許されることではないことを肝に銘じて取り組んで欲しい。


モデル業

2015年02月15日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 ファッションモデルは、パリオートクチュール等のファッションショーに出演するので、興味のある方はご覧になられる機会も多いと思うが、横浜でのカメラショーの企業ブースで出演されていたモデル嬢を拝見させて貰った。多分何処かの所属事務所に所属していて、イベントがあると派遣されているのであろう。または、企業が広報要員として抱えているのかも知れない。

 モデルが新商品の解説はなかったが、説明者は袖にいて、製品が変わる毎にモデル嬢がカメラを手に取り撮す真似をする。来客者は一斉にフラッシュを焚き、モデル嬢は目線を来客者に向ける。

 モデルの世界の詳細は存じていないが、イベントは会期があるため数日で終わる。連続した勤務体系ではないことは想像できるが、不規則な勤務であることは間違いないであろう。今回のイベントでの勤務時間は、朝10時から午後6時となっていて、その間にステージでの製品紹介は1時間に1回で、出演時間は15分といったところであった。

 休憩はあるにしても、断続の勤務は、緊張の連続で、体力を要するようで、強いライトを浴び続け、着飾っていても華やかな世界にはそれなりのご苦労があるようである。女房の話によれば、ショーの期間中は、連日美容院へ行き、衣裳や宝石類も貸衣装が殆どで、自分持ちは少ないとのことであった。自分とは別世界であるが、若い女性でなければ務まらない世界は興味深い。

 オーディションのようなものがあり、それに合格しても、日頃から姿勢や体型などを維持しなければならず、食事制限や規則正しい生活等意外と難しいらしい。確かに太った女性は全く目にしなかった。勤務場所が日によって異なる場合もあり、派遣社員では異なる企業への派遣が一般的で、企業の製品の知識は詳しくなくても概要ぐらいは知らなければ務まらないであろう。

 どれぐらいの給与を貰うのかよく分からないが、自分が思った以上に低賃金かも知れない。華やかな世界が実は表面的であり、見知らぬ来場者にモデルとしてのサービスを与える仕事は、人間関係が出来るわけではなく、一過性の仕事でもある。それなりのプロとしての知り得ない努力や感情があるのであろうが、モデルを続けるための秘訣など聞いてみたい衝動に駆られた。せめてもの足跡として、出演したモデル嬢の名前や所属事務所ぐらいは何らかの形で残しても良いと思われるが、お節介な話なのであろうか。


CPプラス2015

2015年02月14日 00時00分01秒 | 日記

平成27年2月13日

 CP+(シーピープラス)とは、毎年開催されるカメラ映像機器工業会が主催で、日本写真映像用品工業会が協賛のカメラショーのことである。2015年2月12日~2月15日までの間パシフィコ横浜で開催中である。入場料は1500円であるが、CP+で検索すると入場引換証が手にはいる。これを持って会場で受付を済ませると無料となる。

 暫く振りに行ったパシフィコ横浜であるが、みなとみらい駅を下車すると、平日にも関わらず、多くの見学者と思われる方々と一緒になった。会場受付まで同行したが、カメラを持っている方が殆どであった。会場にはいると既に多くの来場者がいて、企業毎のブースには人だかりがしていた。入場後直ぐにオリンパスのブースがあり、オリンパスのカメラがレンズを持っているとミニュチュアカメラの携帯ストラップをプレゼントされた。

 室外は肌寒かったが、会場は来場者の熱気で汗を掻くほどであった。ブースに設けられたステージにはカメラマンが殺到している。大音響で新製品の紹介があり、続いてモデル嬢の登場である。一斉にフラッシュが焚かれ、良いムードである。カメラマンはモデル嬢の撮影が目的であるらしい。自分も負けじとカメラをセットし、微笑みを送るカメラ目線のモデル嬢をカメラに収めた。

 来場者の殆どは中高年の男性で8割を占め、残り1割が高齢者の女性で、1割はカメラ関係でスーツ姿のビジネスマンか、プロカメラマンらしき姿の若者であった。若い女性はブースの担当者ぐらいで、中にはアンケートを聞き取る企業の広報を担当する女性がいた。平日であったためか、子供連れや家族とおぼしきグループは殆ど見なかった。

 この分野が中高年をターゲットとしているのは判るような気がした。光学機器は新製品の展開が意外に早く、次から次へと魅力のある製品が産み出されている。将に情報の世界で、精密電子機器のオンパレードであり、値段が張る物も多い。若者では手が出せない世界のようである。展示ブースでは、著名なプロが映した映像が放映され、最高の画素数で撮影された画像は、あたかも簡単に自分でも撮れるかのような錯覚に陥る。

 決してそうではないことは判っていてもショーの魅力かも知れない。年金暮らしには手が出せない遠い世界であるが、一時であっても、感動と夢を見させてくれたのは事実である。