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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

隷属思考 3/3

2019-06-28 01:32:26 | 政治

>■欧米へのコンプレックスとアジアへのレイシズム
>國分:そこで白井君のビジョンを聞きたいのですが、日本国民はきちんと責任を取る近代的主体になるべきだと考えていますか。

主体になるべきでしょうね。しかし、日本人には意思がない。意思の無い人には、責任がない。だから、日本人が責任を取ることは難しい。

>『国体論』は近代的主体を肯定しているように見えると同時に、そういう安易な解決策を拒否しているようにも見えます。>この点についてどう考えていますか。

我が国の国体は、序列メンタリティで支えられています。近代的主体とは関係がありませんね。

> 白井:それは結局のところ、どのような政治秩序を目指すべきかという話になると思うんですが、僕はあまり「こうあるべきだ」という理想がないんです。

無哲学・能天気の人には、 ‘あるべき姿’ の内容は考えるのが難しい。

>アメリカやヨーロッパではデモクラシーが理想とされていますが、彼らのデモクラシーが今うまく機能しているようには見えません。 >それではデモクラシーが無理だからといって、中国やロシアのように権威主義でいけばいいかというと、こちらにも多くの問題があります。

そうですね。’ああでもなければ、こうでもない’ という論旨ですね。

> 政治について研究すればするほど、それに期待することが少なくなりました。 >まあ大体において政治なんてろくなもんじゃない。

あなたは、未来社会の建設には否定的なのですか。

> 重要なのは、政治ではなく、国民が元気でいられるかどうか、です。

田中角栄首相の時は、日本国民は元気でしたね。

>国民に元気さえあれば、政治はろくでもなくても、それなりの秩序を形成できると思います。

序列体制を励行すれば、国内の秩序は維持できますね。不自由を常と思えば不足なし。

>たとえば、中国の人たちと話をしていると、彼らの中にナショナリズムと非ナショナリズムが共存していることがわかり、すごく面白いんですね。>彼らは「共産党なんてろくでもない」と思っている一方で、「共産党しかない」とも思っている。

政治と日常生活は、分けて考えられているのですね。

>それで自分は何をするのかというと、自分の商売を頑張る。こういう発想なんですね。

それは、きわめて現実的ですね。政治は、未来 (非現実) を目指していますからね。なくても困らないのでしょう。

>これは「自民党なんていいとは思わないけど、自民党しかない」として自民党を支持している日本国民とは似て非なるものだと思います。

そうですね。序列社会の日本人は、非序列社会の中国人とは違いますね。日本人はあくまでも党派的ですね。

>日本の場合は政治に対してすごくナイーブなんですよ。> 実際、日本はそれをうまく利用され、支配されてきました。

日本人には、意思がない。常に受け身になっている。

>戦後の日本がアメリカの支配の中で受け取った価値観は、自由主義でも民主主義でもなく、結局のところ近隣のアジア諸国を差別する権利だったわけです。

上と見るか・下と見るかの判定ですね。非差別国民を作ることですね。

>こうしたコンプレックスの中にいるかぎり、日本の奴隷根性がなくなるはずがない。

強者と弱者の間に挟まって、大きくなったり小さくなったりして見せることですね。日本語の階称 (言葉遣い) に起因していますね。


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隷属思考 2/3

2019-06-28 01:10:53 | 政治

>■思考を奪う「国体」という病
> 國分:それは別の言い方をすると、そもそも日本は戦争に勝とうとしていなかったということになりますか。
>去年の夏にNHKがインパール作戦の番組を放映して話題になりましたが、イギリス軍がたとえば兵站(へいたん)でも合理的な作戦を立てて戦争に臨んでいたのに対し、日本軍は精神論で突き進んでいった。

優柔不断・意志薄弱な日本人は、戦争指導者にとっては歯がゆい存在です。そこで、精神を鍛える方法を思い付きます。武芸の稽古により動作の機敏な人間が生まれます。しかし、リーズン (理性・理由・適当) のある人間は、育ちません。

>合理的な作戦を立てている軍隊に対して精神論で挑んでも、勝てるはずがない。

そうですね。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>これを見るかぎり、日本軍が本気でイギリス軍に勝とうとしていたようには思えない。

英米人には、リーズンがある。日本人には、それが理解できていない。

>日本は最初から戦争に勝とうとしていなかったから、実際に負けたときにも、負けたことに対して何とも思わなかったのではないかという気がします。

そうですね。全ては、’やってみなくては分からない’ という程度の悪さですね。洞察力がない。

> 白井:負ければ大変なことになる、そして現実に敗色濃厚になりつつある。>それらは自明だったわけですね。

現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。考える必要は全く無い。楽ちんである。

>そうなると、もうそんな現実は見たくない、というメンタリティではないでしょうか。

そうですね。他力本願・神頼みですね。指導者の責任のことは、考えられない状態になっていますね。

>そういう意味では1945年の敗戦以前に「敗戦の否認」をしているのですね。>「国体護持」を唱えながら、国を真剣に守るという思考が停止していたのです。

国は敗れても、国体は守る。親分・子分の上下関係だけは、維持しています。

>で、敗戦の事実が確定した後にも、それをだらしなく続ける。>だから、関係者たちの責任が放置され、今日でも追及が甘い。

この国がひっくり返った時にも、その責任者は出なかった。

>インパール作戦では、作戦を立てた牟田口廉也(むたぐち れんや)の責任は極めて重いわけです。 >この点についてはインパール作戦を検証する番組などでも論じられます。 >しかし、牟田口が戦後も何の罰も受けずに天寿を全うしたことはほとんど取り上げられません。 >彼はあれほどひどい作戦を遂行したのに、畳の上で死んでいるんです。>そのことには全然光を当てない。

そうですね。日本の闇ですね。

>これは731部隊もそうですね。 >731部隊が戦時中にいかにひどいことをやったかについては何度も論じられているので、そのことは広く知られているわけです。 >だから今日では、731部隊の連中が戦後も活躍し、ついには薬害エイズ事件まで引き起こしてしまったということに関心を向けさせるべきです。

そうですね。人道上の罪ですね。


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隷属思考 1/3

2019-06-28 00:16:17 | 政治


>長曾我部幸隆 ( 27 会社員 ) 18/07/28 PM03 【印刷用へ】
>隷属思考からの脱出が日本の最重要課題だ
>■責任を追及しない日本社会
> 國分:白井君が『国体論――菊と星条旗』を書いたいくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。

そうですね。‘他の政権よりも良さそうだから’ というのが、安倍政権の潰れない理由ではないでしょうか。他の政党には、政権に就いていた時代の責任は現今には及ばないのであろうか。政権から離れたらそれで全ては終りになるのか。’過ちは、繰り返しませぬから’ と誓っても、何が過ちであったかは、明らかではない。考えがゆるい。

>安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。>ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。

我が国の有権者は、合理的な判断を身に付けているわけではないですからね。合理的な解釈はできないでしょうね。

>白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。>この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。

そうですね。我が国の国体は、天皇を頂点とする序列体制ですね。

>しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。>『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。 >そう指摘しているわけですね。

我が国の国体は、序列に基礎を置いています。わが国の序列人間に逸脱はなかったということでしょう。

> 白井:そうです。「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか・下と見るか’ の判断は、日本語を話すうえで、必須の判断であると言えます。日本人は、世俗の上下判断により支配されています。
また、日本人の礼儀作法は、序列作法になっているので、世俗の上下判断を誤ると、礼儀正しい日本人にはなれません。人を見損なってはけないと言う想いは、高じて強迫観念の域にまで達しています。この想いが、強い拘束力になっています。

> 國分:そこで疑問として残るのは、なぜ日本はアメリカにきちんと負けられなかったのかということなんです。

日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱になっている。

>僕はここがポイントだと思っているのですが、アメリカと戦争して負けたわけですから、本来ならば「いつかアメリカを倒してやるぞ」となるはずです。>ところが、日本はそうはならなかった。

そうですね。日本人の復讐は無かった。

>それどころか、マッカーサーがアメリカに帰国するときには、マッカーサーとの別れを惜しむ声まで上がった。>これはやはりきちんと負けなかったために起こったことだと思うんです。

そうですね。弁慶が牛若丸に負けた時のようなものですね。弁慶は、牛若丸に復讐しなかった。弁慶は、完全に序列メンタリティに囚われていた。

> 白井:戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。>8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。

日本人は、考えの文章内容を理解したがりませんね。文章の理解は骨の折れることです。ですから、忖度・推察に切り替えて事を処理します。忖度は、聞き手の勝手な解釈ですから話者には責任がありません。つまり、日本人は、現実直視が困難であるということです。

>でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。

そうですね。自分に都合の良くないことは、忖度により想定外になっていることです。

>わかってしまえば、簡単なことです。>戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。

そうですね。わが国の国体は、序列に基づいていますね。日本人には、古来序列メンタリティがインストールされていた。


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