gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

欧米

2018-05-21 13:38:51 | 政治

>◇「欧米」というユートピア
>・そもそも「欧米」というのは存在しない。欧州とはユートピアであり、日本人の心に中にしかないもの。

そうですね。文明開化の中にある日本人のあこがれの世界でしたね。

>・日本人は外来的に入ってきたものをすべて「欧米」と呼んで、いろんな分野で各国の方式を組み合わせてきた。

‘欧米’ は、改革・解放の合言葉でしたね。

>・そして、いいとこ取りをしたつもりが、時代の変化によって悪いとこ取りに。

物には、表と裏がありますからね。’見ると聞くでは大違い’ ということもあります。

>・だからこそ、「日本には何が向いていたのか」「これから何が向いているのか」を歴史を振り返りながら考えていかないといけない。

そうですね。我々には、歴史の勉強が必要ですね。江戸時代のほうが、案外日本人には、向いていたのかもしれませんね。時代劇などは、今でも結構流行っています。

>◇西洋的な個人の時代不適合性
>・日本には「近代的個人」という考えは向いていない。

没個性の国では、考えを基本とした個人は浮かばれませんね。我々は、’考える人’ になることが必要ですね。

>・そもそも日本には「個人」よって成り立つ「国民国家」という感覚が薄い。

そうですね。個人主義 (individualism) は、利己主義 (egotism) に間違えられることがありますからね。’個人’ は、わが国では、人気が出ません。

>・基盤がないのに、無理して「個人」を目指した結果、現代では個人に伴う「孤独感」が強くなってきている。

そうですね。考えは、個人個人で違っていますからね。考えがなければ、個人の違いは、考えられませんね。
わが国においては、考えのない人たちが、縦に連なっていますね。縦のきずなが切れると、序列人間は孤独感にさいなまれます。

>・歴史を振り返ると、江戸時代には日本人は長屋に住んで、相互依存的に生きていた。それを自分から切ってしまったことでバラバラになってしまったという事。

序列社会においては、個人は序列でつながっていましたね。序列関係を失った日本人は、非国民か外人になるでしょう。移民なら、棄民ですね。これは、不安このうえもないことです。

>・西洋的思想の根底に流れるものは、個人が神を目指す、全性能に近づいていく思想。

そうですね。西洋人は、’考える人’ ですからね。考えの内容は、頭の中にあって、見ることができない。単なる話で、非現実ですからね。幾らでも理想を盛り込むことが可能です。

>・東洋的思想は、一言で言ったら「自然」日本人はどこまでいっても自然の中にある同質性・均質性に紐づいている。

そうですね。日本人には、意思 (will) がありませんからね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない人には、仕方がない。それで、無為無策でいる。これは、アニマルと同じです。自然の中に溶け込んでいる。意思のないアニマルも没個性です。

>・これからの日本人にとっては、西洋的人間性をどうやって超克して、決別し、更新しうるかが非常に重要。

そうですね。英語の文法を学ぶことが必要ですね。
英文法には、時制 (tense) というものがあるので、非現実 (考え) の世界を文章で表現することができます。日本語には、時制がありません。ですから、日本人は、脳裏で考えを展開できません。
現実の内容は、頭の外にありますが、非現実の内容は、頭の中にあります。両者は、所在が異なるので、内容も同じにはなりません。それで、考え (非現実) を基礎にした現実に対する批判精神が獲得できます。
批判精神があれば、国際的な改革運動にも参加して協力できます。日本人が世界の指導者になることも夢でもないでしょう。

>・そのためには、「個人」として判断するのをやめる。個人の為ではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定するのがうまくいく。

はたして、そうでしょうかねえ。’個人’ という考えのない人々は、個人判断ができないから、烏合の衆になります。せっかくの民主主義も、衆愚政治になります。意思のない日本人には、意思決定はできません。意思はなくても、恣意 (私意・わがまま・身勝手) はあります。だから、恣意決定になります。恣意は、文章内容にならないから、意味もありません。それで、説明責任が取れません。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任です。


.