gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山崎エマ氏  

2024-12-23 01:54:27 | 文化

>めざましmedia   >日本の小学校教育に世界が注目!「靴は揃える」「教室は自分で掃除する」…学校生活を通して学ぶ「社会の仕組み」   >めざましmediaの意見・   >6時間・   

>世界で高い評価を受けている映画『小学校〜それは小さな社会〜』の山崎エマ監督と、日本の小学校教育について考えました。   

>女性が気になる話題について、スタジオで生討論を繰り広げるフジテレビ『ノンストップ!』の金曜恒例コーナー「ノンストップ!サミット」。   

>今回は、アメリカアカデミー賞「短編ドキュメンタリー部門」の最終候補に選出された映画『小学校〜それは小さな社会〜』の山崎エマ監督がスタジオに生出演。   

>「世界でイマ話題!日本の小学校教育」というテーマでMCの設楽統さんと三上真奈フジテレビアナウンサー、千秋さん、カンニング竹山さん、虻川美穂子さん、國學院大學教授の杉田洋先生と話し合いました。   

>「靴を揃える」「掃除をする」など…生活を通した日本の教育に世界が注目!   

>イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、大阪の小学校からインターナショナルスクールに進み、アメリカの大学で学んだ山崎監督。   

>自分の基礎であり、強さとなっている部分が6年間の日本の小学校生活で育まれたことに気付き、今回のドキュメンタリー作品を作ることを決めたといいます。   

>映画を観た虻川さんは、「小学生が全力で物事に取り組む姿は涙なしには観られなかったし、靴を揃えるなど自分にとって当たり前のことを小学校で学んだことに改めて気付いた」と語り、竹山さんも「小学校をどう変えていくか議論する中で、何か足りないと思っていたのだが、(映画を観て)大事なことに気付いた」と感心した様子。   

>世田谷区の公立小学校に密着した山崎監督が今回の映画で改めて着目したのは、日本の小学校の「学校生活を通した教育」だったそうです。   

>映画で描かれるのは、「靴を揃える」「自分の使った教室は自分で掃除する」「きちんと挙手や返事をする」など、日本の小学校教育を受けた人にとっては「当たり前」の日常。   

>しかし小学校で身につけた「何事もきちんとする」という習慣こそが、社会に出る準備ともなり、災害に備える心構えにもつながっていると山崎監督は感じたのだそうです。   

 

日本人には意思がない。だから意思決定 (理性判断) の機会に遭遇するのは避けなければならない。作法をあらかじめ定めておけば、意思決定の手間 (時間) が省ける。恣意決定 (盲目の判断) は危険だから、極力避けたい。太平洋戦争の様な結果は避けたい。        

 

>「社会の仕組みを学ぶ」という日本の教育には利点もあるが「同調圧力」を生むという課題も    

>山崎監督が「国語や算数だけでなく、生活面を小学校で教えるというのが海外の人から見ると画期的に感じられるようだ」と語ると、杉田先生は「そもそも学校教育の考え方が、海外と日本は異なっている」と解説。   

>杉田先生によると、「海外では学校は『授業を受ける場所』だが、日本では『社会の仕組みを学べる場所』」で、学活などの集団活動を通して教育を行う「特別活動」が学習指導要領に盛り込まれているのは、世界的に見ても非常に珍しいのだとか。   

>千秋さんは「日本の教育は『個人の主張ができない』などマイナス面が語られることが多いが、ダメなばかりではなかった」と安心した表情を浮かべ、コロナ禍の中で撮影を行った山崎監督は「海外では1年半学校を閉鎖した場所もある中で、日本は3ヵ月休校しただけで学校を開けた。   

 

個人の主張ができないことは日本人の大問題ですね。日本では英米の高等教育が成り立ちません。   

 

>生活に制限がある中でも子どもたちは自分の役割を果たそうとしていたし、楽しみも見つけていてすごいと感じた」と、撮影を振り返りました。   

>一方で、「みんなが同じことを同じようにできるようにする」ことを突き詰めてしまい、結果として「同調圧力」が生まれてしまうのではないかという課題もあるといいます。   

 

そうですね。日本人は同調圧力なしでは生きていられませんね。   

 

>杉田先生は「確かにそれは悩みの一つではある」と語りましたが、竹山さんは「難しいところだとは思うけれど、ルールを学んでこその自由なのでは?」と持論を展開しました。   

>「組織での役割」を学ぶことができる「委員会」「係活動」は意義がある?   

>教科教育時間を増やすべき?   

>「放送委員」「給食当番」といった「委員会」や「当番」の活動を通して、「組織の中でどう役割を果たすか」を学んでいくという小学校の取り組みも、海外では評価されているといいます。   

>「掃除は大人がやるもの、という環境で育った海外の人から見たら、子供に責任を与えて、任せるだけでもすごいこと」と山崎監督が語る通り、この映画はギリシャでは「子供の責任感もすごいし、信頼して任せる先生も素晴らしい」と受け止められているそうです。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。蛸壺の中にこもる日本兵に成ります。      

 

>杉田先生によると、給食には「仲良く食べることも学ぶ」「栄養教員による食育」「当番を通して『役割のない社会はない』ということを小さいうちから学ぶ」などの教育効果があるのだとか。   

>しかし一方で、「係活動などの時間が多すぎるので、教科教育の時間を増やせないか」という声も挙がっているといいます。   

>杉田先生は、「小学校で過ごす時間の約3割が『人づくり』に充てられているので、数値で測れる学力を伸ばしたほうがいいのではという声が出る。   

>しかし学力を伸ばすことが、人の幸せにつながるかを考えることも大切。   

>数値で測れる『勉強』は、人を不幸せにすることにも使うことができる」と問題を提起。

 

数値は日本人の序列化の基ですね。数値がなければ序列社会は崩壊しますね。数値は没個性の基である。      

 

>千秋さんは「お鍋の中の食材を均等に分けるなど、みんなのことを考えて動くことを学べる」と係活動の時間を肯定的に捉え、三上アナも「係活動を通して一体感を感じることができて、友だちも増えた」と同意しました。   

>欧米に比べて圧倒的に仕事量が多い日本の教員…働き方改革はどう進めるべき?   

>映画では先生方の働きぶりも丁寧に紹介。   

>山崎監督は「先生も人間で、悩んだりしながら成長している。   

>正解のない仕事に挑んでいる先生方のやりがいや生きがいも取り上げたかった」とその意図を語りました。   

>一方で日本の教員に課せられている「仕事」は、「授業」だけでなく「カウンセリング」「広報」など多岐に渡り、欧米と比較すると格段に多いことが問題となっています。   

>杉田先生は「働き改革は解決しなければいけない問題。   

 

我が国には、人手不足はあっても頭脳不足はない。日本人の仕事は人手を強く要求します。人海戦術ですね。   

 

>小学校の教員には、子どもの成長を感じることで、仕事が大変でも許せてしまう人が集まっている。   

>そこが難しいところなのだが、先生にとってのやりがいも必要ではある」と現状を語りました。   

>三上アナは「先生方も日本の教育を受けてきているから、できてしまうのでは?」と意見を述べ、「そもそも、グローバルスタンダードこそが“正解”なのか?」と疑問を呈した竹山さんは「働き方改革を検討する必要はあるが、現場の気持ちをしっかり考えて議論しないと危険」と主張。   

 

日本の教育には礼儀作法が入っていますからね。忙しい。  

 

>山崎監督は「日本の先生方には自信を持ってもらいたいし、この映画がより深い議論のきっかけになれば」と訴えました。   

>「運動会で順位をつけない」風潮に山崎監督「112以上になる経験こそ大切」   

 

序列人間の日本人は順位アレルギーになっていますね。オリンピック競技や競馬を見れば順位が大切なことが分かります。      

 

>視聴者の54歳男性からは、「運動会で順位を付けないことが増えているが、ライバルと競い合う中で社会性を学ぶのも大事なのでは?」という意見も寄せられました。   

 

そうですね。   

 

>「“共創”の中に“競争”がある」と語る杉田先生は、「運動会は『同調圧力』を生みやすいとも言われるが、手をつないでゴールするのはそれこそ『同調圧力』。   

>他者との共創=競争の過程を成長できる場として捉えられる人もいる」と、運動会の練習の大切さを指摘。    

 

自由競争で社会は成長する。規制社会は衰退する。ソ連は崩壊した。     

 

>山崎監督は「自分も小学校を振り返ると、行事のことばかり思い出す。   

>課題を乗り越える経験や、112以上になるという経験が、その後の成長につながるのでは?」と行事の役割を語りました。   

>『ノンストップ!』(フジテレビ)20241220日放送より   

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

我が国は未成年者の学習成績に基づいて作られる人間の序列により非常に便利な不便な国になっていますね。  

日本では子供が熱心に勉強する。子供の勉強は他人の受け売りとその後追いである。学習に成功して子供は日本で通じる序列順位を獲得することができる。   

アメリカでは大人が熱心に勉強する。大人の勉強は自己の個人的見解を明らかにすることにある。高等教育機関で学ぶことにより学習に成功して世界に通じる学位 (博士号など) を得ることができる。      

このような事情で、日米が戦争をすると子供と大人の戦争になる。   

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り